第1回

福永法源著 「病苦を越える最後の天行力」
(Power of The Universe Energy TENGYORIKI II)

--- パワフルなシャーマン、福永法源の説く天声、そして天行力。---


この本について

書名
「ゼロの力学」シリーズ21病苦を越える最後の天行力
初版発行
1993年11月15日
著者
福永法源
発行者
星山康天
発行所
株式会社アースエイド

この本から読みとれた「ゼロの力学」の概要

団体名
ゼロの力学
主宰(?何と読んでいるのかはこの本からは不明)
福永法源
主宰の位置付け
天とのパイプ役
信仰対象
天(?)
目的
一人一人が「生きざま」を変え「人間」になるこという「救済の事行」を 広めることによる人類の滅亡の回避(本書p.66-72より)
終末思想
輪廻転生
修行システム
超人間完成修行、天行力手帳等
予言 (以下は福永氏の言う「天声」である。)

はじめに

最初に取りあげるのは、最近ハデな宣伝活動を展開している「ゼロの 力学」の福永法源氏の著書である。東京近郊の方であれば、よく、駅に大きな 氏の著書の看板があるのでご存じの方も多いだろう。他にも、夕刊紙に連載を持っ ていたり、今年の夏には自著をあちこちでバラまいたりもしていたようだ。な かなか、広報活動がパワフルである。そして著者の福永法源氏もこの本の内容から は、なかなかパワフルな人にように感じられる。 (オウムの本ではなく、この本を最初に取り上げたのは、個人的に、まぁ、な んか、「旬」かな、っと思ったからだ。いきなりオウムじゃ重いしね。)

この本で説かれていることは、現世利益的なところが強く、最近の(精神世界 への接近が著しい)新新宗教というよりは、旧来の新興宗教と呼ばれたものに 近いも気もするが、それなりに、興味深い点もあったので、そんな点を中心に 感想を述べてみたい。(それが新しいものなのかどうかは、私は知識不足にして判らない が。)

なお、彼は最近3冊の著書を出し、その中の一つ「すべてを変える人間力があった」 という著書は、この本の続編とも言うべきもので、内容的にも新しいのだが、 個人的には、こちらのほうが内容的に興味深かったので、こちらを取り上げさ せていただく。(もっとも「人間力」のほうは、すこしだけ立ち読みしただけ だが...)

天、天声、法源、そして天行力

まず、お断わりしておかなければならないのだが、じつは、この本を読んで、 この団体は自分達は宗教をやっていると思っているのかどうか、判らなかった。 既存の宗教や科学を否定しているし、どうやら、自分達のことを宗教と は考えていないようだ。それはこの「天」という言葉にも現されてい ると考えられる。法源氏は「天行力は、あえて「神」を頂かない」とし、 「「天とはなにか。これを分りやすくいえば、各個人の本体である魂を地上に 送りこんだ大もと、生命を創造したもの、根本の大きな存在なのだ。あるいは、 この大宇宙を生んだある意思であり、根源体だと言い変えることもできる。」 としている。うーむ、中国の(良く知らないが)「天」の思想からなのか、ニュー エージの影響なのか。彼は従来の宗教が「神」の名の下に人間の我欲を満たす ために利用してきたとして、批判し、そのため「神」と呼ばず「天」と呼ぶの だそうだ。

そして、その「天」の声が「天声」であり、それを媒介する「パイプ役」が「法 源」氏となる。また、「天」が「法源」氏を媒介にしてさまざまな現象を起 す、生命の根源エネルギーが「天行力」とされている。

ここで気がついたのだが、多くの日本の新興宗教といわれる宗教が、仏 教系であったり、神道系であったり、キリスト教系であったり(あまりイスラ ム教系というのはないようだが)、するが、これは独立系ということになる。 これは、宗教(じゃないんだろうけど)として、権威付けや後ろ盾となるものが ない代り、大川隆法氏のように既存の宗教における教えとの矛盾を指摘され (彼の本の場合、極端なわけだが)ることもなく、自分の発言の矛盾にだけ注意 していれば良いこととなる。既存の世界3大宗教の神々は、実は同じ存在の別 の時代、土地に現れた別の態様とする理論を立て(それはそれで、 なにやら格好よく響くものかも知れないが)、その教えの整合性に苦慮する(矛 盾を抱えたままのものもけっこうあるようだが)宗教は多 い。逆に新たに絶対的な存在を祭上げてしまえば、話はすっきり判りやるくな るし、論理的明確さを持ちやすい。 最近の(といっても一連のオウム事件以前の)なん となく宗教が胡散臭く思われてる風潮にあっては、逆にメリットとなりえるの じゃないだろうか。

もう一つ指摘できる点がある。それは、「法源」氏が「パイプ役」に徹するこ とにより、彼自身への個人崇拝の傾向は弱まるであろうが、逆に彼を信じる人 達への支配力(主語は「彼」ではなく「天」ということにはなるが)は、強まる とも言えるんじゃないか、ということだ。すなわち、彼が「天声」として語っ たことは、「天の意思」である。天は(これは私の考えだが)ある意味で一神教 の神とも言える(彼はもちろん神ではないとするが)存在であるから、その絶対 性はかなり強いものとなり得よう。後述の彼のシンプルかつパワフルな教え とあいまって、 彼を信じる者にかなり強い精神的な強制力を持つものではないだろうか?

教え、修行
さて、その天声(時々どこまでが、天声で、どこからが彼の解釈か判り辛い) が示す教えであるが、これはいたってシンプルである。基本的には、個々人の 救済そして、上記、天声の予言を回避するため、「生きざま を変える」ということと、それにより「人間を救済する」というとになる。 「生きざまを変える」とは、どういうことか?彼は、人生のなかで苦を刻む ことを止め、喜びを源(わ)かせ、そしてそのために「頭を取れ」とのようなこ とを言っている。人間は頭で考えているからこそ、悩むのであり、悩むことに より、苦の波動(なのだそうだ)を刻んでいる。そのために病気等の災難を呼び 込むこととなり、ひいては、人類全体に害を及ぼすことになる。そのために 「頭をとって」喜びを源かさなければいけない。それにより人類が救済できる。 そのための手段として「超人間完成修行」という修行と「天行力手帳」という、 法源氏とそれを持つ人との間で天行力を媒介するとされる手帳がある。という ようなことを説いている。(まぁ、このへんが、この「ゼロの力学」という団 体の「システム」ということになろう」)

彼の如何なる状況においても、「喜びを源かせる」人間となれ、という教えは、 まぁ、個人的に共感できないでもない。人間の根源的な生きることの喜びへの 気付きというのは、たぶん他の宗教でも重視していることなんだろう。座禅や らヨーガやらの修行法というのは、自己を日常とは異なった視点から捉え直し、 内観することによって、人間というものへのより深い直観的な理解へと至るた めの手法であろうし、そういった手法を通して「喜び」を直観的全体的認識す るということもありえよう。(私は、知識がないなりに「直観的に」そう思っ ている。)とはいうものの「喜びを源かせる」というのと「頭をとれ」という のは、いささか、単純に過ぎるような気がする。「喜びを源かせる」とは、単 なるポジティブシンキングのような気がするし、こんな考えでいられれば、精 神衛生上、非常によろしいだろうし、病気や、状況も好転する場合も、まぁ、 あるだろう。それに「頭をとれ」との言いは、内面への気付きであれば、まぁ 良いが、思考停止に陥る危険性も持っているのではないだろうか?宗教または 宗教に類する団体はヒエラルキーと神や教祖への信心との形で、多かれ少なか れ、全体主義的色彩を帯びるものだとは思う。しかし、繰り返しになるが、先 に述べた「天」−「天声」−「法源」−「天行力」との関係とあいまって、彼 を信じる者にとって、「パイプ役」としての彼の存在が、逆説的に強いものと なりうるものであると思う。「天声」の教えは終末思想を含むものではあるが、 それ以外、「恐怖」に基づく、信じるものを縛る装置がこれといってない。し かし、その教えは十分強いものといえよう。

天行力
本書のメインテーマは、本のタイトルにもあるように「天行 力」であり、中でもその病気や人生の苦しみ(「病苦」)を克服できるという、 その力を説くことにある。しかし、これは、上に述べた「天声」に比べると今 一つきわだった特徴に欠けている。だいたい、このような病や苦、そして超能 力が得られるというような「力」というのは、他の宗教でも良く見られること だ。そして、彼の説く「天」の教えの中で、この「天行力」とはどのような位 置付けにあるものかも実ははっきりしない。

「天行力」は、空間に存在するエネルギーで先に述べたように「天の生命活性 エネルギー」なのでそうだ。(エネルギーなのに「力」とはこれ如何に?ま、 いいや。)ここでも法源氏は自らを「天行力」を送る「パイプ役」であるとし ていて、自らに天行力という超能力があるわけではないとしている。してみる と「天行力」と「天声」の関係はどうなるのであろうか?別に「天」を信じ 「天声」の教えに従った人生を送っているから、そのご利益として「天行力」 による救済があるわけでもなさそうだ。「天行力」は、「天の生命活性エネル ギー」である以上、人格的な存在である「天」が思惟的に人々に与える力では ない。そこにあるものであり、本来なら人間だれでもが受けられる力とされて いる(ここでも彼は、人々に「頭」が付いているため、理屈や常識にしばられ、 この「天行力」が受けられなくなっているという。このためにも「頭をとれ」 と彼はいっている)。とすれば、「天行力」は「天」の存在のための傍証に過 ぎず、うがった見方をすれば、「天声」を広めるための取って付けたような宣 伝材料に過ぎないともとられてもしようがないような気もする。

事実この 本の構造自体が2重構造になっており、最初に軽く「天行力」に触れた後は、 「天声」の予言について多くのページを裂き、再び「天行力」について述べて いる。しかし、「天行力」の持つ通俗的、現世的利益の話に終始しており、力 点は「天声」のほうにあるようだ。そして、「天行力」が数多くのご利益を持 つとしても、それが「天声」の確かさの証明にはなっていないし、教えとして、 あまりに統一が取れていない印象を受ける。

輪廻、予言、そして終末思想

最初にまとめてあるように、彼の教え「天声」は、輪廻を認め、そして、予言 による終末思想がある。このへんは、他の新新宗教などと共通したことといえ よう。上にまとめた「天声」の予言のいくつかは、既に時期が過ぎている。し かしながら、それが現実のものとはなっていないようだ。 これが、彼の言う「喜びを源かす」人間が増えたため、回避されたとは、とて も思えないのだが。この点に関しては、彼はどのような説明をしているのだろ うか?本書以降に出版された他の本を全て読まないと良くわからない。しかし、 すべてを変える人間力があっ たには、エイズについては特に触れていないようだ。

最後に

...なーんて、マジに書いたけど、彼って、もともと会社社長だし、基本的に商売 人なんでしょうね(彼の「天」との「パイプ役」に目覚めは、事業に失敗した 失意のどん底の時であったそうだ)。夕刊紙でヘソ占いなんてのやっていたり、 かなり通俗的な内容の本も出しているようだし、本書の「天」と「天声」と 「天行力」のあまりにも不統一な関係についても、「商売」的な観点からの教 えの流布のための方便と考えれば、その点からは説明がつくし。 まぁ、あまりマジになってもしょーがないってことでしょう。 でも、あれだけ宣伝がハデだとそれなりに信奉者はつくでしょ うし、既に述べたように、頭を取るの意味をそのまま理解して、思考停止に陥 る人がでてきたりで、その点は、あまり好ましくないでしょうけど。彼の最初 の著書「世紀末超文明論」を読んだ限りでは、時代や、読者からのフィードバッ ク(?)にあわせて、説く内容も変化しているように感じた。特に初期は(団体 名でもある)「ゼロの力学」との概念についても説いていたようだが、最近の 著作では「天行力」のほうに力点が移っており、「ゼロの力学」についてはほ とんど触れられていない。団体の拡大を計るなかで、何が重要であるのか、整 理されてきたと考えるのは、団体としての「ゼロの力学」に対して失礼だろう か?

ともあれ、この本の内容自体からは、個人的に特に得るものはなかったし、時々 顔を出す、彼の擬似科学的な物言いは、理科系の人にはアピールしないんじゃ ないかなぁと感じた。 しかし、この本を読んでみて、彼の口から発っせられる「天声」はパワフル なものであり、「天行力」のご利益とあいまって、「ゼロの力学」とは、それ なりに面白い団体であるとは感じた。その宗教色を 排した、それでいてベーシックな部分をおさえたその教えには、現代の求めら れる宗教の一つの形があるのだろう。


岩間の好み度(5段階):☆☆
コメント:
わりと言ってることは、普通なんだけど、少々全体主義的色彩を強く感じてし まったのが難。


追記

今回は最初ということもあり、少々長くかたくなりすぎたようだ。次回からは、 軽く短くいきたいと思う。


週末思想の目次へ
岩間のホームページへ
naoz-i@tt.rim.or.jp / JBE00344@niftyserve.or.jp