少し前に思った事だが、学校って変だ。

学校で教えてくれる勉強は“記憶モノ”がメインだ。試験なんかも記憶力勝負の問題ばかりだ。なのに、記憶力の高い輩も低い輩も同じ期間で教えようとする。この期間が記憶力が悪い方が基準になっていれば問題ないかもしれないが、そうじゃないのは体験から判る。

義務教育が終わり、高校に進学する時には入学試験なんてモノがあり、“アホ度”に従ったレベルの学校に振り分けられる。が、軽度のアホ学校も重度のアホ学校も、修学期間は同じ3年間で終わりだ(留年って制度はあるが)。これは、その集合の記憶力に合わせて期間を長くしたり短くしたりがあって然るべきだと思う尾。または、同じ3年で重度のアホ学校生徒を軽度アホ学校生徒と同じようなレベルにしようと思うなら、1クラスの人数を思いきり減らす(代わりに軽度な方は増やす)とか、教える技術の高い教師を揃える(代わりに軽度な方はアホ教師ばかり)とかするなら理解できるが、そうじゃない(と、思う)。

あと、何で沢山の科目をパラレルで教えようとするのか。ますます記憶力の低い輩は不利ではないのか? ワザとやっているのなら、記憶させまいとしているのか?(確実に記憶してもらいたい分野の学校が何故か単位制なのはこの辺りに秘密があるのか?)。

人間の記憶システムというのは、キャッシュとメインメモリに別れていて、キャッシュに1日分の記憶が蓄えられていて、睡眠中にメインメモリに対してコピーされるそうだ。予想だが、このキャッシュはLIFOになっていて溢れたぶんは古い方から捨てられると予想される(捨てるといっても、WindowsやMacintoshの“ゴミ箱”みたいにリサイクル可能のようだが)。

つまり、1時間目に記憶したモノは、5時間目の記憶作業の結果捨てられているかもしれない?

というワケで、科目は言語、算術、理科、政治歴史、その他(土曜日専用)の5科目のみ。1日授業は3回(午前2回午後1回、1回2時間)が良いと思うが、どうか?


自分のフェイバリットなモノ書きを列挙すると…

どの人も作品が少ない。横田順彌は最近めっきり新刊が少ないし、どこかの雑誌で連載しているという噂も聞かない(最後に雑誌で読んだのは、何度目かの復刊の奇想天外だ)。仙波龍英は、その短歌とかが好きなワケじゃないので、読めなくても得に問題無い(笑)。たぶんゴーストライターとして歴史小説でも書いているのだろう(歴史小説嫌いだから、これも読まない)。仙波龍英は雑文が好きなだけだ。

で、松沢呉一だが、氏は本出しても初版のみで増刷しない。発行部数も多いワケじゃないんで、入手に苦労してしまう(その点は横田順彌も近い状況)。自分は本屋に本注文しない主義なので(笑)、なおさらだ。

って事で、新刊「糞尿タン」の入手も苦労した。が、ついでに「大エロ捜査網」も発見できたので良しとす。あー、どこかの古本屋に「ウンゲロ」無いかなぁ。

本になってないヤツでは、この辺がWEBで読めるのがやや嬉しい(が、やはり本になっている方が嬉しい)。


間に別の話題が入ったけど、自分のモノの覚え方はインデックス方式だ。

つまり、情報の場所(または、取得方法)は覚えるが、情報そのものは覚えない。というか、覚えられない。もう10年くらいC言語のプログラム組んでるが、いまだにmanページ無しにはコーディングできない(笑) どんな標準関数が有るか知ってても、引数リストやその順番までは覚えていないワケだ。

何年か前に読んだ話だが、どっか外国のアタマの良いオッサンが”Xanadu”ちゅうどっかのRPGみたいな名前のデータベースを考えていた。これは、1つの情報はかならずデータベース上に1つしか待たないようにして、その他は、その1つだけの情報に対するリンクにする。その情報の場所は世界中のどこでもよくで、複数のデータベースが互いにリンクしあってる・・・みたいな感じだったか?忘れた(爆)

けっきょく、現在インターネット上のWWWページが似たうな感じでそれを実現しているんだけどね。