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1章 ロラン落城


 はじめての舞踏会で踊った左回りのワルツの余韻がまだ身体にのこっている。ほんの何分か前に14歳の誕生日をおえたロラン公国第一息女シア・ロランは、天蓋付きのベッドの中でどうしても眠れずに何度めかの寝返りをうった。
 指先に、腕に、腰に、仮面をつけた白せきのパートナーの感触をまだ思い出せる。凝った飾りの仮面に、豪奢なマントをひるがえしてきれいなタ−ンを決める姿はまだ少年に見えた。しきたりに従って、国も位も名前も知らされていないが、すずやかな緑のシアを映す眼差しを一生忘れられそうにない。
 真夜中をすぎてもホ−ルで続く舞踏会の音曲が、シアの寝所にまで届いてくる。もういちど絹のシ−ツに寝返りをうって、我慢できずにシアはベッドに起き上がった。初夏の、うすい下着に夜着をはおったまま素足を魔法陣が網みこまれた絨毯におろす。
「ぬけだしちゃお−っと」
 突然の鳴動が大気を震わせたのは、その時だった。

 東部の小国、古い歴史をもつロラン公国は、この季節諸国からの来訪者で賑わう。カルナバル、夏祭り−−公国そのものと同じだけ昔から催される旧い祭りのためである。
 隊商、傭兵、最下級のジプシ−から、高級貴族や諸国の王侯公族までが、祭りの一週間のために世界中から集まってくる。そしてこの期間、堅固な城砦に守られた都市国家ロラン公国はすべての門を開け放ち、老若男女貴賤を問わずありとあらゆる来客を受け入れる。東部随一の文化と歴史を誇り、軍事力よりは政治と外交の駆け引きでその命運を保ロラン公国は、この夏祭りの間だけ誰もが参加できるお祭り騒ぎに興じるのである。
 分厚い城壁に護られた白亜の石造りの旧い城砦都市が、突然の侵略者に襲われたのは、カルナバルの五日目、公王ロラン七世が催す公宮舞踏会がまさにクライマッスに達する真夜中十二時の鐘が鳴りだすその時で会った。                     正式な記録に、このときのロラン公国公王ロクサ−ヌ・ロラン七世の反応は記されて いない。しかし、玉座に公女デラをともなって座していた公王は、攻城砲の雷鳴の轟音に眉一つ動かさなかったという。ただ、静かなレクイエムを楽団に指示し、あとのことを公女デラにまかせてシャンデリアが揺らめくメインホ−ルから退出したという。この後、公王ロラン七世が再び記録にその名を残すことはない。

「ア−フェス!ア−フェスはおらぬか!?」
 無数のランプで昼間のように明るい廊下を足早に歩きながら、ロラン七世は宮廷付き魔法使いの中で最大の力をもつ魔女の名を呼んだ。
「ここに」
 公王の影が立ち上がったように淡い青いケ−プをまとった細い姿が現れた。
「相手はやはり帝国か?」
 高位の魔法使いであるア−フェスは、自身が必要と思う時は常に公王に付き従っている。ア−フェスがどこから現れたかも気にせず、ロラン七世は足を止めない。
「隣国ルゴンの国王エルクラ−ドに従っていた近衛隊が主体のようですが、戦力の大部分はゼク−ト帝国です」
 いつもは全く感情を廃した声のア−フェスが珍しくト−ンをあげている。
「申し訳有りません。出きるかぎりの術を使い、敵の意図をくじくつもりだったのですが」
「あなたが気に病むことではない。責任があるとすれば私のほうだ。帝国の意図をしりながら言葉にのみ頼り、ひたすら衝突をさけてきた私にな」
「交渉では、つけいる事のできなかった帝国の負けです。それゆえ帝国は実力行使に出るしかなった」
「その結果がこれだ」
 二発目の攻城砲の直撃が雷鳴と共にロラン城をゆるがした。市外からの長距離射撃端、本格的な戦闘の予告にすぎない。用兵学を知っている者の指揮なら、そして全ての門を開け放ち、誰でもがたやすく入れる今のロラン公国なら、すぐにでも戦闘は次の段階に移行する。市街に侵入した兵たちの同時蜂起、そしてカルナバルに浮かれる街での白兵戦−−おそらくそれは戦力に勝り、準備を整えた側の、一方的な破壊と殺戮になるだろう。
「国を政るには、私は失格だな」
「いえ、ロラン公はよくなされておられます」
「慰めはいらぬ」
 公王は、自らの寝所へのドアを開けた。
「それに、私はこの期に及んでも戦うことは考えられない。後世の史家は私を弱腰の無能者とわらうだろう」
「しかし・・・」
「いうな。私とてこの血の意味は知っている。万世一系の光の血筋か。ご先祖様も罪な血を残してくれたものだ」
「・・・」
「遠からず尖塔に白旗を掲げさせる」
「では国を明け渡すおつもりですか?」
「破壊からこの国を護るにはそれしかあるまい。しかし、その前にやることがある」
 夜の星空をイメ−ジさせる寝所には、ベッドの他に大した家具はない。公国家の者以外は立ち入りを許されない寝所に、公王はア−フェスを伴なって入った。壁の星座二描かれた公国家の守護星座の七つ星をさだめられた順番でおすと、かくされていたサイドボ−ドが床下から浮き上がってきた。夜空を思わせる黒い大理石細工の小箪笥を、公王は常に持ち歩いている鍵束でひらいた。
「永の宮仕え、ご苦労だった。賢帝ロランI世の御世から七代、良くわが公国につくしてくれた」
 淡い青のケ−プをまとったア−フェスは、色白の細面を声もなくうつむかせた。その姿は若いときのまま、ただ、決して切ることのない黒髪が長く流れ落ちている。
「諦めるのですか?ただの一度も刃をまじえずに?」
「勝てぬ戦なら、力は使わぬほうがいい。帝国は、この都まで破壊しようとは思わんはずだ」
 公王は、小箪笥の中から濃いブル−の宝玉を無造作に取り出した。
「それは・・・」
 ア−フェスは表情を変えた。
「アクラの瞳・・」
「知っておろう。我が公国家に伝る、世界に光をもたらすための三種の神器の一つ。これを持っていってくれ」
「しかし、それはロランがロランたる証の・・・」
「これを帝国に−−闇に与するものに渡すわけには行かぬ。本日をもってア−フェス、お前を城魔術士の任から解く。ご苦労であった」
 ア−フェスは、古い印を切ってアクラの瞳を受け取った。
「お預かりします」
「いくがよい」
 ロラン七世はうなずいた。
「伝説にはお前の役割もあるのだろう」
 ア−フェスが、銀色の瞳を公王に向けた。この王が、ただの平和主義者ではないと思うのは、こういう時である。恐るべき読みの深さと、東部随一と言われる外交手腕をもってすれば、この戦乱の世に覇をとなえることもできたろう。しかし、この王は、その能力をひたすら国を安定させる事にのみ使ってきた。代々の王がそうして交易以外にこれといった産業を持たないロラン公国を栄えさせてきたように。
「では、とうとう始まると?」
「予言はお前の役目だ。が、この国はもう随分と永い間平和に安定していた。そろそろ次の時代が来てもおかしくあるまい」
 ア−フェスは、無言で頭をたれた。いくつめかの攻城砲の響きが、ロラン城を揺るがす。
「ゆけ、ア−フェス。未来を、頼む」
 ア−フェスが、顔を上げた。ロラン七世は、いままでにア−フェスのこんな顔を見たことがなかった。絶望と、憂いと、そしてほんの僅かの希望を混ぜるとこんな悲しい笑顔になるのだろうか。
「いずれまた」
 ア−フェスは、ラスト・ダンスを踊り終えたように優雅にケ−プのすそをひいてロラン七世に一礼した。
「このシルリグド・ア−フェスが仕える国はロランのみゆえ」
「さらばだ」
 淡い青のケ−プが翻ると、ア−フェスの姿は影のように消えていた。

「えらいときに潜りこんじまったなあ」
 ケンは、人気のない回廊で、ぼさぼさの赤毛をぽりぽりと掻いた。
「カルナバルの最中なら警備も監視も手薄になると思ったんだが・・・」
 古い歴史と伝統を持ち、昔からの交易でさかえるロラン公国。その大公ロラン七世の居城の奥深くに代々伝えられるという幻の宝、3種の神器。それを持つ者は世界に光をもたらすことも闇で覆う事もできるという三つの宝、珠と剣、そして指輪。アクラの瞳、カ−ンの牙、セルサ−ムのXXと呼ばれる三つの秘宝を求めて、ケンはカルナバルに浮かれるロラン城に潜った。そして、城の奥深くまでたどりついたとき、天地を揺るがすような雷鳴をも聞いたのである。
 凄腕の傭兵として城攻めに参加したことも、攻められて籠城したこともあるケンは、すぐにそれが攻城砲の響きだとわかった。
 傭兵としても、ドロボ−としても即断即決は生き延びるための基礎である。本来なら、ケンは攻城砲の砲撃が始まると同時に逃げるか、それとも仕事を続けるかを決めるべきだった。にもかかわらず、まだ動き方を決めかねている。
「さあて、どうしたもんかな」
 なるようにしかならんか、と思って、ケンは潜入を続けることにした。
「これでやられちまうなら、それまでの運しかオレに無かったってことだ」
 とうに捨てた筈の昔の自分が、この先で誰かが待っていると告げるような気がする。自虐的な笑みを浮かべ、ケンは回廊の梁に跳び上がった。

「不手際だな、マリン」
 紅い天幕が張り巡らされた陣に、まるで少年のような顔とからだの指揮官がいた。
 ロラン城を見下ろす小高い岩山の上に、ルゴンの補給陣がしつらえられていた。騎士をその主体とし、強力な騎馬軍団の機動力で知られるルゴン国王の近衛隊。国王エルクラードの直命によって、隣国ロランの喉元に直接攻め上って来た軍団の指揮官は、槍騎兵として名を馳せている近衛隊長モークバウワーではない。各隊の指揮はそれぞれの軍団長がとっているが、すべての計画と作戦の立案、兵の展開、そして攻撃開始命令は、エルクラードの勅書を持つただ一人の少年によって行われた。
「申し訳ありません。城と街の要所要所にはられた防護結界が予想外に固く・・・」
 細いからだを赤いマントに包んだ女騎士が、少年の前に膝をついた。ランプの光に照らしだされた血の色のマントの背には、金色の糸で巨大なサソリの精緻な刺繍が施されている。
「あのアーフェスが護る城だ。守りが固いのははなから承知のはず。それを打ち破れるだけの、充分な魔道士の数を揃えたはずだが?」
「畏れながら、アーフェスの力は予想以上です。たかが白魔術の使い手、まさか戦いにおいてこれほどの力を持っていようとは」
「言い訳はからだに聞く」
 少年は、切れ長の緑の瞳に不思議な光を宿らせて、白い革手袋をはめた手を上げた。
「す、すいません、お許しください!」
 少年は、空中に奇妙な形の指文字を描いた。うう、と込み上げる悲鳴をかみ殺し、膝を着いた女騎士が肩を落とす。乱れたマントの合わせ目から、裸身に金属粉を塗ったようなタイトな甲鎧が見える。 


(このつぎのシ−ン、攻め手側の帝国軍の陣地。帝国オブザ−バ−にして実質的司令デュ−クとその直属の部下、魔蠍将軍マリンとの会話。身体ぴったりの金属製レオタ−ドみたいな甲冑姿のマリン、魔道部隊の不手際を責められ、手も触れられていないのに股間をおさえて呻きながらへたり込む。)

「しまった!」
 いきなり、足元の梁が消えた。天井裏にまで張りめぐらされた結界に踏み込んだ、と思うまもなくケンは落ちていた。空中でくるりと回り、音も立てずに黒大理石の床に降り立つ。
 落ちた部屋には先客がいた。敵か味方か判断する前にケンは素早く腰のナイフをぬいていた。
「ほう、女か」
「・・・・・・」
 身構えながら、ケンは相手の顔をみた。
「一目で女と見破ったのはあんたで二人目だ」
 薄汚い傭兵の身なりで、ぼさぼさの赤毛を無造作に束ねた上に伸びた前髪が目を隠している。声も聞かずに女だと見破られたことは今までに一度しかない。
「私は、ロラン公国大公ロクサ−ヌ・ロラン七世だ。もうすぐ落ちる国の王に何のようだ?」
「大公!?」
 思わず背筋を延ばし、ケンはナイフを持ち替えて正式な印を切った。切ってから、苦笑いを浮かべてナイフを鞘に戻す。
「オレの名はケン。傭兵で、いまはただの泥棒だ」
「アクリスの手の者か」
 呟いた大公に、ケンは今度こそ仰天した。騎士団の数だけ、流派の数だけあると言われる印を見ただけで言い当てるには、相当の鍛練を必要とする。
「あんたも・・・失礼、大公も武道をやってるのか?」
「傭兵といったな」
 大公は、質問に答えず、じっとケンを見た。
「今の雇い主は、誰だ?」
「最近は、気が向かなくてね」
 ケンは、油断無く部屋のなかを見回した。大公夫妻専用の寝所らしい。
「勝手に稼がせてもらってる」
「では、雇おう」
「なに?」
 突然の申し出に、ケンは目を剥いた。
「さっき、オレはドロボ−だって・・・」
「たとえそれが猫の手でも、戦力が必要なのでな」
 ロラン七世は、小箪笥を開いた。ぎっしりと宝石や指輪が入った箱を取り出した。ケンの前に示す。
「報酬は、これだ。何でも、好きなだけ持っていくがいい」
 大公の目を見て、ケンはため息をついた。
「参ったね・・だいたい、こういうことに付き合うとろくなことにならないんだが」
 呟きながら、宝石箱をのぞきこむ。紅い瞳が物色をはじめる前に、す−っと細身の短剣に吸い付けられた。
「・・・これを貰おうか」
 大公の顔に笑みが浮かんだ。
「それだけでいいのか?」
「ああ。こいつを頂きにきたんだ」
 ケンは、凝った飾りのついた鞘から、銀細工の柄を握って短剣を抜こうとした。
「知っているのか?」
「いや。だが、一目見て判った。これが、カ−ンの牙か」
 短剣を抜かず、ケンは、束に填め込まれた紅い宝玉に見入った。
「相応しくない者の手に渡ると、そいつの運命まで食っちまうって言う魔剣が、こいつか・・・」
「知っていてそれを選ぶとは。伝承を信じていないのか、それとも自分の運に余程の自信があるのか?」
「自分の悪運には自信がある」
 奇妙な笑みを浮かべて、ケンはロラン七世に顔を向けた。
「かつての持ち主に一つ聞きたい。あんたの運命は、こいつに食われちまったのか?」
「この男一つの命で運命が変わるのなら、いくらでも差し出してやる。」
 不意に、ロラン7世の表情が厳しくなった。
「自分の国はおろか、家族すら守れない男の運命など、食うほどの値打ちもないと言う事かも知れんな。」
「大公様の運でも足りないとは、随分と貪欲な宝物だな」
 ケンは、手にした短剣を軽く放り上げた。
「そんなたいそうな重さじゃないぜ」
「それが、お前の命の重さだ」
 真剣な眼差しで言われて、ケンは危うくカーンの牙を取り落としそうになった。
「重いか、軽いか、自分で決められる事かどうかくらいは知っておろう。」
 今まで生きて来た、自分の人生まで見透かされたような気がして、ケンは大公の顔を見た。
「参ったねこりゃ。・・・あんたみたいな上に仕えてれば、おれもここまで落ちずに済んだかもしれないよ」
「報酬は与えた」
 柔和に微笑んで、ロラン七世は言った。
「そう思うなら、役目を果たしてくれ」
「そうしよう」
 心底からそう思って、ケンは大公の御前に膝をついた。
「フロリア・アクリス、たったいまからロラン大公に剣を捧げよう」
「もしよければ・・・」
 方通りの印を切らず、大公は自らの右手から指輪を引き抜いた。
「そなたの忠誠、我が娘に捧げてはくれぬか?」
「・・・・・・」
 答えず、ケンは顔を上げた。
「いきなりそこまで見込まれるとは思わなかったな」
「人を見る目には自信があるつもりだ」
 大公は、自らの右手から抜いた小造りな指輪に目をやった。
「娘を、この城から連れ出してくれ」
 あいよ、と答えかけて、ケンは目を剥いた。
「っと待て!大公の娘ってったられっきとしたお姫様だろうが!!」
「報酬が不足か?」
 言われて、ケンは自らの手の中にある短剣に目をやった。
「・・・先に貰うもん貰っちまったのは、失敗だったかもな」
 くるりと短剣を回して、ケンはカーンの牙を内懐にしまった。
「解った。仕事は、お姫様をこの城から連れ出す。それだけでいいのか?」
 あっさり言ったケンに、今度は大公が目を剥いた。
「出来るのか?」
「もっと部の悪い戦さだって何度もあった。まあ、出来るだけのことはしてみよう。」
「最後の最後に、良い騎士を得られたようだ。城下に、マヌエラの宝石箱と言う名の売春宿がある。そこに、シアを連れて行ってくれ」
 売春宿と聞いたケンの瞳に、不思議な光が走った。
「姫君を、世界最古の職業に転職させる気かい?」
「まさか」
 大公は苦笑した。
「マヌエラと言う名の女主人に会えば、後の手筈を整えてくれるはずだ。世界を・・・いや、そんなものはどうでも良い。娘を、守ってやってくれ」
「承知した」
 もう一度、ケンは大公に膝をついた。その前に、大公は指輪をかざした。
「これを渡してやってくれ」
「これは・・・・」
 ケンの顔色が変わった。
「まさか、王位の・・・」
「ゼクートが、どこまで形式にこだわるつもりなのかは解らぬが、これがなくては王位継承の礼も即位式も出来ぬ。この戦いが終わったら、わたしには必要の無いものだ。」
「・・・・・・」
 渡された指輪を見て、ケンは溜め息をついた。
「オレがもうちょっと考えなしなら、世の中少しは楽しく行けると思うぜ」
「娘を、・・・シアを、頼む」
 返事の変わりに、ケンは背中から細身のレイピアを引き抜いた。泥棒家業の接近戦にはナイフの方が使い易いが、鍛え上げられた使い手と切り結ばねばならない事もある。そのために持っているレイピアだが、すっと背を延ばしたケンは、顔の前に掲げた剣で主君に捧げる正式な印を切った。
「生き延びてくれ」
「あんたもな」
 もっと相応しい物言いがあるのかもしれない。この生活で身に付いたガラの悪さだけはもう直らねえな、と苦笑しながらケンは大公に一礼した。
「御免!」
 鍛え抜かれた身のこなしで、まるで闇に溶けたようにケンが姿を消した。
 一人残された寝所で、大公は首を垂れた。
「済まぬ。・・・善人を装って生きて来たつもりだが、こうやって運命を放り出してしまうのが、おそらくわたしの人生で最大の大罪になるのだろうな」
 大公の最後の指示通りに、ロラン城で最も高い星見の塔に白旗が掲げられるのはこのすぐ後である。しかし、勝者として入場したルゴンの軍務記録にも、ロラン側にも、この後の王の記録はない。以後、歴史上にロラン七世の名が現れる事もない。
 その後の王の運命については、諸説あって定かな事は解っていない。
 ただ一つ、後の余の歴史家や学者の意見が一致するのは、この日から、世界を戦乱に巻き込んだ帝国戦争、あるいは十年戦争といわれる戦いが始まった、という事である。

「ひめさま!」
 切羽詰まった声に、窓に立っていたシアは振り返った。
「シア様!」
 舞踏会に出ていたのか、青いナイトドレスのままのアリサがシアの部屋にかけ込んで来た。今年十八才、子供のころからシアといっしょに育てられた、シア付きの側女である。「どうしたの、アリサ」
 外の騒ぎが気になる。寝ているはずの自分がおきてる言い訳も忘れて、シアは窓の外へ目をやった。
「いったい、何の騒ぎ?」
「ルゴンの近衛隊の急襲です!」
「ルゴンの?」
 シアは、首を傾げた。続いて城を揺るがした轟音に、思わず首をすくめる。
「なぜ?」
「戦争に理由なんかありません!世の中、平和な町より殺し会いやってるところのほうが多いんです!!いいから逃げましょう!」
「逃げるって、どこから?」
 あくまで実感のないシアにいらついて、アリサはシアの腕をつかんだ。
「このお城からです!」
「え・・・?」
「いいから、はやく!」
 無理矢理シアの腕を引っ張って、アリサは寝所から駆け出した。
「いたあい!ひっぱらないで!」
「事情とか理由なら無事に逃げてからいやって言うほど説明してあげます。とにかく、お城の外へ逃げないと、お姫様の命が危ないんです。」
「命がって、ええと、お父様は?お母さまは、いったいどうしたの?」
 シアの言葉には、今ひとつ実感がない。
「側付きの兵士たちが、お護りしているはずです。いいから今は、ご自分が逃げることだけ考えてください!」
「でも・・・」
 天井の高い回廊をずんずん引っ張られながら、シアは周りを見回した。シアの寝所、侍女たちの寝室やア−フェスの庵があるこのあたりは、もとより人影は少ない。しかし、爆発の光や魂切る悲鳴、激しい怒号などがここまで聞こえてくる。
「地下の抜け道から、城下へ抜けます。後のことは心配しないで、とにかく逃げることだけ考えてください。」
「そうはさせない」
 どこから声が聞こえたのか分からなかった。此処ではない。シアもアリサも、ア−フェスから魔法の手ほどきを受けている。
「声だけを飛ばしている・・・?」
 立ち止まったアリサは、ドレスの内懐から短剣を取り出した。逆手に構える。
「おかしいわ、結界が効いているはずなのに」
「やっと見つけた。こんな結界など、我々には効かぬ」
 不意に、視界が歪んだ。
「跳んでくる?」
 ロラン城は、太古から張りめぐらされた幾重もの結界に護られている。外部からの攻撃魔法は、その一切が無効にされるはずである。
「やめて!」
 力任せに結界を破ろうとして、目の前で空に呑まれた魔法使いの話を聞いたことがある。シアは、揺らめく回廊のなかで悲鳴を上げた。壁に、蝋燭の明かりが揺らめく回廊に、まるで闇からとけだしたような 黒い人影がいくつも現れる。
「さがっていてください!」
 細い短剣をひとふりして、アリサは黒い影が実体化するまえに切りつけた。
「だめえ!!」
 シアは叫んだ。結界で護られた空間に、確実な解除もなしに跳び込んでくると、異空間に挟まれた実体が爆発することがある。
「がふ!」
 爆風が、回廊の蝋燭を一気に吹き消した。閃光に弾き飛ばされたアリサが彫刻の施された太い柱に背中から叩きつけられる。幾つかの光が、中空からちぎれた呪符となって回廊に降る。
「アリサ!」
「逃げて・・・」
 激しく咳き込みながら、アリサは言葉を絞り出した。
「結界に呪符を囮にとばしてやぶるなんて・・・」
「魔道は、日々進化しているのだよ。」
 最初の声とは違う嗄れ声が、宙から聞こえた。
「平和のなかで、戦いを忘れた国の魔道など、所詮子供の遊び。人の命のやり取りのなかでこそ、魔道は進歩する。」
 声とともに、黒いマントに身を包んだ小柄な人影が回廊に現れる。ひとつ、ふたつ、みっつ。
「魔道士部隊?」
 シアは目を見張った。軍用に魔道士を、それも戦闘に使えるような数をそろえている様な国は、数少ない。隣国ルゴンは、魔道士部隊を持っているような大国ではない。
「早く、逃げて!」
 よろよろと立ち上がったアリサが、両手で短剣を握って短い呪文を唱えた。気合とともに短剣を振り下ろす。その軌跡から、幾つもの短い光の矢が、放射状に放たれた。
「おろかな」
 アリサは、シアよりも年長な分、魔法に長けていた。城魔術士のア−フェスに折り紙を付けられていたのだから間違いない。そのアリサの放った光の矢は、すべてがなんの抵抗もなく、魔道士の黒いマントに吸い込まれた。
「攻撃魔法とは、こう使うのだ。」
 先頭の一人だけが、軽く手を振ったように見えた。その瞬間、アリサのナイトドレスが無惨に引きちぎれ、白いからだが前より激しく壁に叩きつけられる。
「アリサあ!」
 悲鳴を上げ、シアはアリサに駆け寄った。
「何事か?」
 置換魔法特有のつむじかぜとともに、冷たく澄んだ声が回廊に響いた。かまわず、シアは床に倒れたアリサをだきおこそうとする。
「はやく・・・そとへ・・・」
 かすれた声で、薄目をあけたアリサが、ごふっと血を吐いた。純白のレ−スに飾られたシアのドレスが、蝋燭の明かりにもはっきりと分かるほど真っ赤に染まる。悲鳴を上げたシアの腕のなかで、アリサはがくりと頸を折った。
「待ってアリサ、いますぐ治してあげる、すぐだから」
 生来の素質故か、シアは治癒魔法に優れた才能を示していた。必死に精神を統一しようとするが、しかし、こんな切羽詰まった状況で実用にヒ−リングを行なったことなどない。
「シア・ロランか?」
 涼やかな声を無視して、シアは一心に呪文を唱えはじめた。暗い回廊に、ぼうっときん色のオ−ラが立ちのぼる。
「ほう、これは・・・」
 先頭に立つ魔道士が感嘆した。三人の魔道士が形作る陣形の中央から歩み出た、赤いマントをひるがえした女騎士が立ち止まる。
「どうした?」
「素人にしては、大した力です。闘いには、役に立ちませんがね。」
「ふむ。」
 銀色の髪の女騎士は、兜を付けていない貌をシアに向けた。
「シア・ロランに間違いないか?」
「顔かたち、声も服も間違いござりませぬ。」
「こんな小娘が・・・」
 グレ−の瞳に胸元を血の色に染めたシアを映して、マリンは呟いた。
「姫!シア姫」
 甲冑の踵をつかつかと鳴らして、マリンはシアに歩み寄った。シアは、膝に力の抜けたアリサの肉体を抱いたまま、顔を上げようともしない。
「シア殿、一緒に来ていただきます。・・・やめろ」
 マリンは、指先までぴたりと覆われた甲冑の手でシアの手をつかみあげた。鍛えられた魔蠍将軍に抗う力は予想外にか細い。だが、顔を上げてきっと見開かれた瞳の光に、マリンは一瞬言葉を失った。
「よせ。もう、死んでいる。」
「いったい、なぜ!」
 左手頸をつかまれたまま立ち上がったシアが、力任せに振り上げた右手をマリンにぶつけようとする。マリンは簡単にシアの手首を返して後ろ手に捩じり上げた。
「い!」
 悲鳴を途中で我慢した意地こそ褒められるべきだろう。覇を食いしばって、シアは骨が折れそうな痛みに耐えた。
「なるほど・・・」
 マリンは、紅いくちびるに笑みを浮かべた。二流 三流の王族なら、ちょっと痛めつけただけで這いつくばって命乞いをするものである。
「さすが、ロランの公女。来て、いただきます。」

 わずか数時間で、ロラン城はその主を代えた。つい先程まで華麗な舞踏界が開催されていたメインホ−ルが、いまは見慣れぬ異国の軍旗とグロテスクな甲冑の騎士団、黒いマンとに身を包んだ怪しげな一団が規則正しく整列する閲兵式会場と化している。
 本来なら、大公その人が座るべき玉座に悠然と腰掛けているのは、シアと幾歳も違わないような歳若い美少年だった。切れ長の緑の瞳に冷たい笑みをたたえ、べっとり血が着いたままのドレス姿のシアを見下ろしている。
「お初にお目に掛かる。」
 王族に対する礼儀も何もない。指一本動かさず、少年の冴えた声がメインホ−ルに響きわたった。
「ゼク−ト第3軍司令官、デューク・カニンガムだ。」
 応えず、両脇を黒い甲冑の騎士に押さえられた恰好のシアは、きっとくちびるを真一文に結んだままデュ−クと名乗った指揮官をまっすぐに見返した。
「なるほど、いい眼をしている。」
 玉座のデュ−クは、色白の顔に微かな笑みを浮かべた。
「シア・ロラン。全軍の指揮官として、責任を持ってあなたを歓待しよう」
 シアは応えなかった。デュ−クから、視線を外そうともしない。
「礼儀をわきまえぬ侵略者とは、交わす言葉を持たぬか。ロラン大公は姫によい誇りを教えているようだな。」
 父の名を出されて、シアの表情がわずかに動いた。この城を占領した侵略者に、聞きたいことはいくらでもある。
 気づかぬふりで、デュ−クは続けた。
「よかろう、えらぶがよい。屈辱か、苦痛か」
 言葉を口にする前に、姫としての自覚がシアの疑問に打ち勝った。すべてを奪い去ろうとする侵略者に、何も与える気はない。
「ロランの娘は、たとえそれが何でも畏れません」
 毅然とした意思と共に、シアの愛らしい声がメインホ−ルに響き渡った。
 玉座のデュ−クは、わずかな沈黙の後に心底から嬉しそうな笑みを浮かべた。
「では、両方だ」

 ロラン城内、北の塔。
 本城の地下にある昔ながらの地下牢は、今はもう使われていない。わざわざ城内に置かなければならないような重要な捕虜や囚人のためには、本城から少し離れた古い北の塔がつかわれている。正確には、城から見て北北西の方向にあるのだが、ロランの地勢術では、北は苦悩、絶望、地獄を現す。
 シアは、子供のころにいたずらをして、お仕置きにロラン大公に北の塔の地下牢に閉じ込められたことがあった。
 暗い、じめじめした石畳の階段や、得体の知れない怪しげな機械が並ぶ幾つもの地下室をべそをかきながら連れ歩かれたのを、今もはっきり覚えている。
 黒マントの魔道士部隊、騎士が数人にシアを捕らえた銀の髪の女騎士、そしてデュ−クに連れられ、シアは縄も打たれずに血染のドレスのまま北の塔の地下牢に連れ込まれた。「文明国を標榜するだけあって大した機械はないな。」
 幾つものたいまつに照らされた、ちょっとしたホ−ルほどもある拷問部屋を見まわして、デュ−クはつまらなさそうに首を振った。両脇を騎士に押さえられたシアは、硬い表情のまま必死に平静を装おうとしている。
「スットクにラック、風車に木馬か。手入れはしてあるようだが・・・」
 凶まがしい鉄や木、革のベルトなどが複雑に組み合わされた拷問具を軽く動かしてみる。
「デュ−ク様」
 黒マントに顔も見も包んだ魔道士のひとりが進み出た。
「こんな非能率的な機械など使わなくとも、我等が魔道をもってすればこんな小娘など・・・・」
「小娘だからこそ、こんな原始的なやり方がよく効く。」
 デュ−クは、そこだけわざと間隔を狭めて建てられたらしい二本の柱の前で立ち止まった。柱の表面には、等間隔に頑丈そうな金具がいくつも取り付けられている。
「本来、道具と言うものは、人を幸せにするために作られたものだそうだ」
 デュークは、シアに向き直った。
「しかし、ここにある道具は人を責めて、いたぶるために作られ、使われる。文明や技術とは、ひにくなのだと思わないか?」
「・・・・・」
 何と答えてよいか解らず、シアはうつむいた。
「これを使うか。マリン、その娘に手枷と足枷を嵌めて連れてこい。」
「はい」
 壁に歩み寄ったマリンは、掛けられた鉄の手枷と足枷をとった。黒ずんだ長い鎖をがちゃがちゃと引きずりながら、シアに近づく。
「両手を出して」
 にっこり笑いながら、紅いマントの下は裸身を銀色に張りつけたようなタイトな甲冑姿のマリンがシアの腕を取ろうとした。シアは、びくっとして、素早く両手を背中に隠す。「こわいことないわ。これを嵌めるだけだから、力を抜いて。」
 わざわざ子供用の細い手枷をえらんできたマリンが、シアの目の前で鎖を鳴らしてみせた。
「それとも、力ずくで押さえられて、無理矢理縛られたい?」
「・・・・・」
 か細い息をついて、シアはおずおずと左手を差し出した。
「ふふ、いい子ね」
 シアの手をとったマリンは、厚い頑丈な鉄のブレスレットをがちゃりと嵌めた。冷たい手枷が、まるであつらえたようにシアの手首を噛む。その無慈悲な感覚に、シアは思わず息を止めた。
「思った通り、このサイズでぴったりね。さあ、右手も出して」
 シアの両手首が手枷に捕らえられた。一本ずつの鎖を、マリンが軽く引く。
「さあ、いらっしゃい」
 引っ張られるようにして、シアはよろけて歩きだした。
「どうした?顔色が悪いぞ」
 揶揄する口調で言われて、シアは思わずデュ−クをにらみつけた。
「あなたなんかに、だれが!」
「その意気だ。そうでなくては、これからの責めに耐えられぬぞ」
 引っ立てられたシアが二つの並んだ柱のあいだに立たされた。
「両手を広げて吊り上げろ」
「ちょっと痛いけど、がまんしてね」
 耳元で囁いて、マリンは軽くシアの右手に繋がれた鎖を引っ張り上げた。軽く息をつまらせたシアの右腕が、高々と吊り上げられる。マリンは、鎖を高い位置にある鉤に引っかけた。続けて、左腕の鎖も左の柱の鉤に吊る。                   「いい恰好だな」
 細い革の鞭をしならせながら、デュ−クはシアの前に立った。
「どんな気分だ?」
 揺れる程度には余裕があるシアの細い腕を、鞭の先でつうっと撫で上げる。吊られた腕の指先を真っ白になるほど握りしめたシアは、蒼白な顔でデュ−クをにらみつけた。
「ロランの姫ともあろうあなたが、もうこれだけで何もできなくなる」
「卑怯者!」
 シアは叫んだ。
「聞きたいことがあるなら、礼儀をもって聞くべきじゃなくて!?」
「最初に選べといったよ」
 デュ−クは、革の手袋を嵌めたままの手で手枷の具合を確かめるようにシアの腕を揺すった。
「苦痛も、屈辱も人を素直にするからね。素直な人のほうが話がしやすい。」
 デュ−クは、大きな動作で鞭を振り上げた。
「一生、忘れられない夜になるよ」
「悪魔!」
 シアは声を上げた。デュ−クは、にこりと笑った。
「そう、呼ばれている。」
 びゅん、と振り下ろされた鞭が、シアの胸を打った。声もでないような苦痛に気が遠くなりながら、シアは思い出した。北の強大な帝国に、魔道に長けた美しい王子がいるという話を。そして、その戦闘指揮と容赦の無さにより、悪魔、とあだ名されていることを。 二打目の衝撃がシアを正気に引きずりもどした。身を捩り、短く吊られた鎖をがちゃがちゃ鳴らしながら、シアは唇を噛んで悲鳴を上げないようにした。
「なかなか刺激的だろう」
 シアが苦痛に揉まれる時間をたっぷりあたえて、デュ−クは二つに折った鞭でシアのおとがいをひょいとつきあげた。いっぱいに涙をためた大きな瞳がデュ−クを映す。
「これでも手加減しているんだよ。すぐに音を上げられたり気を失われたりしたら、あなたも僕もつまらないだろ?」
 まだアリサの血が乾いていないドレスの上から、腕を吊られているために張っているシアのまだ膨らみきらない胸がデュ−クの革手袋で押さえられた。ひっ、と声をあげて、シアは余裕の無い肉体をひねってデュ−クの手から逃れようとする。
「まだまだ、こんな楽しみ方はしていないようだね」
 少しでも逃げようとする少女の胸を容赦無くまさぐりながら、デュ−クはシアの背中に回した手首のスナップだけで鞭を当てた。
「うくっ・・・」
 こらえて食いしばった歯の隙間から声が漏れる。
「まだ、硬い胸だね。片方だけでは失礼かな」
 冷たい革の感触が、べっとり血の染みたドレス越しにシアの左胸を揉みしだく。心地良さよりも嫌悪感で息を乱すシアの背に、再びぴしりと鞭が当てられた。
「服を着たままでは、気分がでないだろう。マリン!」
 呼ばれたマリンが、もう一組の枷を持ってきた。早い息をつきながら、なにをされるのかわからないシアが不安気な視線をマリンに向ける。
「ふふ、怖いのね」
 マリンは、優しく微笑んだ。
「でも、もうどうやっても逃げられないのよ」
 吊られたシアの足元に膝をついて、マリンは長いシルクのスカ−トをゆっくりとまくりあげた。どこを縛られるのか気づいたシアが、悲鳴を上げて脚をばたばたさせた。
「いやっやめて!そんなところまで縛らないで!」
 蹴り上げられて白いストッキングのふくらはぎまで剥き出しになったシアの右足首を、マリンは簡単に捕まえてがちゃりと細い足枷をはめた。鉄のリングはストッキングの上から少しの余裕もなくシアの足首を噛む。
「いや!」
 左の足首にも、長い鎖を曳いた足枷がはめられた。膝をついたままのマリンが、ことさら乱暴に足枷の鎖を引く。
「いやっ痛い!」
 それまで少しは余裕のあったシアの両腕がひきっと伸ばされた。左に引かれた足首の鎖が柱の下に繋ぎ留められる。残った右足も、マリンに意外なほどの強い力で引かれ、右の柱に繋ぎ留められた。
「いや・・・こんなのいや!」
 二本の間に、両手両足をいっぱいにひろげたかたちで拘束されたシアが弱々しく首を振る。
「まだまだ、これからさきが大変よ」
 優しくシアの顔を両手で包んだマリンが、頬にキスした。そのまま、両手が身動きのとれないシアの胸を包む
「うふ・・・こんなにドキドキいってる。」
 息を乱しながら、シアは潤んだ眼で立ち上がったマリンを見上げた。
「ごめんなさい、そんな眼で見ないで」
 マリンは、シアに顔を近づけた。
「わたしには、何もできないのよ」
 ふっと甘い息を吹きかけ、マリンはシアにくちびるを重ねた。シアは思わず眼を見開いた。マリンは長い睫毛を震わせながらシアの幼い唇を吸い上げて舌を差し入れる。
 やがて、たいまつの光に糸を曳きながら、マリンはシアから離れた。
「かわいそうに。まだ、何も知らない子供なのにね」
 ため息をつく。なにをされたのかよく分かっていないシアは、小刻みに肉体を震わせながら、荒い息をついた。
「さて、お楽しみの時間だ」
 デュ−クは、腰からすらりとサ−ベルを引き抜いた。氷の刀身を一振りする。眼を見開いてから、シアは諦めたように高々と吊られた腕に頸をもたせかけて眼を閉じた。
「安心しなさい」
 研ぎ澄まされた切っ先をぴんとはったシアの胸元に当てて、デュ−クは言った。
「あなたの命を奪うようなことはしない。」
 シアは目を開けてデュ−クを見た。
「ただし、動かないように。この剣は良く切れる。あなたのこの肌を切り裂くにはまだはやい」
 シアは何か言おうとして口を開こうとした。
「!」
 手足を一杯に広げたシアが括られた柱のあいだで、氷の刀身が白い残像を残してきらめいた。透き通ったシアの悲鳴が拷問蔵に響いた。
 剣の軌跡の、その残像しかシアには見えなかった。                 肌から紙一枚だけ離れた空間を、鋭い風の感触だけ残した刃が抜けていく。デュ−クはシアのドレスだけを細かく切り裂いていた。
 精一杯身を硬くして、刃の風が通り過ぎていくのを待つことしかシアにはできなかった。わずかでも手先や足先を痙攣させれば、刃が触れた先から鮮血があふれるに違いない。
 ほんの一瞬が、永遠に長く感じられた。風も刃も感じなくなっても、しばらくシアは目を開ける事が出来なかった。
「もう、眼をあけてもいいぞ」
 シアは、おずおずと顔を上げた。デビュタントの白いドレスは、変わらずにシアの身体を覆っていた。
「ただし、肉体は動かさないほうがいいな」
 ちゃりんと音をさせて、剣を鞘に収めたデュ−クは再び革鞭を手にとった。
「もしあなたが、これからも慎み深くありたいと思うのならな」
 デュ−クは、スカ−トの下で拡げられたシアの脚にそって鞭を振るった。シアには直接触れていないにもかかわらず、細切れに裁断されたスカ−トが脚のラインだけ残して紙吹雪のように地下蔵の石畳に舞い落ちる。
「いやあ!!」
 ストッキングが張りついた太股まで剥き出しになった自分の右脚をみて、シアはドレスがどうなったのか理解した。
「ほらほら、身体を動かすとそれだけはやくドレスが脱げてしまうよ」
 身を固くしたままのシアに、デュ−クは容赦無く鞭を振り上げた。
「ああ!」
 手加減無しの一撃が、シアの胸を打った。
 耐えられるはずがない。大きく波打ったシアのからだから、はらはらとドレスが散り落ちた。続けて、もう一撃。血に染まったドレスの胸布が花びらのように弾けとび、残っていたわずかなシルクさえ雪となってシアのからだから剥がれ落ちた。
「ああ・・・」
 シアは、絶望の悲鳴を上げた。
「なぜ、こんな・・・」
「あなたが、シア・ロランだからだよ」
 胸と腰にわずかに張りついている絹の下着とストッキングだけで柱のあいだに磔にされた少女に、デュ−クは言った。美術品を検分するように少し身を引いて、いっぱいにからだをひらいた哀れな生贄の足枷に繋がれたストッキングのつまさきから手枷に噛まれた手先までを視線で舐め上げる。
「あなたが、ロラン公家の正当な後継者だから、こんな目に遇うんだよ」
 デュ−クは、楽しそうに笑った。
「あなたが、ロランの姫だから、こんな目にあうんだよ」
 革手袋をはめた、デュ−クの冷たい手がシアのふとももに触れた。
 シアは、大の字に縛られた半裸の肉体を思わずこわばらせた。しかし、デュ−クの指使いは、予想外に優しかった。
 はっとして、シアはデュ−クの意図を悟った。薄い絹の、しなやかな下着が張りついたシアの股間を冷たい指が這う。異様な感覚が、拘束されたシアの下腹に沸き上がった。
「い、いったいなにを・・・」
 背徳的な心地よさに戸惑いながら、シアは息を詰めた。
「やめてください!」
「ここに何があるのか、知っているかな?」
 シアの秘部にぴたりと指を当てて、デュ−クは微笑んだ。
「いや、やめて・・・」
 子供のころから教えられた魔道の基礎に、ひとの身体の構造と仕組みに関する知識がある。とくにシアが得意とする治癒術は、身体の神経と体液の流れを熟知していないと施せない。
 そのせいか、シアの性的な目覚めは早かった。くたくたに疲れた夜に、一人で自分を慰める術は、最初の血潮を見る前に覚えていた。
 しかしながら、魔導師ア−フェスは、身体の清らかさを保つために、シアに自慰を固く禁じた。どうしても我慢できずに自らの秘部をもてあそんだ次の日は、必ずア−フェスにお仕置きされた。魔道を使うア−フェスのお仕置きは、幼い少女を泣かせるには充分過ぎるものだった。そのため、シアは歳を経るに従ってだんだん一人遊びをしなくなった。
 性魔術は、しっかりした教程を経ないと、歪んだものになりやすい。ロランの姫であるシアに、快楽だけを目的とする誤った性魔術を身につけることは許されない。そのため、ア−フェスはシアがほんとうの恋を知るまでは性魔術の手ほどきを控えていたのである。 過去の密かな罪悪感とともに、シアの脳裏に得体の知れない感情が湧き起こった。
「王族ともなれば、幼少の頃からこんな遊びをするものだが、さすがロラン公家の躾けは厳しいらしい」
 デュ−クは、シアの股間に当てた手を軽く震わせはじめた。
「い、いや、やめて!」
「他人に、こんな所を触られる気分はどんなものかな?」
 う、とうめき声を上げそうになって、シアは唇を噛んだ。
「苦痛にのたうつ姿を他人に見られるのと、快楽に悶える姫を見られるのとでは、どちらがお好みかな?」
 シアの股間を押し上げながら、デュ−クは下着越しの振動をさらに強めた。食いしばったシアの歯の間から、堪えきれない呻き声が漏れる。秘部にあてられた手から逃れようと、縛られた腰が虚しくうごめく。
「そう、縛られていると、快感は一層強くなる。身体を動かして我慢することが出来ないからね。」
「う・・・く・・」
「しかし、敵国の男にこんなことをされるのは、あなたのプライドが許さないだろう。耐えられるように、手伝ってあげようか?」
「くく・・」
 大の字に括られた身をよじりながらも、シアは必死の眼でデュ−クを睨みつけた。
「いい眼だ。マリン」
「はい」
 女騎士が進み出た。
「これで、シア姫の正気を保たせてさしあげろ」
 デュ−クは、マリンに短い革鞭を渡した。
「誇り高い姫君だ。気を失ったりしないよう、手加減して打たせていただけ」
「かしこまりました」
 にっこり笑って鞭をとったマリンが、羽織っていたマントを落とした。拷問部屋のたいまつの裸火に、金属を裸身に彫り抜いたようなマリンの甲冑姿があらわになる。眼を潤ませながら、括られたシアがマリンの歩きをおって頸を回した。
「ふふふ、優しくしてあげるわね」
 柱の後ろに回り込みながら、マリンがぴしりと鞭を鳴らしながらシアにささやいた。応えようと口を開いたシアは、あられもない悲鳴を上げてしまった。
 デュ−クの手から逃れようと腰を振るシアの背に、闇を割く鞭が当てられた。
 シアの透き通った悲鳴が拷問部屋に響いた。
「どうだい、こんなことをされながらの鞭の味は?」
 強く、弱く、リズムを持ってシアの股間を刺激しながらデュ−クが言った。
「悪くないだろう。」
 肩で息を着きながら、シアはデュ−クをにらみつけた。堪えきれない声が漏れる。
「そうやって意地を張る顔が、僕は大好きなんだよ」
 シアの背が、再び鞭打たれる。せつないシアの悲鳴が拷問部屋の湿った空気を震わせる。

「・・・ひどいことしやがる」
 眼下で展開される拷問に、ケンは眉をひそめた。
「ああ、あんなことをあんな子供に・・・俺もやりたい・・・違う、助けなきゃならないんだっけ」
 囚人を吊り上げたり、器具ごとぶら下げたりするために、拷問部屋の高い天井には縦横無尽に鉄のレ−ルや梁が渡してある。その上にもぐり込んだケンは、たいまつに照らしだされる騎士や魔道士たちの配置を注意負深く読み取った。
「さすが・・・こんな所でこんなことしてるってのに配置に隙がない。よっぽどいろいろとやり慣れてる奴らだな。これだけの包囲から、あのお姫様かっさらって逃げだすとすると・・・」
 戦い方、脱出経路などをすばやく計算してみる。ケンは、内懐に忍ばせた宝剣、カ−ンの牙に触れてみた。
「・・・これだけで引受ちまったのは、ちいっと早計だったかな?」
 歳若い姫の、悲鳴が叫びに変わってきた。
「こりゃ、長くはもたないかな?」
 背に当てられる鞭の痛みと、秘部に伝わる刺激がシアをかき乱していた。既に、姫としての理性などどこかに吹き飛んでいる。意味のない叫びをほとばしらせ、シアはどんどん追い詰められつつあった。吊られた鎖が、嵌められた枷が、二つの柱のあいだでぎしぎしと鳴り、鞭の一打ごとにきつく引き延ばされたはずの細いからだが撥ね、捩れ、のけぞり、悶える。
 やがて、一際長い、高い悲鳴が拷問部屋に響いた。
 ぴ−んと細い手足を真っ直ぐに突っ張ったまま痙攣させ、おおきく口を開き、見開かれた瞳が宙をさ迷う。
 白面に微笑みを張りつかせたまま、デュ−クはシアが括られている柱から離れた。手袋を嵌めたままの右手に目をやる。革が、びっしょり濡れている。
 ぴ−んと四肢を突っ張っていたシアの肉体から、がくっと力が抜けた。吊られた両手に身体を預け、がっくりと頸を落としてはあはあと息を着く。
 全身が、吹き出した汗で、まるで水でもかけられたように濡れそぼっている。身につけていた下着は、ブラジャ−もパンティ−もぴったりと肌に張りつき、ストッキングの内腿には、溢れた液体が筋になって流れている。
 デュ−クは、がっくり俯いたままのシアの髪をつかんで上向かせた。
「気分は、如何かな?」
 息が荒い。自分がどうなったのかわからない。シアは、デュ−クの顔をまともに見れず、頸をひねって目をそらそうとした。
「中々刺激的だろう。」

「・・・やめて」
 苦しい息の下で、シアは弱々しく呟いた。
「もう、許して・・・・」
「さて、どうするかな?」
 シアの顎を指で支えて、デュ−クは顔を近づけた。意外なほど静かに、シアの唇を奪う。シアは眼を見開いた。口を閉じて抵抗しようとする。しかし、うまく力が入らない。食い縛ろうとする歯を割って、デュ−クの舌が侵入してくる。
 思う存分唇を吸ってから、デュ−クはゆっくりとシアから離れた。とっさにくちを閉じるシアの唇の端から、たら−りと混ざり合った二人のよだれが垂れ落ちる。
「嬉しいよ、あなたがこういう人で」
 息を吸いかけて、シアはげほげほと咳き込んだ。
「いったい、なにを・・・・」
「なんだと思う?」
 デュ−クは、シアが汚した手袋を紅い舌でぺろりと舐めた。
「これが、僕と貴方の運命なのさ」
 手袋の中指を白い歯で噛み、デュ−クはすうっと手を引き抜いた。たいまつの光に、まるで女性のような白く細い手があらわれる。
「お、お願いです、もう、これ以上は・・・」
「駄目だ」
 デュ−クは冷たく言い放った。
「誇り高いロランの姫が、そんなことをお願いしてはいけない。あなたは、シア姫なのだからね」
 必死に息を整えながら、シアはデュ−クに顔を上げた。
「そう、その顔だ。そうでなくては・・・」
 まるでシアに見せるように、デュ−クはその手をひらひらと裏返してみせた。
「あなたは慎み深い姫か、それともはしたない売女か?」
「・・・・・・・」
 拷問者の意図がわからず、シアはゆっくり首を振った。
「自ら望んで、ここに男を欲しがるかな?」
 デュ−クはぐっしょり濡れたシアの股間に張りついた下着をなであげた。
「そんなこと・・・」
「女の神経は、ここに集中している。」
「ううっ・・・」
 もっとも敏感な一点をつつかれて、シアは声を漏らした。             「ここに、リングをあげよう。」
「・・・え?」
「マリン、来なさい。」
 悩ましいため息を漏らし、マリンは、デュ−クの横に立った。
「我に従う者への、ささやかなプレゼントだよ」
 デュ−クは、ぱちんと指を鳴らした。途端に、直立していたマリンがうっとうめく。
「まっすぐ立っていろ」
「は、はい・・・」
 両手を握りしめて、ぶるぶる震えながらきつく眼を閉じたマリンは姿勢を保とうとする。
 デュ−クは、小指に嵌めていた小振りの細い指輪をシアにかざしてみせた。
「これと同じものが、マリンに嵌められている。激しく震わせるのも、締めつけて絞るのも、こちらのおもいのままという訳さ。マリン、どうだ?」
「は、はい」
 顔を上気させて、マリンは声を上擦らせた。
「き、気持ち、いいです。」
 デュ−クは、指輪を引き抜いた。
「どうして欲しい?マリン」
「・・・縛って、下さい」
 シアは、耳を疑った。直立の姿勢のまま、マリンは、耳まで赤くしてデュ−クを見つめている。
「身動き出来ないように、わたしを縛って下さい。」
 恥ずかしそうに頬を染めて、マリンはうつむいた。
「そして、愛してください、デュ−ク様」
 シアは信じられなかった。自ら望んで縛られたり、責められたりする事を望む人が、いようとは。
「信じられない、という顔だな」
 デュ−クは、ぬいた指輪をシアにかざして見せた。
「ゆっくり、教えてあげよう。そのうち、君も、こういう女になる」
「そんなこと!!」
 シアは、力一杯首を振った。
「誰が、そんなこと!!」
「では、なぜ敵国の軍の前で縛られているのに、こんなになっているのかな?」
 今度は素手で、デュ−クはシアのぐっしょり濡れたままの股帯をなで上げた。さきほどの余韻がまだ腰に残っている。声を上げかけて、シアは唇を噛んで耐えた。
「まだ夜は長い。ゆっくり楽しませて上げるよ」
 デュ−クは、シアから離れた。
「しかし、その前に、マリン」
 デュ−クは、ぱちんと指を鳴らした。マリンが、欲望に濡れた眼を開く。
「もうひと働きしておくれ」
「・・はい」
 乱れた息のまま、マリンはデュ−クに一礼した。
「心得ておりますわ」
「終わったら、ゆっくり楽しませてあげるからね」
「ありがとうございます」
 マリンは、腰の華奢な造りのレイピアを引き抜いて口にくわえた。後ろに控えている魔道士に、素早い指文字で何事か指示する。
「やばい!!」
 気がついたのは、物心ついた頃から鍛え上げられた戦士としての本能のなせる技だろう。拷問部屋の梁の上を駆けだしながら、ケンは腰から愛用の短剣を抜いていた。狭い場所での接近戦では、長い剣は振り回しにくいから不利である。
「!」
 誰何もなしに、いきなり背後から切りつけられた。間一髪でかわし、短剣を振り向きざま相手の確認も無しに鋭く突き入れる。闇に包まれた拷問部屋の上に、白い火花が散った。
 ケンの短剣は、マリンの甲冑の手甲で弾かれた。どこからどう跳んで来たのか、マリンの金属を裸身に彫り抜いたような甲冑姿が梁の上に立っている。
「・・・いつから気づいていた?」
 短剣を構えなおしながら、ケンが問う。潤んだ瞳のまま、マリンは謎めいた笑みを浮かべた。
「あちらから、入ってきたでしょう」
「参ったね、こりゃ・・・」
 戦士としての習練、傭兵としての経験、ドロボ−としての必要から、ケンは自分の気配を消す術には長けていた。すくなくとも、今日までは。
「最初っから気づかれてたってのかい。今日は厄日かね、こりゃ・・・」
 艶然と微笑んだまま、マリンは下で大の字に白い裸身を拷問部屋に浮かび上がらせているシアへ目線をやった。
「楽しんで頂けたかしら?」
「ああ、ああいうのはオレも嫌いじゃない。いい趣味してるぜ」
「お気に召したようね。次は、あなた自身が試してみる番じゃなくて?」
「お前こそ、ああいうのが好きなんだろう」
 女騎士と、薄汚れた傭兵の間で絡み合った視線が火花を散らした。互いの剣の光を残像にして、二人同時に宙に跳ぶ。
 澄んだ金属音を闇に響かせて、入れ違った二人が梁に着地した。
「ゼ−クトのタイト・ア−マ−か」
 ケンは舌打ちした。騎士の肉体にぴったり合うタイト・ア−マ−と呼ばれる締甲冑は、特産の硬く薄い鋼板を職人が叩きだして作られる。甲冑の上から下着が着られるといわれるほどのタイト・ア−マ−は、装着者の動きを一切阻害しないすぐれたカッティングと、貫くにはボウガンしかないといわれるほどの強靱さで知られていた。
「そんな剣で、この魔蠍将軍マリンは切れないわ」
「どうかな」
 向き直ったケンは、不敵な笑みを浮かべた。
「甘くみると、ヤケドするかもしれないぜ」
 うそぶきながら、ケンは内懐に手を入れた。特殊な技法で作られたガラスの小瓶が手に触れる。
「その度胸だけは褒めてあげる。だが、これで終わりだ!」
 レイピアを握った手を顔の前に持ってきて、マリンは口のなかで呪文を唱えながら複雑な印を切った。
「まずい!」
 ゼ−クトの魔将軍は、攻撃魔法を組み合わせた恐るべき剣術を使う。この状況で攻撃されたら、ケンには避ける術がない。
 マリンがレイピアを振り下ろすより早く、ケンは動いた。
「〜〜〜!」
 マリンの身体が、ぼうっと暗くなる。そこからまるで光輪のようにフラッシュが飛び散った。四方から、ケン目掛けて幾筋もの光線が襲いかかる。
「くらえ!」
 ケンは、懐から取り出したガラス瓶を力任せに影の中心に叩きつけた。ガラス瓶は割れて飛び散り、マリンの胸元から音を立てて白い煙が立ちのぼる。
 ケンに襲いかかった光は、鎖に変わってその身体を噛んだ。ケンはとっさに短剣を回して逆手に持ち替え、鎖を切ろうとする。
「う・・」
 細い鎖は、まるで生き物のように容赦無くケンを締め上げた。手首に絡みついた鎖が、短剣を取り落とさせる。太股から脚まで鎖に絡まって、ケンはバランスを失って梁から落ちた。
 梁の上から、残されたマリンが恐ろしい悲鳴を上げた。
「なにごとだ?」
 鎖に縛られたまま拷問倉の石畳に叩きつけられたケンには目もくれず、デュークが声を駆けた。応えはなく、代りに白い霧をまとわりつかせたマリンが焼けるような音と共に落ちて来る。
「デューク、様・・・」
「水へ放り込め!」
 即座に、デュークは指示した。落ちて来たマリンを受け止めた屈強な騎士が、拷問倉の一角にある池へ走った。本来は水責めに使われる、拷問倉の石畳を四角く区切った冷たい水をたたえた水溜めに、タイトアーマーから白煙を吹き上げるマリンがばしゃーんと放り込まれた。
「なかなかのものだ」
 鎖に縛られたまま転がるケンのそばに、デュークが立った。
「剣ではタイト・アーマーに歯が立たぬと見て強力な酸を投げつけたな」
 次の瞬間、気を失って骨の二〜三本も折れていてもおかしくないはずのケンのからだが跳ねた。どうやって抜いたのか、鎖で縛られたはずの手にレイピアをきらめかせてデュークに飛びかかる。
 爆発のような突風が、空中のケンを跳ね飛ばした。剣先を獲物に届かせる事も出来ずに、重い鎖ごとからだを引き伸ばす拷問台に叩き付けられる。
「それに、こんな状況になってもまだ闘志を失っていない。この国にも、少しは骨のある戦士がいるようだ」
「取り押さえます」
 マリン直属の、黒い甲冑に見を包んだ騎士が3人飛び出した。
「出来るかな?」
 拷問台から地面に倒れ伏したはずのケンのからだから、まともな手段でははずせないはずの鎖がまるでヘビのように中を跳んだ。とっさに三方に別れた騎士の間を切り裂き、その後ろに立つデュークに襲いかかる。
「!」
 ちゃりいんと音を立てて、鎖は空中で弾かれて一齣ずつ砕け散った。
「殺すな」 
 楽しそうに口もとを歪めて、デュークは三方からケンを囲んだ騎士達に指示した。
「話がしたい」
「承知!」
「命の保証付きとはありがたいねえ」
 ゆらりと立ち上がったケンが暗がりで白い歯を見せた。
「三人か・・・そこら辺のちんぴらならともかく、ゼクート名物魔将軍直属の騎士となると、簡単には勝てないかな・・・・」
 軽口を叩きながら、ケンはこれからの自分の行動を計算していた。自分一人が逃げ出すなら成り行き任せでも何とかする自信はあるが、柱の間に吊るされた姫君を拷問者の目を盗んで助けだすとなると、難しい。殺すなと言う命令は、この状況では涙が出るほどありがたいが、それが五体満足を保証してくれるものでない事も解っている。さらに相手は三人の騎士、細いレイピアでは隙間を狙う以外倒す手はない。
「親玉やるしかないか・・・」
 デュークを一目見た時から、只者でないのはわかった。指揮官にしては若すぎるにもかかわらず、その力は計り知れない。
 三人の騎士は、腰から三様の武器を抜いた。一人は両手に短剣を、一人は戦斧を、残る一人はケンが見た事もない、鎌に鎖が繋がれたものを構える。
 出来る、と感じてケンは腰を落とした。室内戦で、しかも梁の上でのケンの動きを見ていたのだろう。狭い場所では振り回しにくい長剣を構えるものなど一人もいない。
 両手に短剣を構えた騎士が、まるで風のように襲いかかってきた。重い甲冑に身を包んでいるはずなのに、その重さを微塵も感じさせない早さである。
「かわせない!?」
 一つ目の突きをかわしても、もう一本の短剣に狙われる。逆に一歩踏み込み、カウンターでキックを繰り出す。
「!」
 騎士の下腹部に蹴りが決まった。しかし騎士は短剣を握った両腕をクロスさせ、ケンの脚をがっちり咥え込む。
「放せこの!」
 抱え込まれた脚を支点に、ケンは片足で宙に身を浮かせすばやく身体を回転させて騎士の頭に回し蹴りを放つ。
 騎士は、大きく頭をそらせてケンの踵を避けた。空振りしたケンの身体が、くるくる回りながら石畳に叩きつけられる。
 落ち際を狙って、二人目の騎士の分銅が飛ぶ。背中から落ちたはずのケンは、跳ねたように床を蹴って分銅を避ける。
 おそらく動きを読んでいたのだろう。戦斧を持つ騎士が、まるで滑って来たようにケンの着地ポイントに現れた。振り回された戦斧の分厚い刃が、飛び降りるケンめがけてアッパーで叩きつけられる。
 風を巻いて迫る戦斧を、ケンは両足を打ち合わせるように挟み込んだ。膝を曲げて、振り上げられる戦斧の直撃を受けずに空中から飛び退く。
 地面から跳ねたはずの分銅が、まるで生あるもののようにケンの脚に絡み付いた。
「しまった!」
 ぴんと延びた鎖に引きずり戻されて、バランスを崩したケンがそれでも脚から着地する。
 横にされたはりつけ台の上に飛び上がった騎士が、すばやく鎖を引き戻す。それより早く石畳を蹴ったケンが、鎖鎌の騎士に襲いかかる。
 喉元を狙って電光のように突き出されたケンのレイピアは、騎士の手甲の間に張られた鎖に絡みとられた。すばやく抜き、今度は下から突きいれる。
「!」
 逆手に回った鎖鎌の刃を喉元に当てられて、ケンは凍りついた。こわばった笑みを浮かべる。
「・・・どっちが、速かったかな?」
 面当ての中で、騎士も笑ったようだった。黒い甲冑の胸当ての隙間に、ケンのレイピアの先が食い込んでいる。
「試せないのが、残念だ」
 静止したままの騎士とケンの周りに、残る二人の影が現れた。
「わかった。負けたよ」
 ゆっくりとレイピアを引いたケンは、くるりと回して鞘に納めた。
 拷問蔵に、ゆっくりとした一人の拍手が響き渡った。
「見事な腕前だ。顔を見せてもらおうか」
 しかたなく、ケンははりつけ台から飛び降りた。背中に騎士達の剣を感じながら、ゆっくり歩きだす。
「ほお・・・こいつは驚いた」
 デュークの前に立ち、後ろ手に回された手に鉄の枷をはめられながらケンは大袈裟に声を上げた。
「攻めて来たのはルゴンの奴等だとばっかり思ってたが、指揮をとっていたのが、北の悪魔だったとはねえ」
「ただの火事場泥棒ではあるまい」
 真っ先に考えていた言い訳を先に言われて、ケンは肩をすくめた。
「そのつもりだったんだけどな」
「その身なりではロランの衛兵でもなさそうだ。何者だ?」
 じっと見つめるデュークの切れ長の緑の瞳に吸い込まれそうな気がして、ケンは慌てて目をそらした。緑の目は魔性の目、まして北の悪魔の異名をとる少年が相手ではケンが気付かぬ内に術中にはめられる恐れがある。
「ドロボーで当たりだよ。戦場ってのは、いろいろと儲け話が多いんだ。」
「何を盗みに来た?」
 デュークの声が笑みを含んだ。自分の顔を見ようとしないケンの用心深さに感心しているらしい。
「あの、姫君かな?」
 柱の間に括られたままの、下着一枚のシアにちらっと目を走らせる。事の成り行きを息をつめて見守っていたシアが、広げた肉体をはっと固くした。
「そんな、分不相応な、ははは」
 愛想笑いしながら、ケンは改めて広げて縛り付けられたシアを見た。少女らしい細いからだが、きつく吊られてぶるぶる震えている。
「では、パターンで申し訳ないが、からだに聞かせて頂くか」
「許さない!」
「いけませんマリン様!」
「早く治癒魔法(ヒーリング)をかけませんと!」
 拷問倉の片隅から、いくつかの怒号と制止する声が交錯した。
 水責め用の池から上がって来たマリンが、濡れたからだから水を滴らせながら魔道士の間から現れた。
 銀髪を張り付けたマリンの顔を見たシアが、縛り付けられたまま悲鳴を上げた。
「ほう?」
 見やったデュークが、さすがに声を上げた。タイト・アーマーにかかった酸は、すばやく水で洗われたのが功を奏して、はずされてむき出しになった豊かな胸まではなんともなっていない。しかし、首から上にかかった酸が、マリンの横顔を無残に白くただれさせていた。
「デューク様、そのものの処置、ぜひこのマリンに」
「一段と綺麗になったな、マリン」
 顎から頬にかけて、酸の火傷が醜い化け物のようにマリンの白い顔に張り付いている。笑みを浮かべたデュークの言葉が心底からのものであると知って、ケンはぞっとしてデュークの顔を見た。デュークは、ケンに微笑み返した。
「さきほどの戦いといい、マリンに酸を投げ付けた仕掛けといい、見事な戦いぶりだ」
「ありがとよ。見物料はただでいいから、このまま放してくんない?」
 言いながら、ケンは一撃で相手を倒せなかった事を後悔していた。特に相手が女性の場合、顔に傷を付けられれば恨みは倍増する。
「でないと、ほら、あの人、なんか怖そうだろ?」
「心配する事はない」
 デュークは笑みを崩さない。
「簡単に、殺させはしないさ」
「あ、やぱっり」
「あとでゆっくり、好きなようにやらせてやる。先にその傷を何とかしろ」
「大丈夫です、デューク様」
 怒りか、痛みか、頬を引きつらせながらマリンがデュークに一礼した。
「ぜひ、私に」
「僕の言う事が聞けないのかい?」
 デュークの声が、かすかな重みを帯びた。顔の半分を焼かれたのに、マリンの顔色がさっと変わる。
「す、すいませんデューク様!」
「後遺症が出たりしたら、困るのは僕なんだよ。」
 かるく指を鳴らす。うっとうめき声を上げて、マリンがタイトアーマーに覆われた股間を押さえた。
「その火傷をかきむしられたくなかったら、おとなしく魔道士達に任せなさい」
「は・・・、申し訳ありません・・・・」
「さあ、お待たせしました。」
 デュークは、にこやかにケンに向き直った。
「どんな拷問がお好みですか。出来る限り御希望に添いますよ」
「あ、できれば、あんまし痛くないやつが、いいかなあ、なんて」
「まずはからだを見せてもらいましょうか。」
 そばに居たせいだろうか。ケンはデュークがサーベルを抜く手を見る事が出来なかった。ケンの目の前で上にぬかれた切っ先が、下に付けていた革のブレストアーマーもろとも毛皮のジャケットを両断した。
 きつく押さえられていた、ケンの固い乳房がこぼれでる。
「やはり女か」
「驚いたねこりゃ」
 男にしては華奢なからだつきと低く押さえた声、そしてわざと汚しているとはいえ顔を見て、デュークはうすうすケンが女である事に気付いていたらしい。取り巻きの騎士がおお、と声を上げる。そして、後ろ手に手枷をはめられたケンは身じろぎもせずにデュークを見返した。
「あんたほど迷いのない太刀筋は初めて見たよ」
 固い革のアーマーを断ち切られたのに、その下の胸の谷間には一筋の傷もついていない。柱の間にはりつけにされてドレスを寸断されたシアには解らなかっただろうが、切り、切られ慣れているケンには安心して身を任せられる剣というのは初めてだった。相手にこちらを切る気がないときに限るが。
「お誉めにあずかり、光栄」
 剣を片手に持ったまま、貴婦人に対するようにデュークはわざとらしくケンに腰を落とした。
「お望みならば、皮一枚ずつでも切り裂いて差し上げるが?」
「ああ、えー、できればそういうのは・・・」
「遠慮する事はない」
 再び、松明の灯にデュークのサーベルがきらめいた。
 ケンは今までにこれだけ鋭い太刀筋を見た事が無かった。同時に、これだけ殺気を感じない太刀さばきも初めてである。
 紙一重で刃をかい潜るのに慣れたからかもしれない。動きさえしなければ、デュークの剣は自分を傷つけないとわかっていた。力を抜いてリラックスしたケンの服一枚上だけを、風を裂く音とともに氷の刃が舞って行く。
 やがてデュークは、研ぎ済まされたサーベルを鞘に納めた。
「見事なもんだ」
 ケンは、自分からからだを揺すって単なるぼろ切れと化した衣服を振り落とした。
「切るつもりの閣下とは、やりたくないね」
「ほう・・・」
 松明に照らされた浅黒い肉体に声を上げたのは、デュークだけではなかった。豊かな胸を固く胸帯で締め上げ、動きやすいように短い股帯で腰を隠しているが、あらわになったプロポーションは鍛え上げられた戦士の強靭さと成熟した女性のしなやかさを同時に感じさせる。
 しかし、居並ぶ騎士達を嘆息させたのはそのからだに縦横に走る傷跡だった。
 切り傷、刀傷や矢傷は言うにおよばず、焼かれたか薬か、うっすらとケロイドの跡が残る火傷、自分で縫ったのかひきつれた縫合跡、焼きごての跡や鞭傷らしいものまでが、原といわず背中といわず肉体中をのたくり回っている。
「やはりただの泥棒ではあるまい。まだ若いはずなのに、どこでどうしてそんな傷を受け、そして生き延びる事が出来るのか?」
「貧乏くじばっかり引く呪われた運命らしくってね」
 からだを隠そうともせず、ケンは言った。
「話せば長い。語るも涙、聞くも涙の物語さ。そもそもあれはまだ物心つくかつかないころの話、まだ鼻垂れのガキだったおれが意味も知らずに武器の使い方教わり始めたと思いねえ」
「昔話はいい」
 デュークは、ぴしりと細い鞭をならした。
「それだけ色々と経験していれば、並みの拷問では感じまい」
「そ、そんな、普通の拷問だってやだよオレは」
「時間があればじっくり責め上げてやれるのだが」
「い、いや、お忙しいでしょうから簡単に」
 言いながら、こりゃごまかせんなーとケンは考えていた。見るものが見れば、大体どんな生活をして、どれだけ修羅場をくぐって来たかわかる。片目や片腕、指を何本か失っている兵士が珍しくない昨今、五体満足な戦士はそれだけで実力と運を兼ね備えているとわかる。
「デューク様」
 それまで闇のように静かに控えていた魔道士の一人が進み出た。
「例の薬、試して見ては?」
「え、薬??」
 ケンはひええと声を上げた。幻覚薬から毒薬、修行時代の自白剤から媚薬まで、一通りの薬は試した事がある。毒薬や自白剤に対してはある程度の耐性を獲得しているものの、それらの体験から得たケンの信条は、専門外には手を出さない、という事であった。
「精玉耽か」
 デュークは、ケンが聞いた事もないような薬の名前を口にした。
「どう使う?」
「東方に、人の肉体を縛るためのみに発達した縄術があります。縄一本のみを武器に使う、捕縛術の一種とも言えますが」
「あ、あのー・・・」
 ケンはおずおずと声をかけた。
「よかったら、何の話してるのか説明してくれっとありがたいんだけんども・・・」
「心配せずともすぐに自らの肉体で体験する事になる。」
「だから、そういう怖いのは、やめにしない?」
「一つ問題が」
 黒いマントとフードで、顔もみえない魔道士がケンを全く無視して話を続ける
「精玉耽は非常に強い薬です。この者が、正気に戻るかどうか、わかりませぬが」
「かまわん」
 ケンはぎょっとした顔でデュークを見た。
「それは本人の資質の問題だ。それに、懐柔した所でこ奴、こちらに付くとは思えん」
 違うかな、とデュークの目がケンに問うている。
「なるほど・・・」
 ケンは不敵な笑みを浮かべた。
「ゼクートの第二位王位継承者が、なぜ北の悪魔と呼ばれるか、良く解ったよ」
「喋れるうちに聞いておこうか」
 デュークは、鍛えられ、傷だらけのケンの肉体をじっくり検分しながら言った。
「名は、なんという?どこの手のものだ?」
「オレの名はケン。ご覧の通りのドロボーさ」
「良い答えだ」
 デュークは嬉しそうに笑った。
「では、その泥棒がどれほどのものか、試させてもらおうか」
 柱の間に拘束されたままのシアは、声も出せずに事の成り行きを見守っている。

 シアの正面の柱に、ケンの肉体は拘束されつつあった。シアと同じ様に、サイズをあわせた鉄枷を両手と両足首にはめられ、からだをいっぱいに広げた形に縛り付けられる。
「こんな格好で顔色も変えないとはさすがだな」
 ケンに歩み寄ったデュークが、頭の上に延ばして括り付けられた剥き出しの二の腕を揺する。きつく吊られたケンの腕やあしは、ぴいんと引き伸ばされて余り余裕がない。
「いいえ」
 ケンはことさら大袈裟に、これだけは自由な首を振って見せた。
「もお、どっきどきしてるぜ」
「どうかな」
 デュークは、胸帯で締め上げられてなお豊かなケンの左胸をその細い指で掴んだ。ケンは表情も変えない。
「心臓は、いつもと変わらずに打っているようだが。いい度胸だ」
「え、そおお?それはおかしいな」
 そのまま、デュークの細い指が意外なほどの強い力でケンの胸帯をむしり取った。
「!」
 息を詰めた声を上げたのは、ケンではなく、その向かいで縛られているシアだった。松明の明かりのもとに、健康的な小麦色の張り詰めた乳房がぶるんと転がりでる。
「やはり、相当鍛えているな」
 もてあそぶというより、機械の調子を確かめるような手つきでケンの乳房を掴んだデュークが指を食い込ませる。よく締まっているからだ付きなのに、あらわにされた胸はかなり大きい。しかも弾力性に富み、両手を上げているせいもあってほとんど垂れない。デュークは、戦場や拷問部屋で、戦う女性のこんな乳房を数知れず見て来ていた。
「しかも、いくつも傷がある。これは、鞭傷かな?」
 乱暴とも言える早さで、デュークは二つの乳首を横薙ぎに払った。ケンは答えず、デュークから目を逸らした。
 今までに何度も、捕まって拷問された事がある。下着だけで両手両足を広げて自由を奪われたこんな状況でも平静を保っていられるのも、子供のころからの対拷問訓練と、そういう経験のおかげである。しかし、戦場で女性に対して行われる拷問は、いつも愉快なものではない。
 そらした目に、いくつもの石を重ねて作られた太い拷問用の柱が目に入った。目を戻すと、向かい合った柱の間に蒼白な顔で晒されている色白の姫君と目があった。
「よく見ときなお姫さん。戦場の勝者が、敗者にどんなことをするのかを」
 え?という形にシアの口が動いた。
「・・・もっとも、もう充分体験してるか」
「哲学を語る余裕すらあるか。どれほど保つか楽しみだな」
 デュークの後ろに、東方風の酒壷のようなものを持った魔道士が進み出た。ケンが見た事もないような複雑な文字が、古びた紙に書かれて貼ってある。
 デュークは、持ち運びしやすいように縄で縛られた重そうな壷を、差し上げてケンに見せた。
「これが、精玉耽だ。」
「あ、あの、よかったら、効能の説明でもしてくれっと気の持ちようってもんが・・・」「媚薬だよ」
 デュークは、ケンの疑問に簡潔に答えた。
「古代の、東方の王国で生まれたものだそうだ。まだ初潮の訪れもない生娘を欲情する獣にさせ、敬謙な巫女を狂わせ、正気を失わせる。使い方を誤ると、一生色情狂のまま狂いつづけるそうだよ。そういう刑罰もあったそうだ。天国か、地獄かわからないがね」
「あやー・・・」
 ケンは心底から溜め息をついた。
「そーゆーの、苦手なんだけっどもなー」
「心配する事はない。強い意志力で、効き目が消えるまで何もしなければ、精玉耽は残らずに流れ落ちるそうだ。たとえば、今の君のように」
 デュークは、上半身裸のケンの腰に手を這わせた。冷たい掌の感触に、ケンは背筋に悪寒が走るのを感じた。
「そう、こんな状況では媚薬を使われても自分で慰める事が出来ない。」
「ありがたいことで」
「そういう刑罰もあったそうだよ。もっとも、精玉耽を塗り込められたものは、追いも若きも等しく責めを求め、叶えられたものはこの世のものならぬ絶頂に抜けられなくなり、放っておかれたものはそのほとんどが狂ったそうだが。」
 ケンは、溜め息をついた。
「で、北の悪魔はどちらがお望みで?」
「媚薬で唐だを燃え立たせたその上から、拷問して上げようかと思ってね」
「・・・・・・それはどうも、念の行った歓待で」


(1章未完)

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