★足ながおじさん

 「足ながおじさん」と言えば、ウェブスターの書いた有名な海外児童名作文学の一つでございまして、多感な少女時代に愛読された方も多うございましょう。実はワタクシ、どう考えても少年向きとは思えないこの本を少年時代にトホ母から「読め」と与えられたのでございますが、何度チャレンジしても出だしのところで早々に挫折してしまい、結局読んだことがないままオトナになり、30過ぎのオッサンになってから初めて読んだのでございます。ところが読んでみるとこれが…

対談場所:いわんや家寝室・布団の中

いわんや「オレ子供の頃、おフクロに読めって言われてさぁ、何度も『足ながおじさん』読もうと挑戦したんだけど、どうにも面白くなくていつも最初のところで挫折してたんだよなぁ…」

トホ妻 「まぁ、ありゃ男の子向けの話じゃないよね。でも女の子は『足ながおじさん』とか『少公女』とか、あのへんはみんな読むよ。アナタのお母さんも昔読んだんじゃない?」

いわんや「そうらしいんだ。おフクロは自分で読んで感激したから多分オレにも読ませようとしたんだろうけど、とにかく面白くなくてさぁ…何度も挫折したから出だしの所だけは覚えちゃったよ。ジルーシャ・アボットっていう名前の由来を説明したりして…」

トホ妻 「まぁ、男の子だったら『十五少年漂流記』とかの方が向いてるわよね」

いわんや「それがさ、実はオレ、32だか33になってから『足ながおじさん』読んだんだ…」

トホ妻 「またずいぶんトシ食ってから読んだのね…」

いわんや「それでさ、いや…オレ…実はけっこう感動しちゃったんだよ」

トホ妻 「ははは!そりゃ良かったじゃない」

いわんや「違うんだって。普通の意味で感動したんじゃないんだよ。オレが感動したっていうのは年頃の女の子が読んだ時に味わう感動とは、たぶん全然異質なモノのはずだ」

トホ妻 「…どう違うのよ?」

いわんや「だからさ『足ながおじさん』って、あれは“おじさま”に対してジルーシャ・アボットが書いた手紙っていう形をとってて、まぁ要するに書簡集みたいなもんだろ?」

トホ妻 「まぁそうね」

いわんや「大体どの手紙も『おじさま、昨日はとっても愉快なことがありましたのよ』とかなんとか、まぁ大体そういう感じで始まってるじゃん」

トホ妻 「そうそう。『おじさま、先日はとっても素敵なチョメチョメありがとう』とかね」

いわんや「そういうのをさ、ず〜っと読んでるだろ?そうするとだんだん自分が“おじさま”になって手紙もらってるような気分になってくるんだよな」

トホ妻 「ひゃはは…ほんとかね?」

いわんや「ホントだって!いや、これは女性には分からないかもしれない。男の子でもダメだな。ある程度トシ食ったオヤジが読まなきゃこの感じっていうのは分からないよ」

トホ妻 「はは〜なるほど、つまり…」

いわんや「自分自身がオッサンだからさ、“おじさま?”なんていう手紙をいくつも読んでるうちに、だんだん小説読んでるって感じがしなくなってくるんだよな」

トホ妻 「自分あての手紙みたいで感情移入しちゃうわけだ」

いわんや「もうメチャクチャ感情移入しちゃうんだよ、これが!(笑)いや〜『足ながおじさん』は児童文学の名作とかいうけど、ありゃ間違いだな」

トホ妻 「じゃぁ何かい?『足ながおじさん』はオヤジ文学だったってこと?」

いわんや「まさにそう。“おじさま?”っていう手紙を読んで、“うんうん、そうかそうか”と思ってしまう感覚というのはだね、これはキミ、オヤジにしかわからんのだよ」

トホ妻 「…まぁ確かにそういう視点から『足ながおじさん』を論じたモノはなかったね…」

いわんや「だろ?なぜ今まで誰も気付かなかったんだ?あれはオヤジが読んでこそ本当の良さがわかる本なんだよ。世界のオヤジたちはこぞって『足ながおじさん』を読むべきだ!」

トホ妻 「…………」

いわんや「今、名作文学『足ながおじさん』に新たな光を当てる!あれにはオヤジにだけ分かる…オヤジの心の琴線に触れる何かがある!」

トホ妻 「…あんまり触れたくないわね…なんかアブラぎってそう…寝る(入眠体制に入る)」

いわんや「……………」

 「アタシの話ばっかりじゃなくて、たまにはアナタの言ったことも載せなさいよ」というトホ妻の要求に応えて、今回はいわんやの「足ながおじさん評」を掲載致しました。ワタクシ、実際この通りのことを申しましたし、本当にそう思っているのでございまして、「足ながおじさん」をオヤジが読むと、おそらく女性にもコドモにも味わえないある種の感動を覚えるのではないかと存じます。ワタクシ、この本をコドモの頃に挫折して読まずにいて、オヤジになってから読んだことは全くもって幸運だったと今でも思っているのでございます。

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