特別閲覧室(古書・貴重本) 禁帯出

伊能忠敬著書

                                                                                    
NO. 書 名  編 成 内 容 出版年 西 暦   備  考  
No. 測量野帳 数葉の断片 測量時に実測した距離・方位・沿道地勢の概況を
記したノート。地図製作の根本資料、測量施行の
実況を記録した貴重な原簿。かつては数百冊(あ
るいは1千冊以上かも)存在したと考えられるが、
ほとんどが反古として使用されるなど、散逸・壊
滅に帰し、僅かに伊能家古書類の間に介在して残
留するのみである。
出版年 西 暦 備考
1 山島方位記 67冊 諸町村から遠望される目立った山頂、島嶼、岬、
天守閣等の方位を精密に測定したデータの記録。
導線法による距離と方位の誤差を修正するために、
測線上の約六万箇所から交会法によって測定した
方位が記入されている。地図調整のため測線中適
宜の地点から行った方位測定の観測記録を測量野
帳から浄書したもの。多少の脱落箇所はあるが、
我が国の全域にわたってほぼ完備して伊能家に現
存している。写本は帝国書院にある。
自 寛政12年 至 文化12年 1777〜1888年 自筆
4 北極高度測量記 1冊 測量中に、各地点で観測した諸恒星の視高度を、
江戸黒江町で観測した視高度と対照して、その地
点の緯度を算定した表。もとは数十冊もあったら
しいが、享和2年のものが1冊だけ残っているだ
けである。江戸時代は、星座や星の名前は中国の
ものを用いていたのでこの記録も中国の「三垣(セイ)
二十八宿」
に分類した星の名前で、その高さ
が記されている。
 享和二年 1777〜1888年 自筆
17 恒星南北視高度、太陽黄赤経緯度1冊 恒星について、南北視高度、並びに
太陽黄赤経緯度を記したもの。
享和3年2月 - 自筆
7 一里六分図東西之経度并自
北極下図直円経差
1冊 これまでの経緯線の記入法を修正し、緯線を曲線で
描き、各経緯線ができるだけ直交するような新しい
投影法を考案した。そして一里を六分の割合で表し、
北緯二十九―四十四度の各緯線と、これと交わる各
経線の描き方の計算を
試みたもの。文化十二年
ごろに行った。これは地図として描かれるまでには
至らないで終った。
- -年 自筆
No. 大日本沿海実測録(輿地実測録) 14冊 実測した沿海および街道における1千2百余りの地点に対する緯度、沿海線の延長、街道の里程を記録し、輿地全図とともに幕府に上呈したもの。全13冊よりなり、他に序自凡例1冊がある。原本は紅葉山文庫に所蔵されていたが、明治6年の火災で伊能大図とともに焼失した。 出版年 西 暦 -
No. 測量日記 編 成 寛政12年2月15日蝦夷測量から文化13年4月12日伊豆地方に派遣した測量隊が江戸に帰着するまでの17年間にわたる測量に関する事項を記録した日記。 出版年 西 暦 備考
No. 江戸日記 若干冊(3冊現存) 忠敬は佐原在住時代から日記をつけていたと思われるが、ほとんど散逸して今日現存するものは文化3年11月から文化5年1月の日記が1冊、文化6年1月から同年8月の日記が1冊、文化11年5月から同年末日までの日記1冊の計3冊に過ぎない。その内容は毎日の天候、来客、往訪などで、概して簡単な記録が多い。 出版年 西 暦 備考
19 地球測遠術問答 1冊 地球面上における測量に対する三角法の
応用につき、間重富と往復した諸文書を集綴した小冊子。三角法の1例題の解答を載せたもの。
- - 自筆
8 国郡昼夜時刻 上下 - 24節気について5日毎に本邦各地
における太陽の出没時刻、及び昼夜の
時間を計算して表にしたものである。
- -年 自筆稿本
9 国郡昼夜時刻 - 日本諸地点の太陽出没時刻と昼夜の時間を、
各季節につき、球面三角法によって
五日ごとに計算したもの。No.8の
内容を清書したものである。
- -年 自筆清書本
18 対数表紀源術并用法    2冊(1冊現存) 安島直円が案出した対数算出法に
よって、諸数の対数を小数点以下十位まで
計算した一覧表。 上巻亡失。
- - 自筆
18 求割円八線表    現存せず 正弦の値を利用して余弦の値を算出する法を述べたもの。墓碑や東河伊能翁伝中にみえるが、現在のところ所在が明らかでない。 - - -
18 割円八線表紀源法    現存せず 墓碑や東河伊能翁伝中にみえるが、現存しない。
内容不詳。
- - -
20 仏国暦象編斥妄1冊 仏教天文学の唱導者であった釈円通の
著書である仏国暦象編(文化7年頃刊行。西洋暦説を攻撃した荒唐無稽の書)の内容について、
忠敬が各章毎に、自己の知識や
全国測量から得た資料 を基にして
誤記のあることを述べたものである。
特に、巻二の「西洋に定める所の地球
経緯之里数是非を論ず」の章では、
忠敬が全国測量を するまでの経過や
十次の測量のようす、子午線1度の
長さの決定に至るまでの過程などが詳しく
記され、オランダ、フランス等西洋で定めて
い る地球経緯度の長さがまちがいで
あることを指摘している
文化13年秋以降 - 自筆稿本
No. 奥州紀行 1冊 安永7年5月28日から6月21日にわたり忠敬が
34歳のとき妻ミチと従者2人を伴い、塩釜・松島観光に出かけた
折の記録。2・3の寺社の縁起、石碑に刻した
古歌等を集録したものを除いては簡単な内容である。
松島諸島の名称、各宿駅間の里程、人馬駄賃や領分界については
逐一記入し、最後に往復行路の総里程を記しているが、
地理形勢について記している記事は
見当たらない。
出版年 西 暦 備考
No. 関西旅行記 編 成 寛政5年2月28日から百余日にわたり伊勢神宮 出版年 西 暦 備考
No. 沿海 編 成 内 容 出版年 西 暦 備考
2 諸国測量地図北極高度并東西度 - 諸国のおもな地点の緯度差から、
地図上の南北の寸法を、また
経度差(これはこの表には記入
されていない)
から南北地点の寸法を計算したもの。
 
 

自筆
3 文化五年四国、大和地測量・文化七
年九州之一部測量、東西南北距離記
- No.2と同じで、それぞれの地点
と江戸原点との経緯度差から地図
上の東西・南北の長さを計算している。
自 寛政12年 至 文化12年 1777〜1888年 自筆
5 享和三年癸亥諸国沿海測量行程 - 享和3年に測量した沼津、江尻、
糸魚川、佐渡、長岡など、それぞれの
宿駅間の道程を記録したものである。
 享和三年 1777〜1888年 自筆
6 北極高四十度之地冬夏至昼夜時刻 - 北極高度40度の地点における冬至と
夏至の昼夜時刻を記したものである。    
- -年 自筆
10 国々居城陣屋附 - 測線沿道の大小名の、その居城、
陣屋などの所在地を列記したもの。    
- -年 自筆
11 黄赤経緯互推法 上下     2冊 諸恒星の高度と赤経、赤緯の換算法を
述べ、次に諸恒星の黄赤経緯度、歳差を
計算した表。
- - 自筆
12 太陽在交所図解 1冊黄道と白道(月の軌道)との交点の関係、
およびそれが日月食に及ぼす影響を
図解したもの。
- - 自筆
13 交食推歩数                        
・ 文政6年十二月16日、
月帯食、京師之数。
・ 文政7年6月、朔食、東都立算。
・ 文政8年10月6日夜、
月食、佐原・東都の数。
・ 文政4年2月朔日、日食、東都之数。  
12点1袋 黄道と白道(月の軌道)との交点
の関係、およびそれが日月食に及ぼす影響を
図解したもの。
- 文政二年八月 自筆
14 恒星経緯表 1冊 (暦元、寛政丁巳所当、歳差、星府)- 寛政9年所当 自筆
15 恒星経緯表 1冊 (文化7年所応、赤道緯度実測、
推歩赤道緯度、推歩赤道経度)
- 文化七年 自筆
16 恒星表    (文化10年応、赤道緯度実測、
推歩赤道緯度、推歩赤道経度)   恒星経緯表
1冊 No.13、14、15、16は、
それぞれの年における赤緯実測値と
儀象考成の数値から推算した赤緯、
赤経値を記したものである
- 文化十年応 自筆
21 文化十四年丁丑為仮元1冊 文化14年を仮元にする為の用数
(日周、度法、周天度、歳周、気策、候策、
土曜策、太陽最卑毎日平行、朔周、月閏
など)が記されている
- - 自筆
22 雑録 子午線一度長計算其他 1冊 この中には、次の5点が記されている。  
・ 享和元年に測量した資料を基にした
子午線1度の長さの計算。  
・ 享和元年に測量した江戸と野辺地間の
諸地点の東西距離。  
・ 享和2年に測量した沿道各地間の里程。  
・ 享和2年に測量した江戸と白川間の測量
資料による子午線1度の長さの計算。
忠敬の歩間。       
・ 享保2年2月の望月食観測録
- - 自筆
23 測量雑書 辰弐1冊 垂搖球儀のかけなおしの日時と太陽心中、
織女大星、火星の時計数が
記してある
- - 自筆


『伊能忠敬の地図と史料』より引用

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