奈良・奈良の旅


日付 宿泊地 交通 写真
7/21 奈良
JR京都
JR奈良線
JR奈良
徒歩約20分
★元興寺極楽坊
★興福寺
★東大寺
元興寺極楽坊 【国宝:本堂,禅堂】
極楽坊はもとは元興寺の僧房の一部であったが平安末期に
所蔵する「智光曼荼羅図」が有名になり、室町時代、本寺を
離れ、浄土信仰の寺として独立した。

本堂

本堂

禅堂
興福寺 【国宝:五重塔・東金堂等】
興福寺は奈良、平安時代にかけて日本の政治、文化の中心
を占めた貴族、藤原氏の氏寺である。その起源は天智天皇
八年(669)藤原氏の祖、藤原鎌足の妻、鏡女王が、夫の病気
平癒を祈願し、山背国山階に創建した山階寺とされる。
その後、天武天皇の世に藤原京に移され厩坂寺と称され
和銅三年(710)の平城京遷都に際し、鎌足の次子で右大臣
藤原不比等により左京三条七坊に再び移され、以後は
寺号を興福寺とした。

五重塔

五重塔・東金堂

三重塔

北円堂
東大寺 【国宝:金堂,金堂等】
盧舎那仏を本尊とする華厳宗の総本山。
奈良時代中期の創建以来、大陸から珍しい文物が次々と伝えられ
天平文化隆盛の一大拠点となったこの寺は、シルクロードの
東端に位置する”大陸文化の窓”となっていた。
創建のきっかけは大仏の鋳造であった。天平十三年(741)
聖武天皇が発した国分寺、国分尼寺建立の詔を機に、この地に
あった金鐘寺が大和国国分寺に昇格。東大寺はこれを前身とする。

金堂

金堂

法華堂(三月堂)

二月堂

転害門

鐘楼

金堂
7/22 奈良
近鉄奈良
奈良交通バス・柳生/邑地中村行き
円成寺口
徒歩約5分
★円成寺
奈良交通バス・近鉄奈良行き
手貝町
徒歩約10分
★正倉院
徒歩約15分
県庁前
奈良交通バス・中循環
破石町
徒歩約15分
★新薬師寺
徒歩約20分
★十輪院
円成寺 【国宝:春日堂・白山堂】
円成寺は天平勝宝八年(756)聖武・孝謙天皇の勅願により
唐僧虚瀧和尚の開創と伝えられるが、史実的には万寿三年
(1026)命禅上人が十一面観音を祀られたのが始まりである。
春日堂・白山堂は安貞二年(1228)奈良春日大社御造営のさい
当時の大社神主藤原時定卿が旧社殿を寄進した、全国で最も
古い春日造社殿で、鎌倉初期社殿の特色をよく表している。

円成寺

本堂

春日堂・白山堂

春日堂・白山堂
正倉院 【国宝:正倉】
聖武天皇が崩御した天平勝宝八年(756)、光明皇后が
遺愛の品を納めた倉で7〜8世紀の日本や大陸文化の
粋、約9000点が所蔵されている。
全長33メートルもの高床式の倉で細長い校木を組み上げた
校倉造りで史料には「双倉」とあり、2つの倉が連結された
と考えられている。

正倉
新薬師寺 【国宝:本堂】
聖武天皇眼病平癒祈願のために天平十九年(747)勅願により
光明皇后によって建立され、新薬師寺の新は「あたらしい」
ではなく、「あらたかな」薬師寺という意味である。
当時は東大寺と共に南都十大寺に数えられ、七堂伽藍甍を並べ
住する僧一千人と記録にあります。三十三年後の宝亀十一年
西塔に落雷、瞬時にして炎上、現本堂のみが焼け残った。

本堂
十輪院 【国宝:本堂】
創建は奈良時代にさかのぼるとされ、8世紀の初め、
元正天皇がこの寺の建立を勅願し、次代の聖武天皇の世に
右大臣の朝野魚養が創建されたといわれる。また一説には
元興寺の子院だったとも伝えられる。

本堂
7/23 奈良
近鉄奈良
奈良交通バス・浄瑠璃寺経由加茂行き
浄瑠璃寺
徒歩約1分
★浄瑠璃寺
奈良交通バス・近鉄奈良行き
近鉄奈良
浄瑠璃寺 【国宝:本堂,三重塔】
創建は永承二年(1047)とされ、九体阿弥陀仏を本尊とする。
この寺は東に薬師仏をまつる三重塔、中央宝池、西に
九体阿弥陀堂から成り立っている。寺名は創建時のご本尊
薬師仏の浄土である浄瑠璃世界から付けられた。

本堂

本堂

本堂

三重塔

浄瑠璃寺庭園

home