京都・七条の旅


日付 宿泊地 交通 写真
4/30 京都
JR京都
市営バス
東山七条
徒歩約3分
★妙法院
徒歩約3分
★智積院
市営バス
JR京都
市営バス
新葵橋
徒歩約10分
★賀茂御祖神社
妙法院【国宝:庫裡】
庫裡は豊臣秀吉が方広寺大仏の千人供養を行った時の
遺構といわれ、これを始修した文禄4年(1595)の建立とされる
大棟の鬼瓦には慶長9年(1604)の銘があり、桃山時代の
建築遺構を代表するものである。庫裡の内部は自然木を
うまく応用した巨大な梁の組み合わせが豪快で棟まで
立ち上る束と貫の交差した小屋組の構成はたくましく
圧倒的は力強さで見るものを魅了する名建築である。

妙法院

妙法院

庫裡

庫裡

庫裡

大玄関

本堂

庭園
智積院

金堂

庭園

庭園
賀茂御祖神社【国宝:東本殿・西本殿】
賀茂別雷神社とともに京都最古の神社で、天平20年(748)
から天平勝宝2年(750)の間に上賀茂社から分かれて創建
伊勢神宮と同様に式年遷宮が行われ長元9年(1036)から
元亨2年(1322)まで、ほぼ20年ごとに本殿が新築されて
きたが、応仁の乱後は途絶えた。現在の本殿は文久3年
(1863)の建築。

賀茂御祖神社

御手洗社
5/01 京都
JR京都
市営バス
上賀茂神社前
★賀茂別雷神社
市営バス
千本北大路
市営バス
鷹峯源光庵前
徒歩約3分
★光悦寺
徒歩約5分
★常照寺
市営バス
千本今出川
徒歩約10分
★北野天満宮
徒歩約5分
★平野神社
徒歩約10分
★大報恩寺
賀茂別雷神社【国宝:本殿・権殿 】
古代豪族の賀茂氏の氏社として創建され、文武天皇2年
(698)の賀茂祭の記述が「続日本紀」にみられ、当時
すでに広く信仰を集めていた。現在の本殿と権殿は
文久3年(1863)に再建されたものである。

二の鳥居

境内

細殿・立砂

庁屋

橋殿

楼門

本殿
光悦寺

光悦寺

光悦垣

庭園
常照寺

赤門

帯塚

吉野太夫墓所
北野天満宮【国宝:本殿・石の間・拝殿および楽の間 】
天神さんの愛称で親しまれている北野天満宮は
学問の神様として有名な菅原道真公をお祀りしています
本殿は慶弔12年に造営された桃山時代の代表的建造物。

北野天満宮

中門

本殿

本殿

本殿
平野神社

平野神社

平野神社

平野神社
大報恩寺【国宝:本堂】
瑞応山千本釈迦堂大報恩寺と称し,真言宗に属す。鎌倉初期
義空上人の開創。本堂は今から750年前、貞応2年(1233)に着工
安貞元年(1227)に上棟の京都最古の国宝建造物である。

本堂

本堂

本堂
5/02 京都
地下鉄東山
徒歩約15分
★知恩院
徒歩約20分
★南禅寺
徒歩すぐ
★南禅院
徒歩約3分
★大寧軒
徒歩約10分
蹴上
地下鉄東西線
醍醐
コミュニティーバス
醍醐寺前
徒歩すぐ
★三宝院
徒歩すぐ
★醍醐寺
知恩院【国宝:三門,本堂】
鎌倉時代に法然上人が居住し、お念仏の教えを説かれた場所で
寛永16年(1639)に家光公が御影堂(本堂)を、元和7年(1621)
秀忠公が三門を建立し、現在の寺域が形づくられました。

三門

御影堂
南禅寺【国宝:方丈】
瑞龍山太平興国南禅禅寺と正称する。禅宗の臨済宗南禅寺派の
大本山である。およそ740年前の文永元年(1264)亀山天皇は
山水明媚な当地を愛されて離宮禅林寺殿を営まれた。
天皇はその後当寺を開山仏心大明国師に深く帰依されて
法皇となられ、正応4年(1291)離宮を施捨して禅とした。
方丈は天正年間豊臣秀吉が建造寄進した御所の清涼殿を
慶弔10年(1611)後陽成天皇より拝領移築したものである

方丈

方丈
南禅院

南禅院
大寧軒

庭園

庭園

庭園
三宝院【国宝:表書院、唐門】
醍醐寺の子院として永久3年(1115)の創設される。
応仁の乱で焼失後、桃山時代から再興が始まり
金堂などが整えられた。表書院は慶長3年(1598)
豊臣秀吉の醍醐の花見の際に建てられた建物を
移築したもので当時は寝殿よ呼ばれていた。

三宝院

唐門
醍醐寺【国宝:五重塔、金堂、薬師堂、清瀧宮拝殿】
真言宗の宗祖・弘法大師の孫弟子にあたる聖宝・
理源大師は貞観16年(874)醍醐山上に草庵を結び
准胝、如意輪の両観音像を彫刻し、堂宇に安置
したのが醍醐寺の始まりである。開創後、醍醐、
失雀、村上の三帝の深い帰依により次第に堂塔が
建立され天暦5年(951)には五重塔が完成。山上
山下にまたがる大伽藍が整った。

仁王門

金堂

五重塔

五重塔

五重塔

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