1999年度入学式式辞

 新入生諸君、入学おめでとう。本日ここに1067名の新入生を迎えることは、東京都立大学にとって大変喜ばしいことです。
 東京都立大学は1949年に創立され今年50周年を迎えますから、諸君は本学開学50周年という記念すべき年の入学者です。数々の記念事業が企画されていますから、諸君も積極的に参加して下さい。本学は50年前に旧制の6つの学校、即ち、都立高等学校・都立工業専門学校・都立理工専門学校・都立機械工業専門学校・都立化学工業専門学校及び都立女子専門学校を母体として、人文学部・理学部・工学部の3学部でスタートしました。その後1957年に人文学部から法経学部を分離し、更に1966年には法経学部を法学部と経済学部に分割して5学部になりました。開学当初400名だった入学定員はその後何回か定員増を行い、8年前にこのキャンパスに移転したときから1000名になりました。本学は小規模ながら5つの学部を持つ総合大学で、少人数によるきめ細かい教育を特色にしています。
 この50年間に日本は大きく変化し、大学をめぐる状況も変わりましたが、都立大学は一貫してアカデミックで自由な学風を守り続けてきました。諸君は先輩達が築きあげてきてきたこの大学の良さを十分に理解し、それを活用して自らが大きく成長すると共に、更に良き伝統を後輩達に残すよう努力して下さい。
 都立大学の自慢の一つとして充実した大学院をあげることができます。諸君の多くは「偏差値」等を基準にして大学選びをしたかも知れませんが、学部を卒業して大学院に進むときには、自分が専攻したい分野が決まっていてどこの大学院に行けば優れた指導者にめぐり会えるかを考えて選びます。本学の大学院が他大学からの受験者が多いのは、本学の研究・教育体制や教授陣が優れていることを知って選択するからでしょう。
 まもなく終わりを迎えようとしている20世紀は、人間の歴史において劇的な変化をした時代であり、その変化の原動力は科学の進歩であるといえます。ところが驚いたことには、中学生を対象にした国際教育調査によれば「理科が好きな生徒の割合」「理科が生活の中で大切であると考える生徒の割合」「将来、科学を使う仕事をしたいと考えている生徒の割合」等は日本が世界最低だそうです。一般市民を対象にした調査でも「科学技術に関心をもっている市民の割合」や「科学の新しい発見に関心をもつ市民の割合」等が世界最低だそうです。つまり「日本は最も理科離れが進んでいる国である」ということになります。文系の学生諸君の多くは受験勉強では理科が好きではなかったかも知れませんが、21世紀に社会の第一線で活躍するために科学技術にも関心をもって下さい。逆に、理系の学生諸君は「自分は理科が好きだから心配ない」と思ってはいけません。いくら理系の専門知識を身につけていても文系の素養に欠けていれば社会の第一線で活躍することは出来ないでしょう。
 高等教育の現場では知の細分化が進んでいますが、社会のあらゆる現場ではジェネラルな知が求められます。例えば、環境問題を扱うには、工学、医学、生理学、化学、気象学、地理学、法律学、経済学、心理学、社会学等々多岐にわたる学問を動員する必要がありますが、各分野の専門家を集めればいいかというとそうはいきません。環境問題の全体像をとらえ、今何が必要で、誰がどう役割分担をすればいいかを的確に判断できるジェネラリストが必要です。
 ところで、大学における教育には二つの側面があります。一つは教養教育、もう一つは専門教育です。教養教育は幅広く豊かな教養、即ちcultureを身につけて大局的な視野で物事の判断ができる人間に成長させること、即ちジェネラリストを育てることであり、専門教育の方は専門知識を習得し独創的な仕事ができる能力を培うこと、即ちスペシャリストを育てることです。日本では「大学は専門教育をするところ」と理解されていますが、アメリカの大学では、学部の間は専ら教養を蓄積することに力を注ぎ、ジェネラリストとしての素地を十分に養ってから大学院へ行って初めて本格的に専門教育を受けます。これは社会の第一線で活躍するためには専門知識だけでは不十分で、豊かな教養に裏打ちされた的確な判断力が必要であるという考え方の現れです。振り返って、我が国では先年、専門領域において優秀な能力と知識を持ちながら、基礎的な判断力に欠けていたために重大な犯罪を犯すことになった若者達の例があり、急速な先端技術の発展と国際競争の激化に対応するための人材の育成を急ぐあまり、専門教育ばかりを重視した結果であるとの指摘を受けました。激しく変化する時代だからこそ、物事の本質を見抜く判断力が必要です。そこで本学のような総合大学としての教育に期待が寄せられます。総合大学の理念は、専門を超えた他分野についても広く豊かな教養を身につけ、しっかりした総合的な判断力を養成することにおかれています。本学が総合大学であるという特徴を十分に活かして、豊かな教養と深い専門知識の調和を目指す勉学を心がけて下さい。
 屡々「一般教養科目はつまらない、折角○○学部に入ったのだから早く○○学を勉強したい」という声を聞きます。然し、専門教育を受ける前提として幅広く豊かな教養を身につけてジェネラリストになって欲しいと思います。いくら専門知識を身につけても、豊かな教養がなければ的確な判断ができず、社会の第一線で活躍することはできません。教養というものは一朝一夕に身につくものではなく、又、今日学んだことが明日役に立つというものでもありませんが、血となり肉となって日常の知的活動の源になります。本学では学生の旺盛な知的好奇心に応えられるように幅広く一般教養科目を用意しています。
 大学の授業は、先生が教室で教えることを学生が覚えるのではなく、学生が自ら学ぶ能力と習慣を身につけることが目標です。いくら面白い講義でも先生が教えるという形で学生に伝えることができる知識は極めて限られています。一見つまらないと思える授業でも学生が「あの先生の授業は面白くないが、あのテーマはもっと面白いに違いないから自分で調べてみよう」ということになれば成功です。私は諸君に「授業をサボることの損失は計り知れない」といいたいと思います。一回出席しただけで「あの授業は面白くない」と決めつけてしまう学生が多いようですが、全くもって烏滸がましい限りで、授業の評価は最後まで聞いてすべきものであり、更にいうならば本当の評価は自分が一生を過ごしてみて初めてできることです。先日何十年振りかで書棚を整理したら、学生時代に聞いた一般教養科目の講義ノートが出てきて、懐かしくページをめくってみました。私は数学が専門ですが、教養科目として取った「日本古代史」「日本近代史」「国文学」「法学」「政治学」「経済学」「人文地理学」「地学」等は大変興味深く聞くことができ、その後の私の人生に少なからぬ影響を与えてくれました。諸君も知的好奇心と向上心をもって「取り敢えず何でも学んでみよう」と挑戦して下さい。
 いうまでもなく、大学の使命の基本は何物にも囚われない自由で純粋な真理の探究であり、政治形態がどうなろうと、社会情勢が如何に変化しようと、真理は不変です。諸君は将来どのような道に進むにせよ、不変な真理を学ぶことによってこそ、今日のような困難な時代を正しく生き抜いて行く力を獲得できるものと思います。
 幸い本学は広々としたキャンパスに立派な図書館や体育館もあり、優秀な教員やスタッフが揃っていて、きめ細かい指導を行う少人数教育を特色としています。但し、我々は諸君を一人前の大人として扱いますから、教師達は高校の先生のように親切にはしてくれません。困っていれば教師の方から声をかけてくれるだろうと期待して待っていても何もしてもらえないでしょう。分からないことや知りたいことがあったら遠慮なく研究室を訪ねて下さい。この優秀な教師陣を積極的に活用しなければ都立大学に入学した意義が半減します。この恵まれた環境を十分に活用して、大いに読書や勉学に励み、体を鍛え、人間関係の輪を広げ、これからの人生に向けてしっかりと土台を築いて下さい。そして忘れてはならないのは決して「楽をしよう」と思わないことです。スポーツもそうですが、本当の実力をつけようと思ったら、辛く厳しい練習に耐えなければなりません。学問も同じで、本当に力をつける勉強は苦しいものです。苦しんでこそ力がつくのです。
 大学は入学するのは難しいけれども、入ってしまえば遊んでいても卒業できる「卒業証書自動販売機を備えたレジャーランド」だと思っている人がいるようですが、都立大学は決してそんな所ではありません。この3月の実績では、A類を4年間又はB類を5年間で卒業した人は入学者の約77%でした。中には学力をより確実なものにするために自ら進んで留年する人もいるとは思いますが、この数字は都立大学が決して卒業証書自動販売所ではないことを物語っています。
 御存知のように現在我が国は未曾有の景気停滞に見舞われ、まさかと思われるような大企業や銀行が倒産し、失業率は最悪の数字を示しています。この時期に、大学をレジャーランドのように思って「楽しく遊んで」過ごそうと考えている人はいないと思いますが、もしそのような人がいれば、たとえ首尾良く卒業できたとしても世の中に出て厳しさを思い知らされることになるでしょう。
 今年は1999年ですから、諸君が本学を卒業して世に出るときには21世紀になっています。在学中に、豊かな教養と確かな専門知識を身につけ、世界の世紀に向かって大きく羽ばたき、素晴らしい21世紀を作って下さい。期待しています。
[1999年4月5日 都立大学講堂大ホール]