2007.08.05

【誤字等の雑記帳 5】

日本語についての話題を、とりとめもなく書き連ねるコーナー「誤字等の雑記帳」、その5です。

[問題な日本語?]

日本テレビの「世界一受けたい授業」という番組に、ベストセラー「問題な日本語」の編者、北原保雄氏が登場しました。
しかし、その番組を見た感想は、はっきり言って「失望」でした。

正直、私ごとき素人が、言語学の権威である偉い先生にケチをつけるのも極めておこがましいのですが……
「この人、本当に日本語を知っているのだろうか?」と、本気で心配になってしまいました。

たとえば。
二個上の先輩」という言い方は間違い、という話が出てきました。
」とは「形あるもの」を数える言葉なのだから、年齢を数えるなら「ふたつ上」と言わなければならない、だそうで。

先生、この場合の「」は、「年齢」の差じゃなくて、「学年」の差じゃないんですかね。
早生まれとか、留年とか、浪人とか、飛び級とか、「年齢」と「学年」に差が生じる原因はたくさんあります。
同い年だけど学年は違う、そんなときに「一個上」とか「二個下」などの表現が使われているのではないでしょうか。
ひとつ上」では、本当に「年齢」が違うという意味になってしまいます。

会社の場合は、「入社年度」の違いを意味する場合もあります。
入社時の年齢は様々ですので、「ひとつ」「ふたつ」とは違う、別の助数詞が必要とされる場面もあるのです。
そんなときに、「」は、非常に便利な言葉として使うことができます。

つまり、「二個上」と「二つ上」は、意味の違う、「別の言葉」としての役割を担っているのです。
なのに、その一方を「間違い」と決め付け、もう片方で置き換えさせようとするのは、「言葉の意味がわかっていない」としか言えません。

無論、「」が「学年の差」や「入社年度の差」をあらわすという用法自体は、現時点では「正しい日本語」ではありません。
まだ「新語」とすら認められていない、「勝手に作り出された」言葉かもしれません。
しかし、旧態の「」とは異なる言葉として、現実に使われているのです。

その違いを示すため、わざわざ「」とカタカナ表記されることも多いですし、発音のアクセントも普通の「」とは違う場合があります。

その言葉が「何故使われているのか」という理由、背景を考えようともせず、「間違い」と決め付ける態度。
ましてや、「意味の違う言葉」で置き換えさせようとするなんて。
どう見ても、トップクラスに「知的な存在」であるはずの「学者」のすることとは思えません。

他にも、書籍「問題な日本語」で表紙のネタにもなっている「こちら、〜になります」も登場しました。
「コンビニ用語」「ファミレス用語」などと呼ばれる言い回しです。
どうやらこの先生、これらの表現を相当「目の敵」にされているようですね。

なる」は何か別のものに変化したことを示す言葉。
「メニューになります」って、いったい何がメニューに変わったというのか?
という論調でした。

確かに、この場合の「なります」は、「正しい日本語」ではないかもしれません。
しかし、「なる」の意味を「変化」に限定するなんて、あんまりです。
なる」の意味はひとつではありません。たくさんあります。
ここでは「変化」の意味で使っているのではないことなど、あきらかではありませんか。
勝手な解釈で「間違い」と断じるなんて、「言いがかり」というものです。

たとえば、「尊敬」を示す用法と考えたらどうでしょうか。
「お客様が、メニューをお読みになります」
という文章なら、「日本語」として「間違い」ではないはずです。
そのまま「メニューになります」に適用できる用法ではありませんが、「変化」で解釈するよりは、はるかにマシです。

「尊敬の意味から発展した新しい用法」と、前向きに解釈することはできないのでしょうか。

全体を通して、先生の論調には、「この言葉の意味はこれしかない」という、奇妙な思い込みが感じられました。
辞書に載っている「言葉の意味」なんて、学者たちが便宜上「定義」したものにすぎません。
言葉は、場面に応じて、時代に応じて、様々な意味を持つものです。
そして、常に「例外」が存在します。
そんな当たり前の事実をあっさり「無視」しているように感じられたことが、「本当に日本語を知っている人なのか?」という疑問を持った理由です。

無論、私が見たのは短いテレビ番組のために編集された映像だけです。
おそらく、ストーリー展開自体、構成作家が「作り上げた」ものなのでしょう。
北原先生ともあろうお方が、この程度の基本を理解されていないことなど、金輪際ありえません。

しかし、その「偏狭」としか言いようのない「決め付け」が、実際に全国に放映されたのです。
「名誉教授」の肩書きという、「権威」とともに。
これが、私の味わった「失望」の正体です。

「教授」とよばれる人たち、「テレビ」という媒体、そして近年の「日本語ブーム」なるもの。
それらすべてに対して、今の私は「所詮は、こんなものか」という、あきらめの状態にあります。
「知的な態度」など、はじめから期待してはいけなかったのだろうか、と……

現実世界で実際に「使われている」言葉を否定してみせる以上、一方的な「決め付け」ではなく、「真摯」な姿勢で臨むこと。
それこそが、「知的な態度」というものではないでしょうか。
せめて、私自身は、このサイト上で同じ罠に陥ることのないよう自戒したい、と、そう思いました。

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