2007.04.15

誤字等No.165

【始めた切欠】(誤変科)

Google検索結果 2007/04/15 始めた切欠:8,050件

何か「新しいこと」を始める原因や糸口を「きっかけ」といいます。
大抵はひらがなで表記しますが、漢字で書けば「切っ掛け」となります。

ところがWEB上では、この「きっかけ」を「切欠」と表記しているページが非常に多いです。
本当に、驚くほど多いです。

要するに「誤変換」なわけですが、ただの「誤変換」ではありません。
多くの文章には、「きっかけ」の漢字表記は「切欠」であるという、確たる自信が見えます。
そこには、表記に疑問を持っている様子など、微塵も感じられません。

なぜ、これほどまでに「きっかけ」を「切欠」とする表記が幅を利かせているのでしょうか。
いったい、何を切っ掛けとして、このような現象が発生しているのでしょうか。

直接の原因は、単純です。
「パソコン」、正確に言えば「かな漢字変換プログラム」のせいです。

ひらがなで「きっかけ」と入力して「変換」キーを押せば、「切欠」が表示されます。
すべて確かめたわけではありませんが、私の知っている範囲では、実際に「切欠」の変換が行われました。
この「変換結果」を素直に受け入れてしまう無垢な人たちが、今の日本にはたくさんいるのですね。

無論、変換結果には「切っ掛け」も表示されます。
切欠」と「切っ掛け」のどちらが先に表示されるかは、プログラム次第です。

不幸にも、変換の第一候補として「切欠」を見てしまった人たち。
それが、「きっかけ」の漢字表記が「切欠」であると学習してしまった人たちなのでしょう。

あぁ、「きっかけ」って、漢字にすると「切欠」って書くんだぁ。
知らなかったなぁ、勉強になった。
ようし、これからは漢字で書こう。
ひらがなで書いてるやつらとは違うってところを、見せてやる。

……まさか、そこまでレベルの低い自惚れ屋ばかりということもないでしょうけどね。

しかし、ここでひとつ疑問があります。
切欠」の一般的な読みは、「きりかき」です。
それは、「切っ掛け」とは全然違う言葉です。
なのになぜ、「きっかけ」が「切欠」と変換されるのでしょうか。
このような変換が行われること自体が、間違っているのではないでしょうか。

その理由は、「地名」にありました。
切欠」と書いて「きっかけ」と読む地名が、東京都あきる野市に実在しているのです。
「かな漢字変換プログラム」の辞書は、「地名」として「切欠」を登録していたわけですね。
辞書に登録されていれば、「きっかけ」が「切欠」と変換されるのも当然のことです。

切っ掛け」のつもりで、「切欠」と表記している人たち。
それが「地名」であることを知ったら、どんな反応を見せるでしょうか。

ワープロやパソコンを使って文章を作成する時代が訪れたことで、「漢字」を書くための敷居は極端に低くなりました。
ただキーを押すだけで、「薔薇(ばら)」も「檸檬(れもん)」も「蒟蒻(こんにゃく)」も、簡単に表記することができます。
「蒲公英 (たんぽぽ)」も「向日葵 (ひまわり)」も「仙人掌 (さぼてん)」も、漢字で書くことができます。
「墨西哥 (メキシコ)」も「西班牙 (スペイン)」も「亜弗掩担 (アフガニスタン)」も、漢字にできます。
「強ち (あながち)」「忽ち (たちまち)」「唆す (そそのかす)」などの難読漢字も、自由自在です。

それまで「手書き」しか知らず、漢字に苦労させられてきた人にとって、その魅力は強烈です。
「難しい漢字」を駆使した、「難しそうに見える文章」を、いとも簡単に繰り出すことができるのですから。
しかも、そのために面倒な「勉強」など、する必要はありません。
自分自身の国語力はそのままで、「知的な自分」を手軽に演出できるのです。
国語力に自信のない人ほど「差」は明確となり、容易には抗えなくなります。

次第に、その魅力にとりつかれた人は本来「ひらがな」で良いはずの言葉まで「漢字」にしたがります。
きっかけ」も、その類の言葉と言えるでしょう。
ひらがなのままで十分に通用するものを、ことごとく漢字にしてみせる自分。
自身の国語力が一気に上がったような錯覚を味わうことで、自分に酔っている状態。
結果としてできあがった文章は、きわめて「読みづらい」ものとなっていることでしょう。

現実は、そんなに簡単ではありません。
「難しい文章」を操れる人が「知的レベルの高い人」ではないのです。
むしろ、その逆。
高度な内容を「簡単な文章」で表現できる人こそが、真の実力者と言えます。
確たる自信のある人なら、難しい漢字を散りばめてまで自己アピールを行う必要はないでしょう。

読み手の都合を考えず、難読漢字を駆使して難しい文章を書くことは、決して「知的」な態度ではありません。
それは、ただの「自己満足」です。

無論、「切っ掛け」を「切欠」と表記している人のすべてがそうとは言いません。
たったひとつの、純粋な誤変換なのかもしれません。

しかし、この「切欠」以外にも、「漢字表記」を異様なほどに多用している文章であれば。
書き手の思考が、独善的な迷宮にはまり込んでいる可能性があります。

かく言う私自身も、同様の傾向がないとは言い切れません。
これを切っ掛けとして、一度自分自身を振り返ってみるのも良さそうですね。

[実例]

日本人とは、かくも「誤変換」に弱いのでしょうか。
このような「誤変換」が原因と思われる誤字等の品種を、「誤変科(ごへんか)」と命名しました。

[亜種]

はじめた切欠:120件
はじめる切欠:115件
始める切欠:301件
切欠となって:5,180件
切欠として:666件

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