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From 1000 to V
--- My life with Palm Computing Platform --- (Part 2)

Last Modified: Sunday, 06-May-2001 23:49:27 JST
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第11回

kanae -> kana I

平成11年10月29日(金)

さて、そうこうしているうちに、幾つかの技術的なハードルはあったが、 想像していたよりはあっさりと kanae は動き初めた。 Address Book だろうが、Memo Pad だろうが、たいがいのソフトでかな文字が さくさく入力できる。 「おおお、我ながらこれってけっこうイケてるじゃん。」 さぁ、リリースだ!

ところが、ここで一つ問題があった。それも他ならぬ、 さんざん頭を悩まして付けた名前についてだった。

実は kanae という名前を思い付いた時、どっかで聞いたような気もするなぁ と、ちょっ思った。調べてみたら、 案の定 NEC で開発されたユーザインタフェース構築基盤で 鼎 (Canae) というのがあった。 名前がかぶるのはちょっとヤバいなぁということで (商標登録はされていないようだが...)、 kanae は仮称ということにして、とりあえずリリース、 ついでに正式名称も公募することにした。

98/02/22 に、SPad や Link Pad の正式リリースからあまり時を置かず、 pilot-ml で公開を告知した。 幸い反応は上々だった。普通の PC の Input Method でも、確定動作もなく ローマ字が直接「かな」に変換されるものはあまりない。 結構インパクトがあったようだ。あの山田さんも、最初、実装方法が 判らなかったらしい。(これを聞いた時は、内心かなり嬉しかった:-)

同時に名称も募集したのだが、これもイベント性があったためか、 けっこう盛り上がった。一番多かった意見としては、 kanae のままがいい、というものだった。 が、まぁ、そういうわけにもいかない。 (もちろん、私も kanae という名前は非常に気に入っていたのだが。) 結局、佐野初夫氏の「カナワン」というアイディアを基に "kana I" という名称にすることにした。 美しい、というよりはファニー、しかも和語じゃないものになったが、 まぁ親しみ易くはあるだろう。

そして、なにより、私の興味の中心は kanae から manae に移っていた。 kanae のネーミングにそれほど拘る気も薄れてきていた。


第12回

manae リリース

平成12年8月14日(月)

Kana I と名称が決った次の週末、私は イケショップ(モバイルプラザ)に出掛けた。 ぷらぷら店内を 見ていたら、知り合いのイケの N さんが「Kana I 好評ですねぇ。」と 話しかけてきた。「ありがとうございます。」私は素直にそう答えた。 「でも、それよりですねぇ...」、 私はおもむろに自分の WorkPad 取り出し、DateBook を起動、 そして Graffiti 入力を始めた。 Kana I のようにインラインでローマ字かな変換した文字が 入力される。そしてさらに、スペースを Graffiti する...。 すると、インラインでかなが漢字に変換される。 アプリを切り替えても同様に動作する...。 見ていた N さんに驚きの表情が浮ぶ...。 そう、 manae のプロトタイプをデモした最初の瞬間だった。

その日は、イケにやってきた色々な人に manae を見てもらった。 時々ハングアップしながらも。それでも、なかなか反応はイイ感じだった。 デモを見たイケの店長は「商品化しましょう!」とまで言ってくれた (結局、こちらの都合で商品化は止めたのだが、このことがきっかけで、 その後 manae は「真辞書」にバンドルされることになった。)

それから数日後の1998年3月8日、 気がついたバグの修正とマニュアル等を整備して manae の最初のβバージョン0.318がリリースされた。

私が30才になる2日前のことだった。


第13回

パーム航空、機長さんとの出会い

平成13年5月06日(日)

manae リリース直後から、pilot-ml を中心にわりと反応があった。 既に J-OS がインライン変換をサポートしていたとはいえ、 特別な Window もなく、パソコンのようにインライン変換するのは、それなりに インパクトがあったようだ。 もちろん、バグやSKKをベースにしている故のクセの強さのため、 使い難い、という声もあったけれど。 なんにせよ、反響があるというのは非常に嬉しく、また、 励みにもなるものだ。この時にそのことを改めて痛感した ことを、今でも良く覚えている。

さて、開発のほうは、順調、とまでは言えないまでも、それなりに進み、 要望への対応やバグ取りが進んでいった。 リリースして約一月後には、使い難い、という声に対応するため、 manaemori という名前の専用の GUI ソフトまで開発していた。 (もっとも、これは実装の仕方が悪く遅かったため、 しばらくしてお蔵入りとなった。その後名前だけは復活させたが。:-) 振り返えってみると、だいたいリリース3ヶ月ぐらいで、 大まかな骨格はできあがっていた。

さて、そんな開発初期の頃の話である。 当時エンターテインメント系ニュースサイト(?)として飛ぶ鳥を落す勢いだった、 パーム航空で manae を 取り上げていただいた。 私自身、とても好きなサイトで、当時(今でもだが)毎日楽しみにチェックしていた。 そこに、突然自分のソフトが、しかも丁寧に取り上げられた事に驚き、 機長さんにさっそくメイルを出してみた お忙しいのにも係わらず、彼からもすぐに返事があり、そのやりとりの内容も とり上げていただいた。(ちなみに、バカ丁寧な文体なのは、 彼への初めてのメイルだから、ということもないではないが、 ま、実は冗談半分だった:-)。

その後も度々 manae はパーム航空に取り上げていただき、彼とのやりとりも続いた。 manae のプロモーションという観点では、このことは私に大きなプラスとなった。 manae がそれなりの知名度を得たのも、彼のサイトに度々取り上げていただいたからだと思う。

しかしそれよりも、個人的には、彼のように必ずしもコンピュータの技術の専門家ではない、しかし、ユーザ立場から鋭い視点で Palm をみつめ、そしてそれを、平易で楽しい形で表現できる人との出会いは、今迄とは、違った意味で刺激的で楽しいことであった。 そして、このような Palm のコミュニティデハ今まで接したことのないタイプの人との出会いは Palm ユーザの広がりを感じる点でもあった。


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注釈

お世話になった方々

技術上の問題では、今でも多くの開発者の方々のお世話になっているが、 この時は特に、ユーザの方々からの声に大変勇気つけられた。

特に 佐藤慎さんは、SPad の時代から一貫して支持して下さり 本当に感謝している。 (最近 Nifty には顔を出していないため、すっかりご無沙汰ですが、佐藤さんには、より一層のご活躍をお祈りしております。)


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