2001年度学位授与式式辞

 本日ここに東京都立大学大学院を修了して修士並びに博士の学位を取得した皆さんに心からお祝いの言葉を贈ります。本日の学位取得者は修士が377名、内24名が留学生、博士が61名、内10名が留学生であります。
 皆さんはこの数年間、それぞれ専攻する分野において日々研鑚を積み、或いは資料の山と格闘し、或いは日夜実験を繰り返し、論文作成のために睡眠時間を削ってパソコンに向かい、厳しい試練の時を経て本日ここに学位取得の時を迎えました。私は今、こうして皆さんをこのキャンパスから送り出すことを誇りに思うと共に、大いなる希望と期待を持って皆さんの将来を見守らずにはいられません。何故ならば、今私達人類と私達の地球は、新たな歴史の段階へと足を踏み入れつつあり、御存じのように、それは急速に進みつつある反面、その行方は誰にも予想がつかないからです。確実なことは只一つ、今までの方法、価値観では到底対応できないであろうということです。21世紀という新たな時代に適合する新しい価値・方法・理論が緊急かつ切実に求められています。それに応えること、それが皆さんに課せられた使命です。
 修士の学位を取得した皆さんはこれから社会に出て高度専門職業人としてそれぞれの分野におけるプロを目指し、あるいは博士課程に進んで更に深く専門の学術を研究することになることと思います。本日皆さんが手にした修士の学位は、都立大学大学院においてそれぞれの分野の最先端を学び、専門家としての実力を身につけたことを証明するものです。明日から社会に出て行く皆さんはそれぞれの分野において専門知識を持ったプロとして期待され、鍛錬されることになります。私は皆さんに将来それぞれの分野において、狭い意味でのスペシャリストではなく、ハイレベルなジェネラリスト、または広い視野を備えた「スペシャリストのリーダー」となって社会に貢献して欲しいと願っています。皆さんはNHKの「プロジェクトX」という番組を御存じでしょうか。あの番組では様々な分野のプロ達が一つの目的のために奮闘努力して大きな成果を収めるまでの物語が描かれています。それぞれが自分の持ち場であらゆる知恵と力を出し、それをオーガナイズする人がいて目的が達成される、一見地味な仕事にもこんなドラマがあるのかと感動し、プロの神髄を目の当たりにすることができる内容です。皆さんにもプロとして一生をかけて悔いのない仕事、感動できる仕事を成し遂げてもらいたいと思います。しかし世の中はかつてない早さで動き、学問の世界も急速に発展しつつあります。時代の進歩は一刻も待ってはくれません。「時に及んでまさに勉励すべし 歳月は人を待たず」、皮肉にも大昔の中国の言葉が現実的な意味をもって響いてきます。どうか現在のレベルに甘んじることなく、更なる研鑽を積み、それぞれの分野おけるプロとして果敢に21世紀を切り開いていって下さい。皆さんはこれから社会に出れば様々な困難な問題に遭遇しますが、それらの多くは論理的に考えれば唯一つの正解が得られるというような単純なものではなく、むしろ最も大切なことの多くが論理的には説明できないと思います。その時にこそ、皆さんが今までに耕してきた学問の土壌が生きてきます。豊かな教養と確かな専門に裏付けられた人生観や世界観や感性が強力な武器になる筈です。
 本日博士の学位を取得した皆さんの多くはこれから研究者として学術の研究に携わることになるでしょう。本日皆さんが手にした博士の学位は、都立大学大学院において研究者として独り立ちできる実力を身につけたことを証明するものです。これからは学究として自ら研究業績を積み重ねると同時に、後に続く者達の教育にも力を発揮してもらいたいと思います。本日の学位取得は研究者としての出発点です。学問の根本は変わりませんが、その発展は日進月歩、秒進分歩であり、常に変化していきます。皆さんは明日からは独り立ちした研究者として「評価」され、「Publish or Perish」即ち「業績無き者は去れ」という学問の世界における厳しくも当然の掟に縛られることになります。今まで以上に厳しい努力と素質を日々要求され続けることになる思いますが、社会の熱い期待に応えるべく、自らの知性と探求力に自信と誇りを持ってその道に精進して下さい。
 残念なことに、屡々「日本はオリジナリティーがない」といわれます。加えて、不況が長引いているために「基礎的な研究や基礎的な技術の開発は外国に任せ、日本はその成果を利用して直ぐ役に立つこと、儲かることをやればいい」という考えが支配的になっていますが、そのような方針では我が国は世界のリーダーにはなれません。基礎研究にどれだけ力を注ぐかがその国の国際競争力に反映します。特に自然科学の分野では、世界で一番先に基本的な結果を出すことに意義があります。そのためには「アメリカに追いつけ、追い越せ」の考えを改めなければなりません。確かに、アメリカが「世界一」をたくさん出していることは紛れもない事実ですが、日本が「世界一」を誇る分野も幾らでもあります。一例として、皆さんは「カーボンナノチューブ」というものを御存じでしょうか。炭素原子が網目状に結合してできたナノサイズの円筒形の物質で、その形状によって様々な電気的、機械的、化学的な特性を持ち、金属にも半導体にもなるというこれまでの物質にない特徴があり、次世代の薄型ディスプレー用の電子銃や、電気自動車や携帯電話に使う次世代電源である燃料電池の電極材料など、将来の幅広い応用が見込まれています。もう一つの例として、「光触媒」というものを御存じでしょうか。最近空気清浄機などの電気製品や建物外壁の汚れ防止、ミラーの曇り止めなどで目にすることが多いと思いますが、環境問題などにも大きな貢献が期待されています。「カーボンナノチューブ」や「光触媒」は日本のオリジナルな研究成果であり、本学でもその研究が行われています。一方、人文科学や社会科学の分野においても日本のオリジナルな研究で国際的評価の高いものがあります。つい先日、本学の心理学研究室が行った「視覚が聴覚に及ぼす影響」に関する研究が『ネイチャー』に掲載されました。近づいてくる図形を繰り返し見た後には一定の大きさの音が次第に小さくなるように感じられ、逆に遠ざかる図形を繰り返し見た後には一定の大きさの音が次第に大きくなるように感じられる錯覚が起こるという内容です。新聞などでも大きく報道されたことは記憶に新しいと思いますが、これなどは極めてオリジナリティーの高い研究成果です。皆さんの中には「カーボンナノチューブ」や「光触媒」や「視覚が聴覚に及ぼす影響」に関する研究によって本日学位を取得した人もいるのではないかと思います。インターネットで世界が繋がり一瞬にして情報が世界中を駆け巡る時代、「グローバル化」の名の下にややもすれば価値観の一元化が進行する一方で、多様性を保つということがますます重要になってきています。それぞれの国や地域には独自の文化があり長い間培われた歴史や文化に根ざした独自の価値観があります。私達は自らのアイデンティティーをしっかりと自覚することによって、他国の追随できない分野を発展させ、結果として世界にその存在を認識させるようにすることが大切ではないでしょうか。私は皆さんが「世界一」を目指すことを期待しています。「世界一を目指せ」ということは「人の後追いをするな」ということです。「ナンバーワンではなくオンリーワンを目指せ」という意見もあります。しかし、単に「オンリーワン」というだけで高い評価が得られるわけではありません。本当に価値があるのは多数の研究者が解明したいと熱心に取り組んでいるような重要なテーマにおいて、世界に先駆けて成果をあげることです。都立大学大学院において身につけた実力に自信を持って仕事に取り組み、「世界のトップ」を目指して頑張って下さい。
 大学の研究と社会とのかかわりということについて、少し述べてみたいと思います。実業界の人々や役人達から屡々「大学でやっている研究は役に立っているのか」というような短絡的な質問をされることがありますが、私は胸を張って「当然です」と答えます。今すぐ役に立つか、1年後に役に立つか、10年後に役に立つか、直接役に立つか、間接的に役に立つか、様々な違いがあるのは当然ですが、役に立たない研究などある筈がないからです。これまでも基本的にそうでしたが、これからは益々大学は「知の拠点」でなければなりません。「知の拠点」として、知の創造、知の継承は勿論のこと、知の活用も含めて、大学の機能は三位一体です。「知の創造」なくして「知の活用」ばかりでは大学としての存在意義がありません。「基礎研究は国立大学に任せて、都立大学は都民の役に立つ教育と研究をすればいい」というような主張があります。しかし、国立大学の基礎研究の成果を借りて都民向けの実用研究を行う、そのような大学になってしまったら「知の拠点」としての水準を保つことは到底できません。基礎研究にどれだけ力を注ぐかがその大学の実力に直結します。世界中の大学を見れば明らかなことですが、基礎研究より実用的な教育に力を入れて優れた人材を輩出している例は一つもありません。スタンフォードやMITが如何に基礎研究に力を入れているかを考えてみて下さい。基礎を大切にしなかったために痛手を被った例は幾らでもあります。例えば、自然科学の基礎である数学を大切にしなかったために太平洋戦争では暗号が解読され、昨今ではデリバティブなどの複雑な金融取引で莫大な損失を被っています。国家にせよ大学にせよ、経済効率特に短期的視野に立つ経済効率を優先する考え方に支配されたら将来はないと断言できます。都立大学は今後とも基礎研究を重視し、「知の創造」に基づいた教育を行うことによって「東京から日本を変える」いや「東京から世界を変える」人材を輩出していきたいと願っています。
 先程お話しした「カーボンナノチューブ」や「光触媒」の研究などは「基礎研究」の成果が直ぐに応用に繋がり、「役に立つ」ことが分かり易い例であろうと思いますが、いうまでもなくこれは化学の分野における研究成果です。我が国には現在、化学の研究や教育に携わっている人々が約36000人いて、基礎から応用まで幅広い分野で活動を続けています。皆さんよく御存じのように、昨年野依良治先生が「不斉合成の研究」でノーベル化学賞を受賞されました。1981年の福井謙一先生、一昨年の白川英樹先生と併せて3人になりましたが、ノーベル賞100年間の化学賞受賞者が138人であることを考えると少ないというべきかも知れません。アメリカなどと比べて受賞者が少ないのは基礎研究に対する国の姿勢に大きな差があったことが原因です。しかし、2年連続受賞が実現し、更に「カーボンナノチューブ」を始め十分受賞に値すると評価されている研究成果が多数あることを考えれば、我が国の化学の研究は今や完全に世界最高の水準にあり、第4、第5の受賞者が続くことは間違いないでしょう。ところで、この3人の受賞者はそれぞれに特色があると思います。福井先生は化学反応の理論的研究を着実に積み重ねた結果の受賞、白川先生の場合は、基礎的な研究の過程で偶然発見された現象が導電性プラスチック開発の原点になったことが評価されての受賞、野依先生は「不斉合成の研究」に目標を定めて次々とあげた成果が評価されての受賞といえると思います。昨今大学改革の議論において屡々言われるように、「直ぐ役に立つ研究」に拘り、短期間に成果をあげることに拘れば、特に白川先生はノーベル賞どころか大学の研究室にいることすらできなかっただろうと思います。若き日の白川先生に優れた研究環境を提供した東京工業大学に敬意を表すると共に、先生の基礎的な研究成果を正当に評価したノーベル賞選考委員会の見識に敬意を表さなければならないと思います。「ローマは一日にして成らず」といいますが、大きな研究成果は決して一日にして成るものではありません。皆さんは本学において培った研究者としての素地を基に、広い視野に立って目標を定め、一歩一歩着実に実績を積み重ねていくよう心掛けて下さい。
 21世紀は「生命科学の時代」といわれていますが、様々な生命現象が究極的には化学物質の反応として捉えられることになれば、「物質科学の時代」といえるかも知れません。人間の様々な感情や思考活動までも化学物質の反応として説明されるのは些かロマンに欠ける気もしますが、将来は病気の治療などに応用されるようになり文明が格段に進歩することが期待されます。100年後の教科書には「驚くべきことに100年前には癌は不治の病と考えられていて、運良く早期に発見された場合には手術という野蛮な手段によって一命を取り留めていた」などと書かれることになるかも知れません。
 人類の歴史を概観すれば、長い年月をかけて極めて緩やかに発達を続けてきた文明が、産業革命をきっかけに加速し始め、この100年間はまさに指数関数的な発達状況を示しています。皆さんはこの急速に発展を続ける21世紀の文明の中で生きていかなければなりません。ややもすると、急流に押し流されて自分のいる場所が分からなくなってしまうことがあるかも知れません。「流れが急だ」と感じたら、立ち止まって全体を見渡して下さい。皆さんは「専門家としての実力」「研究者として独り立ちできる実力」を身につけましたが、これから様々な場面で学問の新しい展開について学ぶ必要が出てくるに違いありません。そのようなときには、是非都立大学に戻ってきて下さい。様々な制度を用意して皆さんの里帰りを待っています。都立大学は皆さんの故郷です。
 自分の可能性に挑戦するとともに、人類の新たな時代を創造していくことが皆さんに課せられた義務であり、また責任でもあります。皆さんの明日からの新たな挑戦に期待し健闘を祈ります。
[2002年3月25日 都立大学講堂大ホール]