2004.04.29

誤字等No.065

【先立つ不幸】(誤変科)

Google検索結果 2004/04/29 先立つ不幸:813件

今回は、匿名希望さんからの投稿を元ネタにしています。

お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しください。
「遺書」に登場するフレーズとしては、定番中の定番です。
あたりまえすぎて、かえって実際に使う人は誰もいないのではないかと思ってしまうくらいです。
特にいまどきの若者であれば、たとえドラマの中でもこのような言い回しには縁がなさそうです。

無論、遺書に「正解」なんてありませんから、何を書こうとも本人の自由です。
自由ではありますが、「誤字」だけはおすすめしません。
なにせ、「訂正」する機会は、二度とないのですから。

このような遺書を書くほど思いつめるということは、確かに「不幸」な状況なのでしょう。
子を失う親も「不幸」ですし、それが自殺であれば、周りの人間も多大な迷惑を被ります。
しかし、幸福か不幸かはあくまで主観的なものですから、「不幸をお許しください」と謝るのも変な話です。

両親に詫びるなら、「不幸」ではなく「不孝」でしょう。
不孝」とは、文字通り「孝行」の反対。親を悲しませることです。
親より先に死ぬことは、確かに「不孝」の極みですから。
本来の「定番フレーズ」は、「先立つ不孝をお許しください」となるわけですね。

さて、実際に「先立つ不幸をお許しください」という遺書を遺した者がいるとして。
どのような思いで遺書を書き記したかは知る由もありませんが、「不幸」という誤字からうかがえることがひとつあります。
それは、本当に求めているのは「許し」ではなく、「哀れみ」であるということ。
自分はこんなに不幸なんだ。誰よりも不幸なんだ。この世の不幸を一身に集めているのだ。
だから死を選ぶしかないのだ。どうだい、かわいそうだろう…
そんな「自己陶酔」的な感情が、見え隠れしているように思えてなりません。

先にも述べたとおり、「幸福」か「不幸」かを判断するのは、本人の「主観」です。
他の誰でもない、自分自身が決めることです。
どんなに恵まれた生活をしていても心は空虚かもしれませんし、どれほど悲惨な状況におかれていても日々は充実しているかもしれません。
自らの「不幸」を他人や環境のせいにしている人は多いですが、自分自身が「自覚」しない限り、「不幸」は存在し得ません。
今の状況をどう判断するか、それはすべての人に与えられた「権利」です。
誰であろうと、その権利を阻害することはできません。
もし、「先立つ不幸」と書き遺して自ら死を選んだ人が、そのことに気付いていたとしたら。
違った選択肢を見つけることも、できたかもしれません。

…と、何やら偉そうなことを書きましたが、これは、ある本の受け売りだったりします。
でも、なかなか納得できる考え方だと思いませんか?

ちなみに、正統派(?)である「先立つ不孝」の検索結果は、219件でした。
先立つ不幸」の四分の一しかありません。誤字の方が多数派です。
不孝」を詫びる健気さよりも、「不幸」を嘆く自己中心思想の方が、現代人に合っているということでしょうか。
なんとも、不幸な時代になったものです。

[実例]

日本人とは、かくも「誤変換」に弱いのでしょうか。
このような「誤変換」が原因と思われる誤字等の品種を、「誤変科(ごへんか)」と命名しました。

[亜種]

先だつ不幸:10件
さきだつ不幸:11件
親不幸:2,130件
不孝の手紙:17件
不孝な過去:4件
不孝な時代:1件

※ 2005/05/01
このページに誤変換を発見した方からご連絡を頂きました。ありがとうございます。
ご指摘の通り、「推量する」という意味の「うかがう」は、「伺う」ではなく「窺う」ですね。
「窺」は少し難しい漢字なので、ここは「ひらがな」に直しました。

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