1999年11月20日出版
お弁当の手紙
定価:700円
発行所 : サン パウロ
(電話:03-3357-8642)


訳者の言葉

小林 真美


私が、本書の翻訳を始めたのは4年前です。そして、この本の著者は、全くの偶然ですが私の学校の先輩です。 先ず、この本を読んで感心したことは、この手紙を書いた時間が1分1秒を争う朝であったことです。特に、韓国の朝は、日本より日の出が遅く、まだ暗い内に,大抵のお母さんたちは、お弁当を作ります。ですから、眠い目をこすりながら、その上、手紙までも書くというのは、なかなか出来ないことです。昨今、子供が親を、親が子供を巡っての悲惨な事件が続く中、皆様が、このような親子の心を結ぶ手紙を書く事で、子供の非行化を未然に防ぎ、また、それ以前に、子供の行動をいち早くキャッチできる手助けになるのではないでしょうか。この本を読むといかに著者が、子供を愛しているかを肌で感じることができます。豊かになった日本、それにつれて子供の非行も盛んになっています。子供は真っ直ぐに育てなければなりません。そのためにも、韓国の母親を代表しているといっても過言ではない著者のこの本を紹介したいと思います。
韓国の次の世代を担う子供を、まだ儒教の精神が残っている韓国では、どのように育てているのか、是非この本を読んでほしいのです。必ず、同じお弁当文化の国として、そして子供を育てる上で共感を覚えることでしょう。教育は家庭から、それも一番近くにいる母親からです。子供がいかに愛され、大事に育てられているかを認識させるのは、かなり難しいことです。子供をどんなに愛しているかということは、日常はなかなか口には出さないし、 忙しくなった現代の生活には、会話の時間も少ないので。
この本の中で書いた手紙が、著者とそのお子さん達にとって、会話以上の心の結びつきとなったのは驚きでした。そして、是非このことを日本の子供を持つ皆様に紹介したく訳を始めました。そして、遅まきながら出版に漕ぎつけられたことを大変うれしく思います。
既に、韓国では、この本の第2部が出版されましたが、先ずこの第1部を読むことで、たぶん、ご自分の昔、子供時代を懐かしく思い出されることと思います。



久しぶりに心がスカッとし、暖かい気持ちになる本に出会った喜び

ユン・ナン・キョン

私は、ジョ・ヤン・ヒさんについて、彼女が『女性東亜』の長編公募に当選され、文壇にデビュ−されたということ。そして、著書に「冬の外出」や「イブの島」などがあることを知っていた程度で、それ以外は詳しく知らなかった。
 その後、偶然「お弁当の手紙」という本が手に入り、タイトルがおもしろそうなので読み始めたが、あまりの面白さに、吸い込まれるように最後まで一気に読んでしまった。読み終って、私は「ジョ・ヤン・ヒさんは、こういう人だったのか!」と感心した。それはなぜかというと、私も子育てをした立場から、これだけのことを私には、できなかったと恥ずかしくなり、彼女の努力に頭が下がる思いをしたからだ。私も娘が小学校1年生の時、何かの理由で一度だけお弁当に手紙を添え、学校に持たせたことがあった。子供は、お弁当よりもその手紙が嬉しくて、その場で飛び跳ねたと後で聞いた。手紙を入れることが、子供にとって、そのようにうれしいことだと知っていても、手紙は、あの時一回限りで終わったのである。それを続けることは難しいけれど、偶にでも手紙を入れてやればよかったと、その子が結婚した後も時折考えたことはあったが、この「お弁当の手紙」を読んでその恥ずかしさが、また蘇ってしまった。その上、お弁当のメニュ−をひと月ごとに作って、実践する根気、アイデアには尊敬せざるをえない。
ともすれば、私たち母親は、子供たちによい服を与え、塾に通わせ、お金を与えることで、母親の役割を果たしたと、又、それが最高のやり方であると錯覚しがちである。子供に対する関心や愛情の欠けた教育、そしてそれは子供自身のためではなく、大人の自己満足のために子供に食べさせ、着させ、塾に通わせる場合が多々ある。
ジョ・ヤン・ヒさんは、愛とともに物を大切にすることも教えている。新しいもの、良いものを買い与えるだけが、愛だと錯覚しているお母さんたちにこそ、是非読んでもらいたい本である。1才の時に使っていたスプーンを学校に上がるまで使わせる心が美しい。 そして、自分の夫にも、自分の父親が若い頃使っていたスプーンを持ってきて、続けて使わせるその心。それは、単に物を大切にするとか、または、けちっているとかという枠を越え、子供が大切な物を愛せるように教えていることだ。その昔、母親達は自分が大切に使っていた針が折れると、それを悲しんで祭針文(注:針を思い、哀悼の文を書くこと。日本では、2月8日に針仕事を休み、折れた針を供養する針供養行事がある)を書いたと言う。その話を聞いた若い世代の人が、理解はおろか、軽蔑したりするということは、家庭でそのような教育をしていないからだと思う。スプーンだけでなく、お茶わんも汁わんも、9年間も使って来て、それを取り替えることは愛着があるので心が痛むし、悩む。そのような心を持ったお母さんが、まだこの世の中にいたのかということが分かって、私は嬉しい。
使用後の包装紙1枚さえも捨てないで、物置をガラクタでいっぱいにしていると小言を言われる私だが、友人の大学教授が、「ご飯が匂うから捨てようとする子供からそれを取り上げ、自分で食べた」というのを聞き、私の同期生たちは、多少傷んでいるようなご飯でも食べた時代を過ごしてきたので、皆が納得をしたが、それを聞いていた後輩たちは、私たちをまるでミイラが生き帰ってきたような古代人だとの変な目で見るのを感じ、果たして、私たちは、そんなに変なのかなと悩んだことがある。そのような中で、若い世代のジョ・ヤン・ヒさんのような方がいらっしゃると知り、大変慰められた。
でも、子供が宿題をしなかった時には、冷たい態度で痛いほど叩く、厳しいお母さんだ。この本は、小学生をもつお母さん方に、是非、読んでほしいと思う。子供の愛し方、物を大事にする心、人間だけでなく小犬や鉢をも、人格をもってそれらを愛する心を教えている。これは、ジョ・ヤン・ヒさんがカトリック信者だからかもしれない。このように、子供に限りなく愛情のこもった言葉で話し掛け、そして関心を注ぐので、子供は変な道に外れることはないだろう。問題児の裏には、大概、家庭に問題があるように、立派な子の裏には立派なお母さんがいるのは、当然なことだろう。久しぶりに心が暖まる良い本を読んで、全てのお母さんたちに必ず読むようにとお薦めしたい。

推薦者・ユン・ナン・キョンさんについて
小説家のユン・ナン・キョンさんは、私たちの母親たちが過ごした古き良き時代を見て育ち、その頃を懐かしいと思っている方だ。また、代々受け継いできた家具に囲まれて住み、古きものを大切にするという気持ちも良く理解している方だ。そして、若い世代の人たちに、「古き良きところも見直し、大切にしてほしい」とアドバイスして


ソウル新聞

小説家・趙陽喜さんの「お弁当の手紙」という本が出版された。 この本は、主婦である趙陽喜さんが4年間続けて娘と息子のお弁当に添えた1300余通の短い手紙と、それを書いている時の気持ちや家族の様子について書いた1000以上のエッセーをまとめたものである。
毎朝登校する子供たちに、その日に守ってほしいことや話したいことを伝えた手紙には、母親の暖かい愛が込められていて、読者の心を打つ。 その上,核家族時代の母親たちに、子供の教育は知識や技術を重んずるのではなく、深い愛と、そして細やかな心遣いを土台にした対話を重視することの大切さを考えさせるだろう。

女性ジャーナル

お母さんが子供たちに「お弁当の手紙」を4年
趙陽喜さんとそれにジンホ、ソンジン、ソンジュンの3兄弟
趙陽喜さんの一日は、早朝、子供のお弁当作りとお弁当に入れるメモの手紙で始まる。
夫のパク・ムン・クュ(44 建築業)と長女・ジンホ(小6)、長男・ソンジン(小5)、末子・ソンジュオ(小1)が食卓で食事をする間、趙さんは、その隣で子供たちに手紙を書く。 ジンホちゃんが、お弁当を持って行き始めた1990年から書き続けてきたお弁当の手紙は、いつの間にかソンジンとソンジュンにまでも書くようになった。 もう4年目である。
お弁当の日には、必ず箸箱に入れてあげていたメモ手紙が、今は、子供たちの机の引き出しいっぱいになりました。今まで集めた手紙は、千三百余通、趙さんは、最近このメモ手紙を一緒にして「お弁当の手紙」という本まで出した。「初めは、ただ子供たちを喜ばせるために手紙を書きました。私がお母さんに愛されている子だと思えば幸せでしょう?そして、私達は子供より早く死ぬでしょう。子供たちに思い出を残してあげたかったのです。」このように始まった趙さんの手紙は、子供たちに誤った行動と考え方を直させ、子供たちの対話の場として継続させた。趙さんは、手紙に子供たちが嫌う食事、野菜、ナムル等を食べさせるため、童話を作ったり書いたりした。「野菜軍は、悪い菌をやっつけるのよ」「麦にはジンク(胚)という酵素があり、かぜとか手足が痛い時、早く治してくれるわよ」「豆で、あなたの顔を書いてあるから、1個づつ取って食べなさい。」などなど。
「お母さんの手紙を初めてもらった日は、とても嬉しかったです。お弁当の時間には、いつもお母さんのお手紙を開けて読んで、そして一人で笑っていたので、先生やクラスの人たちにもお母さんの手紙が知れました」 たくさんの人たちが、お母さんから手紙をもらうジンホをうらやましいと思いますが、ジンホには、かえって黒い雑穀ご飯より白いご飯を持ってくるお友達がうらやましかった。 けれども、お母さんの手紙が嫌いではなかったし、日がたつに連れ、内心「今日はどんな内容かな」と気になってきた。「毎日もらっていた時は知らなかったのですが、5年の2学期から給食になり、お母さんからの手紙がもらえなくなったので、もらっていた時が懐かしい」と言うジンホ。
1日も欠かさず手紙を書く趙さんなのだが、命日とか家の内装とか、具合の悪い時は「どうしてこんなことを始めたのかな」と思ったりもする。 だけど子供たちと実際にお話が出来る時間が少ないことを考えると、手紙を通してお話が出来るのは大切だと思う。「手紙を読んで、すぐに或る効果が出るよりも、将来、子供たちが大きくなってから、この手紙が子供たちの心の支えとなって、善悪を考えらるといいのですけど、、」。
趙さんは手紙の中で、節約、愛の精神などをいつも強調する。「昔の諺に、豆ひとつを半分づつ食べると言う、美しい諺があるのよ。あなたたちもそうするといいわね」「廃品のお金80ウォンをちゃんと貯めといて、大切に使いなさい」などなど。
お手紙のおかげか子供たちは、物を大切にするようだ。鞄を一回買ったら修理して使い、3〜4年は使うので、趙さんのほうが代えようと言っても子供たちが嫌がる。ソンジンは小学校1年の時に使っていた筆箱を今でも使っている。古いものを大切にして、捨てられないのが、趙さんの習慣でもある。趙さんの祖父が作り、また趙さんの父が結婚する時に持っていた入れ物を趙さんが結婚する時に持って来て、今では子供のおもちゃ箱として使っている。15年前に使っていたカップも勿体無くて捨てられないので、まだ持っている。「新しい物には、まだそれ自体に歴史が無いですから」と言う趙さんの心は、子供のお弁当のおかずから、家の隅々にまで染み込んでいる。



限りないほどの子に対する愛と母の匂いが溶け込んでいる本

イ・ソン・ホ

今日、私達の問題の中で一番大きいことは、対話の不足である。家庭でも、職場でも、学校でも、街でも対話が無い。 あったとしても、しかたなしに交わす意味の無い形式的な対話。それも建て前の対話、または食べていく為に交わす対話があるだけである。
教育において一番原始的ではあるが、最も本質的な方法は対話である。それは家庭教育でも同じだ。 父母とその子女の間の、教師と学生の間の心を乗せた本当の対話ができた時、教育は成功する。 今日、韓国の教育の現場で、青少年たちの事故と 行動が荒れている根本の理由は、ほかならぬこのような対話が行われていないからだ。
対話はいつも顔を見詰め合ってできることだけではない。 顔を見なくても互いの心を繋ぐ方法には色々有る。その中の一つが、手紙を通しての対話であると思う。 だから私は、たまに子供が寝ている時、言いたいことをメモにして子供たちの枕元か机の上に置いたことがある。 そのようなメモは、父母と子の心の距離を縮め、愛を深めるものと確信している。 そして、ここにジョ・ヤン・ヒさんが、三人のお子さんと大切に長い間、対話をした話を読んで、まずは恥ずかしく、そして嬉しかった。 恥ずかしかったのは、私だけが子供と手紙のやり取りをしたと思っていたのに、実は、私よりもっと一生懸命そのようにやっていらした方が居るとわかったからだ。嬉しかったのは、この核家族の時代に、本当の子女教育の見本を見せて下さった方を確認できたからである。
子供を育てる時、親はとかく知識をもたせ、技術を身につけさせようとします。でも子供は、知識とか技術だけで育てるものではない。 愛と限りない子供への関心、そしてそれをベースにした対話とで育てるのである。 ジョ・ヤン・ヒさんは、まずメモ(お弁当の手紙)を通して、子供と多様な内容について対話をされた。健康についての対話、生活習慣と家族関係、勉強の方法、音楽、宗教、教育問題、異性問題、ハングル(韓国語)の日のような記念日についての話など、本当に多様な内容を持って子供たちと対話をされた。 それだけお子さんの考えを広くし、いかにお母さんの関心が深く広いということを子供たちに感じさせた。よく、何を持って対話をすればよいか分からないという人々にとっても、このお弁当の手紙は、良い解決の糸口になるだろう。
私は、この本を先ず多くの父母達に読むことを薦める。ジョ・ヤン・ヒさんが、この文は「他ならぬ自分自身に対する訴え」だと言ったように、ここに書いたジョ・ヤン・ヒさんの子供との対話は、私たち父母、子供を愛で育てようとする全ての父母たちに対する訴えだと思う。子供に対して、無条件に盲目的な愛ではなく、意味があって、お母さんの匂いが染み込んでいる生活の中での愛が、何かを教えてくれる文章で、私は、全てのお父さん、お母さんに読んでいただきたいと思います。また、私は、この本を多くの教育学者や心理学者にも一読をお勧めしたい。特に、子供の教育と成長する過程での発達段階に力を入れている学者の人達が読んでくれることを祈る。いつも学者の理論に拘り、それを紹介し、応用させようとする学者たちが、このお弁当の手紙を読んで、本当に私達の社会の中で、一つの平凡な家庭の父母と子女の間の対話が何を素材にして、どのように行われているのかを感じ取って欲しい.この文に書かれている子供たちの思考と行動、そしてそれをみつめている父母の鋭敏な観察力と理解力は、すなわち児童の発達段階における現場の具体的な研究成果である。最後に、私は、この本を私たち小学校、中学校の先生たちも是非読んで欲しいと思う。先生と父母との連帯感を作るということが教育の現場では何よりも重要だからである。
これまで私は、留学を終え、就職をする学生たちの為に、数え切れない程の推薦の文を書いたが、このように本を推薦することは初めてである。それだけに、私にとってこのことは、大きな喜びだった。さらに、このように心に厚い余韻を残してくれる本を推薦できることはこの上ない喜びである。


この文を書いたイ・ソン・ホ教授は、教育学者で完璧な人間を育てるためには、まず教える人が完璧でなければならないと主張しています。そして、父母が全身全霊を注いで、子供たちを育て、質の高い対話を交わし、愛情を注いで育てた時に子供は初めて、立派な人間として育つのだと考える。



著者の言葉

趙 陽 喜

「子供たちに送った手紙は、他ならぬ私自身に言い聞かせる事柄だったし、日常の色々な出来事の中での私の分身でもあったのです。 お弁当が必要な日には、手紙もそこにありました。子供たちは毎朝、「お母さん,手紙入れてくれた」と聞き、手紙をもらう嬉しさを私に知らせてくれました。心のこもった手紙は、人の心を幸せにするプレゼントのようです。大学時代に寮で過ごした私は、母からたくさんの手紙をもらいましたが、返事は出せませんでした。この世で、お弁当の手紙を一番多くもらっている筈の私の子供たちも、私自身がそうであったように、返事をくれません。
私は、母にしなければならなかった返事を、今になって、母の代わりに子供たちにしているような気がします。母性愛は、川の流れのように下へと流れるようです。お弁当は、母親の乳腺だと思いますので、私は子供たちに、ご飯とおかずだけを持たせることは、できませんでした。食事をしている間に、「良い行い」と「悪い行い」を教え,「叱る」よりは「誉める」ようにしました。身体の健康よりもっと大切なことは、子供時代に母親から習い、それが身についた精神的な健康だと思います。そして、少年の時期にもらったこの「お弁当の手紙」が、子供たちが将来、体験するであろう生活の困難さを無事に乗り越えて行く為の貴重な助けになれば…と思っています。実際、お弁当のおかずそれ自体は、母、祖母、そして姑に習ったものを入れただけです。手紙をお弁当にちょっと入れたのが特別だったとすれば、そうかも知