浮世絵の種類
役者絵(やくしゃえ)
歌舞伎役者を描いた浮世絵のこと。芝居小屋ができる前の風俗画を除くと、芝居小屋の看板絵が発達してできたものとも言える。鳥居派のように、元々芝居小屋の看板絵を手がける者が、浮世絵として役者絵を描くこともあった。初めのうちは、役者の顔がみな同じに描かれていて、描かれている家紋で、どの役者を描いたか見分けさせるものがほとんどだったが、勝川春章以降、顔を似せて描かれるようになる。芝居が公演される前に発行されるものを「見立て」、芝居が公演されている途中に発行されたものを「中見」と言った。

美人画(びじんが)
女性を描いた浮世絵。架空の女性を描くものもあれば、実在の女性を描いたものもある。遊郭が店の宣伝として花魁の絵を描かせることもあった。幕府から遊女の名前を浮世絵に書いてはいけないというよくわからない法令が出されてからは、花魁の名前を絵文字にしたりして描かれたりした。

名所絵(めいしょえ)
名所を描いた風景画の浮世絵のこと。江戸の中期から後期にかけては地方から来た人が江戸土産に持って帰るために、江戸の名所を描いたものが多かったが、江戸後期から幕末にかけて、江戸に旅行(お伊勢詣)ブームが起こってからは、東海道など日本各地の名所を描いたものが多くなった。明治になり新しい文化として蒸気機関車などが描かれた「開化絵」も名所絵の一部とも言える。

死絵(しにえ)
役者や戯作者など、江戸における著名人が亡くなったときに発行される浮世絵。今で言うところの追悼記念特集である。歌舞伎役者の中には江戸と上方を往復して巡業する人も多かったので、有名な役者には地方のファンも多かった。浮世絵は、情報伝達の遅い時代にこういった情報を伝える役割も果たした。

張交絵(はりまぜえ)
一枚の絵が何コマかに分割されており、それぞれのコマに関連のない絵が描かれた浮世絵。切り取ってシールのように貼り付けて使ったりする。全部のコマを一人の浮世絵師が手がけることもあれば、複数の絵師で合作することもあった。張交絵そのものは歌川広重が考案したとされている。

武者絵(むしゃえ)
歴史上有名な武将や英雄などを描いた作品。文学作品上に登場する架空の英雄を描いた絵もこれに含まれる。江戸時代は徳川政権の時代でもあったので、幕府からは織豊時代とそれ以後の武将を描くことは禁止されていた。そのため、あえてその時代の武将を描くときは他の時代(鎌倉時代など)の人物という設定にしたり、人物名をそれと分かる程度に変えたりして発行された。特に歌川国芳が有名で、彼の描いた「水滸伝豪傑百八人之一個」の絵と同じ入れ墨が江戸で流行したりした。

物語絵(ものがたりえ)
日本や中国の歴史や古典、江戸時代の人気作品などを題材にした絵。武者絵や源氏絵はこれに含まれる。

源氏絵(げんじえ)
柳亭種彦の合巻「偐紫田舎源氏」を題材にした絵。「偐紫田舎源氏」は「源氏物語」を題材にして、江戸時代の大奥をモデルにして、室町時代のお家騒動を描いた作品(どんな作品なんだか)で、変な髷を結った男と美女が描かれている画題が主。本編で挿し絵を描いた歌川国貞の他、国芳や芳年など、同時代やそれ以後の絵師たちも多く手がけているため、かなりの枚数にのぼる。源氏香の図が画中にあるのも特徴のひとつ。

鯰絵(なまずえ)
大地震を鯰に見立てて描いた絵。安政2(1855)年に起こった安政の大地震の直後に大量に出回った。地中で地震を起こす大鯰を鹿島大明神が要石で押さえることによって地震を鎮めるという俗説を絵画化したものの他、地震の被害状況を伝えたものなどがある。当時は事実を報道する文章や絵は幕府によって摘発されるため、改印、版元名、絵師名が明記されていない。また、短期間に大量に発行されたので、彫りや刷りは概して雑なものが多い。

横浜絵(よこはまえ)
当時、横浜にいた外国人や西洋風建築物を題材にした絵。幕末から明治初頭に流行する。安政5(1858)年に日米通商条約が結ばれてから、横浜の街は開港され、急速に欧米文化を受け入れることとなった。江戸にいた人たちはまだそれらを目にする機会が少なかったので、時代を映す浮世絵の題材となった。

開化絵(かいかえ)
明治維新以後の文明開化を描いたもの。文明開化の風俗や社会現象、西洋風建築物などが描かれた。明治6(1893)年には鉄道を描いたものも登場する。横浜絵が、明治以降は東京を舞台とした開化絵という形で発展したとも言える。

新聞錦絵(しんぶんにしきえ)
明治になり、東京日々新聞(今の毎日新聞の前身)から発行された新聞形式の浮世絵。重大ニュースよりは(今だとスポーツ新聞の三面記事になるような)個人的なゴシップネタが題材とされることが多かった。新聞を普及させるために発行された面もあるが、絵を描いて版を作って発行するまでに時間がかかるため、新聞の普及率が上がると同時に自然にその存在は忘れ去られていった。