2000年度大学院入学式式辞
新入生の皆さん、入学おめでとうございます。本日ここに修士課程407名、博士課程151名の夢と希望に満ちた若々しい学究の徒を迎えることは、東京都立大学大学院にとって大きな喜びであります。
東京都立大学大学院は1953年に人文科学、社会科学、理学、工学の4つの研究科14専攻でスタートし、専攻の増設等を重ね1994年には我が国で初めての都市科学の研究と教育を目的とする独立研究科として都市科学研究科を設置し、5研究科26専攻となりました。1997年には定員増を行い、特に、理学研究科と工学研究科では定員を2倍以上に増やし、更に昨年度は理学研究科に身体運動科学専攻を新設して5研究科27専攻となりました。
昨年度の実績で、修士課程に860名、博士課程に574名が在籍していますが、そのうちの120名は19の国々から来ている外国人留学生です。異なる文化的背景を持つ人達が机を並べて切磋琢磨し合い、また協力し合いながら学問の研究をすることは、大変に有意義なことだと思います。昨今は国を挙げて「グローバル化」が叫ばれていますが、そのためには異文化の優れたものに触れてそれを進んで学ぶ姿勢が必要です。留学生と友人になることは、異文化を学び外国人に日本の文化を伝える絶好の機会です。世界の国々に日本を知る友人を増やすことは、相互信頼の糸を結び世界の平和に貢献する地道な第一歩であると思います。残念なことに、我が国の留学生を受け入れる体制は甚だ貧弱であり、本学においても十分とは言えない状態にあります。しかし皆さんのフレンドシップで留学生を暖かく迎え入れ、国際交流の実があげられることを期待しています。
かつて、大学が「最高学府」といわれ、ほんの一握りのエリートだけが進学する所であった時代には、大学院は「象牙の塔」の一角として一般社会から隔絶した印象を与えるかなり特殊な所でした。しかし、現在我が国では高校生の約44パーセントが大学に進学し、大学生の約12パーセントが大学院に進学する時代になりました。従って、大学は普通の教育機関になり、高等教育機関は大学院であるということになります。特に、理系では大学院への進学率が30パーセントを超えていますから、大学院ですら普通の教育機関になりつつあるといえます。これらの数値は全国平均ですが、本学に限ればずっと高い値になります。大学院はかつては専ら研究者の養成機関と位置づけられていて、大部分の人が研究職を目指し、本学大学院の出身者もその多くが全国の大学や研究機関において活躍しています。文系では現在でもこの状況が余り変わっていませんが、理系では研究者の養成とともに高度な専門家の育成も大学院の重要な機能となりました。科学技術が急速に進歩した結果、理系諸分野においては、学部卒業の段階では「自分はこの分野の専門家です」といえるレベルに達しないことが多く、修士課程を修了してはじめて社会から「専門家」として迎えられるのが実状です。しかし、これからは文系諸分野においても、ロースクール、ビジネススクール等を始めとする高度専門職業人養成のための大学院が続々と登場してくることになるでしょう。本学でも現在大学改革を推進する中で、このような機能を持つ大学院の新設を検討しているところです。
修士課程に入学した皆さんは、学部で学んだ基礎を踏まえて、それぞれの分野で研究の最前線に触れることになります。これまでは講義を聴いたり先生の指示に従って実験・実習や調査をしたりすることが多かったと思いますが、これからは自分で問題を見つける訓練が必要になります。将来研究者になるにせよ高度専門職業人になるにせよ、最前線においては、進むべき方向は自分で模索しなければなりません。修士課程在学中にこのことをしっかりと自覚して自らを鍛えて下さい。
博士課程に進学して研究者を目指す皆さんは、これから本格的に学問の研究に取り組むことになります。その学問研究をする態度について、「学ぶ者は先ず疑いを会せんことを要す」という偉大な先人の言葉があります。即ち、学問の研究は先ず疑ってみることが大切であるという意味です。これは中国の大哲学者朱子がその著書『近思録』の中で述べている言葉ですが、偶々この朱子について、その言葉通り「よく知られたことでも疑ってみた方がいい」という恰好の例があったのでお話しします。「少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋聲」という漢詩は昔漢文の時間にも教わりましたが、朱子の「偶成詩」として古来余りにも有名です。皆さんに座右の銘にして頂きたい素晴らしい詩です。先般、この詩を引用しようと思い、確認のため中国の詩集等を調べてみました。しかし、この余りにも有名な詩が何故かどこにも見当たりませんでした。そこで親しくしている中国人の留学生達にこの詩のことを聞いてみましたが、誰一人知っている人はいませんでした。不思議に思って何冊か辞典にあたってみましたが手がかりは得られず、最後に広辞苑の最新版を見てやっと謎が解けかかりました。そこに書かれていた意外な説明について中国文学の先生に確認して、疑問が氷解しました。この漢詩は日本製だそうですから、中国の詩集に載っている筈はなく、中国人の留学生がこの詩を知らないのは当然でした。これはほんの小さな例ですが、「先ず疑ってみること」が大切です。コペルニクスは「太陽が地球の周りを回っている」という不動の常識を果敢に疑って「地動説」を唱え、人類の常識を180度転回させました。皆さんも小さな疑問を大切にして大きな成果をあげて下さい。この南大沢から21世紀の「コペルニクス的転回」が生まれることを期待しています。「学は山に登るが如し、動きて益々高し」といわれています。皆さんも学問の道は進むほどに高く険しくなっていくのを感じることでしょう。しかし、頂上を極めたときの感激は何物にも優ります。昨今、物質の究極の構造や生命のメカニズムが解明されていくのを見ていると、門外漢の私でも感動を覚えますから、当事者の感激はいかばかりかと思われます。小さな疑問を深く掘り下げて真理を追求し、博士の学位を目指して力の限りを尽くして下さい。
先日、この会場で1999年度の学位授与式が執り行われ、76歳の工学博士と71歳の理学博士が誕生しました。今日のこの会場にも社会人の方が少なからずいらっしゃいますが、学問に年齢はありません。江戸時代の儒学者佐藤一斎が言うように「少にして学べば則ち壮にして為すあり。壮にして学べば則ち老いて衰えず。老いて学べば則ち死して朽ちず」です。困難なことも多いでしょうが、"Where there is a will, there is a way" です。強い意志を持って取り組み、見事に結実させることを期待しています。
かつて「象牙の塔」と言われた大学院も、最近では社会と接点をもちつつ最先端の学問研究の中心としての役割を果たしています。昨今は民間でも有力な企業が大規模な研究施設をもち、高度な研究を推進していますが、純粋な知的好奇心に基づく研究や直ちに役に立つとは限らない基礎的な研究は大学においてしかできません。大学における基礎的な研究が文化の発展にこれまでどれほど大きな役割を果たしてきたかは計り知れないものがあり、今後も大学の使命は基本的には変わらないでしょう。
間もなく始まる21世紀には、生命科学や情報科学等を始めとする先端科学が加速度的に発展することは間違いありません。同時に、このような先端科学を社会に調和的に融合させるには、人文・社会系の学問の進歩が不可欠です。様々な分野が相互に補い合い、協調を保ちながら前進することによって、人類社会は健全に発展することができます。人文・社会系の皆さんも、理工系の皆さんもそれぞれの分野で力の限りを尽くして下さい。21世紀における学術・文化の創造は皆さんの双肩にかかっています。皆さんの奮闘を期待します。
[2000年4月5日 都立大学講堂大ホール]