★ピンクレディー
「マジメに聞いたことはなくても、あまりに流行っていたために結果的には耳が腐るほど聞いた曲」というのを、20年たつと人はどういう風に音楽的記憶として留めているものか?ピンクレディーのパチンコ台がキッカケになって発生したこの疑問はワタクシにはなかなか興味深いテーマでございまして、某裏日記の方でも触れた話題でございますが、先日、モノはためしでトホ妻相手に“実験”してみましたところ…。
対談場所:いわんや家寝室・フトンの中で
いわんや「昔、ピンクレディーってすごく流行ってたじゃん」
トホ妻 「ああ…いたね、そういうの」
いわんや「こないだピンクレディーっていう台でパチンコやってさ、ピンクレディーの昔のヒット曲をいっぱい聞いたわけさ。するとだね、あれだけ聞かされたヒット曲でも20年たつと記憶の濃淡ができてるんだよな。ある曲は覚えててある曲は忘れてたりとか、部分的にしか覚えてなかったりとか…」
トホ妻 「ふーん…アタシはほとんど知らないと思うよ。ピンクレディーなんて」
いわんや「いや、でもさ、あれだけ流行ったんだから少しは覚えてるだろ?」
トホ妻 「…うーん…」
いわんや「…(コイツの場合ホントに知らんかもしれん…と思い始める)」
トホ妻 「…んー…」
いわんや「…(この話題は無理か…と思い始める)」
トホ妻 「(いきなり)♪ぺっぱぁ〜〜けーぶぅ じゃまをしないで〜え〜♪ ぺっぱぁ〜〜けーぶぅ あたしたちこれから いいとこーろー♪」
いわんや「(やや驚いて)何だ!覚えてるじゃん!しかも歌詞まで正確に!」
トホ妻 「ココだけ覚えてるね。あと…えーと…なんだっけ…(記憶の糸をたぐる)…」
いわんや「♪ちきゅうのっ おとこにっ あきたところよっ♪とか覚えてないか?」
トホ妻 「いや、それじゃなくて、えー…ほら…あの…♪わーたし…なんとか…♪」
いわんや「(ああ、『サウスポー』を思い出そうとしてるんだ、と思ってる)」
トホ妻 「♪わーたし……なんとか………ほにゃらポー♪…」
いわんや「ほにゃらポー!“ポー”だけあってる!(笑)」
トホ妻 「♪わーたし……あ、ピンクだ!♪わーたしピンクの……ほにゃらポー…」
いわんや「いや〜人間の音楽的記憶というのはかくの如く断片的なものかね…ほにゃらポー!」
トホ妻 「あれ、なにポーだっけ?」
いわんや「サウスポー」
トホ妻 「知らないわよそんなの。大体ピンクレディーが流行ったのっていつ頃よ?」
いわんや「オレが浪人してた頃から大学1〜2年あたりだと思うぜ」
トホ妻 「つまり78年とか79年頃でしょ?アタシその頃は…なに聞いてたんだっけ?」
いわんや「あの頃流行ってたって言えば…ユーミンとか…ヤマタツとか…」
トホ妻 「…ホロヴィッツ(注1)が来日したのが大学生の頃よ。つまりアタシその頃はホロヴィッツとか聞いてたんだね」
いわんや「ほ…ホロヴィッツと来やがったぜコイツ…」
トホ妻 「そうそう。大学生前半頃ってジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団(注2)とホロヴィッツばっか聞いてたわね、アタシは」
いわんや「かぁ〜〜〜〜〜…」
トホ妻 「何よ文句あんの?」
いわんや「いえ…ござんせん…」
あの当時、大学のコンパなどではよく誰かがピンクレディーの歌を振りまで付けて唄ったものでございましたが、20年たつと「ほにゃらポー」になってしまうのでございますねぇ…。しかし逆に言えばホロヴィッツなどというタカビーな音楽ばかり聞いていたトホ妻ですら多少は覚えているくらいなのですから、やはり当時ピンクレディーの流行りっぷりがいかにスゴかったかということの…え?そんな昔の話は御存知ない?さ、さようでございますか…。
注1)ウラジミール・ホロヴィッツ:20世紀を代表する大ピアニスト。
注2)ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団:セルが指揮者だった期間だけ、やたら名演奏を残したことで有名。
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