ゆうな様の投稿7

 ぁはぁ…新着投稿と言いつつ、頂いたのはもうかなり前になりますが、おなじみのゆうな様から通算7通目の投稿でございます。ゆうな様は、御主人も今や法曹界にデビューし、住まいも引越し、しかも御長女も出産するといったように、ここ1年程度でなかなか変化のあるジンセイでございますが、ジンセイの変化に関係なくトホホは襲ってくるようでございます。

 という生き物は、“我が子にナニカを与え続ける”ものであるなぁと、最近つくづく思います。
その習性は、子どもが成人しても独立しても、変わらぬようであります。

 てご存知の通り、私は昨秋長女を出産いたしました。
 妊娠・出産にまつわるエピソードはホームページを読んでいただくとして(ちょっと宣伝)、今回は私のトホホな母親のお話です。

 が出産したのは平日の未明だったのですが、その知らせを聞くや、実父は仕事が手に付かなくなったらしく、会社を早退して実母とともに新幹線に飛び乗り、産院にやって来たのでした。
急いで来たわりに、2人が抱えてきたお土産(というか出産祝い品のつもり)は、大荷物でした。
病室で、バッグから次々に出されるお土産の数々。その中のひとつに、私は言葉を失いました。

 が、鼻の穴を膨らませて「こういうものは、芳明(夫)さんに買い物を頼めないでしょう。だから持ってきてあげたわ」
 そう言って取り出したモノは。

 レースのパンティ10枚セット

 ……お母さん。
 確かにそれは、夫に頼んで買ってきてもらう類のモノではないけれど。
 出産直後に、産院で、ナゼ夫に買ってきてもらわなきゃならないほど緊急に必要になると思ったの、パンティが? しかもレース? 10枚??
 …下着くらい持ってきてるよ……。

 母の得意そうな顔を前に、そんな感情をおくびにも出すわけにいかず、受け取ったパンティは、退院するまで開封せずじまいでした。

 て。
娘の誕生以来、私の両親は月に一度、初孫の顔を見にやってきます。
出産の翌月に来たとき、母が持ってきたものは、

 ヘアブラシ

 でした。
「アンタさぁ、病院で髪の毛、ぼさぼさだったじゃない。だから買ってきたあげたわよ」

 ……お母さん。
 出産直後の、まだ全然体調が回復していないときに、病室のベッドの上で髪を乱していたら、ナゼ「この子は櫛を持っていないんだ」って思うの?
…持ってるよヘアブラシくらい…。単にあのときは、身だしなみに気を配る余裕がなかっただけよ。

 日は、米びつ、といっても単なる蓋つきプラスチックケースですが、「これにオモチャを入れなさい」といって持ってきました。ナゼ“オモチャ箱”として売られているものを選ばなかったのかはナゾです。
 その前は、キティちゃんのリュックサックを持ってきました。立てば歩めの親心と申しますが、まだハイハイすらできません。

まこと、親というものは、我が子にナニカを与えないと気がすまないようであります。
結婚しよーが、子どもを産もーが。

げに有難きは親の愛。

次は何を持ってきてくれるのか、ドッキドキ♪ なのです。 トホホ……。

 ホ妻とも時々話すのですが、娘や息子が結婚してイイ年になっているにも関わらず、親はなぜ、その息子や娘に相変わらずいろいろとモノを与えようとするのか?そこに“親の本能”“親の愛”が存在するのは疑いないとしても、深く考察してみるとそれ以外の要素も考えられるのでございまして、たとえばワタクシがパッと思い付くだけでも幾つかの仮説が考えられます。

仮説1.自分が若い頃(コドモが小さかった頃)は経済的余裕もなかったので、コドモに物質的な不自由を強いたかも…という思いを打ち消すための、一種の贖罪的行為である。

仮説2.親自身には特に欲しいものもないのだが、“何かを買いたい”という消費欲求だけはあるので、「コドモにあげる」ことを理由にそれを満足させるという、一種の発散的行為である。

仮説3.もらいもの等で、自分たちでは使う気(あるいは食う気、飲む気、着る気等々)がないモノを、これ幸いとばかりにコドモに押し付けるという、一種の廃品処理的行為である。

 なみに、ワタクシの両親などは仮説1仮説3あたりが濃厚にあてはまる気がするのですが、ゆうな様の御両親の場合は、何しろカワイイ孫という存在もございますし、娘のため孫のためにアレも買いたいコレもあげたい…といった、仮説2に近いものを感じるような気が致します。ただ、プラスチック米びつあたりになると、やや仮説3の匂いも致しますが…。ゆうな様、このたびは投稿ありがとうございました。

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