1999年度学位授与式式辞
本日ここに東京都立大学大学院を修了して修士並びに博士の学位を授与される諸君に心からお祝いの言葉を贈ります。本年度の学位取得者は修士が354名、内27名が留学生、博士が46名、内6名が留学生であります。
諸君は狭き門を突破して専門の課程に進み、日々弛みない努力の結果、この度めでたく課程を修了し、本日晴れてここに学位授与の時を迎えました。今、諸君は、論文を完成させたことへの満足感、努力が報われたことへの安堵感とともにこみ上げてくる喜びに包まれているものと思います。特に、76歳で工学博士の学位を取得した片山さんと、71歳で理学博士の学位を取得した時田さんには心から敬意を表したいと思います。又、日本で初めての都市科学博士の学位を取得した伊東さんと市古さんには、東京を始め大都市が直面する課題の解決に貢献することを期待しています。
修士の学位を取得した諸君はこれから社会に出て高度専門職業人として第一線で活躍する道に進むか、あるいは博士課程に進んで更に深く専門の学術を研究することになることと思います。本日諸君が手にした修士の学位は、都立大学大学院においてそれぞれの分野の最先端を学び、専門家としての実力を身に付けたことを証明するものです。修士号を手にして実社会に出ていく諸君には、益々高度化・複雑化が進む21世紀の社会において指導的役割を担う人材としての期待がかけられています。更なる研鑽を積み、それぞれの分野おけるリーダーとして果敢に21世紀を切り拓いていって下さい。博士課程に進学して研究者を目指す諸君は、これから本格的に学問の研究に取り組むことになりますが、学問の研究とは未知の問題に取り組んで自分で答えを見つけだしたり、今までとは違った視点を導入したりすることです。学問の研究は孤独で苦しいものですが、今まで誰も知らなかったことを自分が最初に知る喜びや、今まで誰も考えつかなかった見解を見出す喜びは、研究をする者しか味わうことのできない醍醐味です。博士の学位を目指して力の限りを尽くして下さい。
本日博士の学位を取得した諸君の多くはこれから研究者として学術の研究に携わることになるでしょう。本日諸君が手にした博士の学位は、都立大学大学院において研究者として独り立ちできる実力を身に付けたことを証明するものです。これからは自ら研究業績を積み重ねると同時に、後輩諸君の指導にも力を発揮してもらいたいと思います。本日の学位取得は研究者としての出発点です。この先いつまで経っても学位論文が立派に見えるようでは進歩がない証拠です。何年か経って自分で「つまらない論文で学位を取った」と思えるようにならなければいけません。我が国では10年程前から大学院を拡充する方針を推進し、多数の博士を輩出するようになりました。結果として研究者の層が厚くなりましたが、研究職のポストはそれ程には増加していませんので、博士号を取得した諸君にとっては相当な就職難であろうと思います。幸いにして既に職が決まっている人もいるでしょうが、未定の人も多いのではないでしょうか。然し、大学は厳しい競争の時代を迎えていますから、益々優秀な人材が求められています。優れた研究業績をあげればポストは必ずある筈です。信念を持って頑張って下さい。しかしながらプロの研究者としての道は厳しいものです。「Publish or Perish」即ち「業績無き者は去れ」というのが学問の世界におけるプロの掟です。並々ならぬ努力と素質を要求され続ける日々だと思いますが、今日までの研究成果に誇りを持って今後も活躍して下さい。
ところで、「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の有名な言葉がありますが、最近発生した事故や災害の多くが天災ではなく人災であることに注目して頂きたいと思います。東海村の核燃料処理施設における事故や新幹線のトンネルにおける事故等は人災以外の何物でもありません。5年前の阪神大震災や昨年のトルコや台湾における震災も、地震そのものは天災ですが、構造物等において数多くの人災が発生しています。航空機やロケットの事故も殆どが人災です。寺田寅彦が最近の状況を見れば「人災は忘れない中に又起きる」と言うに違いありません。天災が起きないようにすることはできませんが、人工環境の中で活動が営まれる現代社会において、人災を起こさないようにすることは基本的な命題です。人災の一つ一つを検証してみると、技術そのものに問題がある場合も勿論ありますが、技術力は充分あったにも拘わらず技術者の注意力が不足していたり誠意がなかったりしたことに起因する場合が多いと思われます。しかし、そればかりではありません。もう一つ別な要因があります。即ち、技術者の意見を無視して経済性や効率を優先させるという経営の論理です。一見純粋技術的に見える場合でも、その背後にある経済性優先の考え方が人災を引き起こしていることが往々にしてあると思います。何れにしても、各人が自らの職務に「見識」と「自覚」を持って臨み、「誇り」と「責任」を持って取り組むことこそが、人災を防ぐ第一歩であると思います。諸君はこれから社会に出てそれぞれの分野で指導的な立場で仕事をすることになりますが、呉々も「誇り」と「責任」の2つのキーワードを忘れないようにして下さい。
振り返ってみれば、20世紀は科学技術が飛躍的に進歩した時代でした。中でもトランジスターの発明に端を発するエレクトロニクスは我々の生活を一変させました。私の子供の頃にはテレビはなく電話さえ珍しい時代でした。諸君が物心がついたときにはテレビも電話もパソコンもあったと思いますが、携帯電話やインターネットを日常的に使う状況を想像することはできなかったでしょう。然し、余りにも急速な電子情報化によって様々な問題が発生していることは御承知の通りです。所謂2000年問題はほぼクリアーできたと思いますが、ハッカーという従来の犯罪の概念とは異質で遙かに重大な危険を孕んだ「倫理無き技術者」達との鼬ごっこは単なる技術の問題としては解決することができません。又抗生物質の発見は医療を大きく変え、人類を多くの病気から救ってくれました。然し、こちらでも耐性菌との間で鼬ごっこが続いています。更に、最近では遺伝子の解析を始めとする生命科学の進歩は目を瞠るものがあり、遺伝子組み替え食品等が続々と登場しています。遺伝子治療は医療の大革命をもたらすことになり、近い将来癌を始め多くの病気が制圧されることになると思われます。アメリカではこのような状況に対応して生物学を必修にしている大学もあるようですが、日本では依然として生命科学に関する国民の関心と知識レベルが低い状態が改善されていません。そのために「遺伝子組み替え食品を食べると自分の遺伝子に異常が発生するのではないか」等という類の誤解が生じているようです。この地球上で40億年かけて5000万種もの生き物が作り上げた見事な調和を、経済効率や人間の利益優先によって破壊しないためには、一人ひとりが科学に関して正しい知識を持つ必要があります。20世紀の後半から急速に発展した生命科学と情報科学は今や時代の主役であると言っていいと思います。このような状況を正しく認識し、時代の要請に対して適切な対応ができるように務めて下さい。
20世紀には至るところで「科学」という言葉が使われました。学問の世界でも人文科学、社会科学、自然科学等「科学」という言葉が接尾語のように使われています。然し、本来「科学」は「一定の手順に従えば一定の結論に達する」客観的な学問を意味します。今の世の中では「科学」といわないと学問ではないかのような錯覚があるように見えますが、本来学問には「科学」と「科学でない学問」とがあります[注]。現代社会が科学技術によって支えられていることは確かですが、「科学」が現代文明の全てを支配しているわけではありません。「科学」と「科学でない学問」とは現代文明において車の両輪をなしており、両者の調和が保たれなければ、文明の崩壊を招く恐れがあることは歴史の教えるところであります。現代は科学技術が急速に発展しているからこそ「科学でない学問」の重要性が増大しているといえます。両者の調和の上に、更に高度な新しい文化を築き上げることが2000年代の文明の在るべき姿ではないでしょうか。
21世紀はボーダーレス、即ち国境を越えて人々の行き来が益々盛んになると予想されます。諸君の中の多くの人が仕事で、あるいは研究で、海外に滞在するようになることと思われます。諸君は都立大学大学院の出身者らしく常に希望を胸に自由闊達に、全世界を舞台に存分に活躍して下さい。自分の可能性に挑戦することが諸君に課せられた義務であり、また責任でもあります。諸君の健闘を祈ります。
[注]北海道大学総長丹保憲仁先生による
[2000年3月24日 都立大学講堂大ホール]