2002年度学位授与式式辞
本日ここに東京都立大学大学院を修了して修士並びに博士の学位を取得した皆さんに心からお祝いの言葉を贈り、併せて皆さんが都立大学の研究活動において重要な役割を担ってきたことに敬意を表したいと思います。本日の学位取得者は修士が383名、その内19名が留学生、博士が74名、その内19名が留学生であります。
最近の我が国の大学院の状況を見ると、学部から大学院への進学率は理学、工学系が高いのに対して、修士から博士への進学率は人文、社会、理学系が高くなっていますが、大きな特徴は人文、社会系の博士の学位授与率が極めて低いということです。かつては「末は博士か大臣か」と言われ、博士の学位は所謂「碩学泰斗」の証と考えられていましたが、現在では「研究者として独り立ちできる実力を身につけたことの証明」と定義付けられています。しかしながら、文系の多くの分野では今でも「碩学泰斗」のイメージが残っているために、学位授与率が低い状況が続いています。これは本学を含めて日本中の大学院に共通する問題であり、改善が強く求められているところであります。
「知の拠点」である大学の基本的な機能は「知の創造」「知の継承」「知の活用」の3つでありますが、これらが正常に機能するためには中国の大哲学者朱熹の『近思録』にある「学者は先ず疑いを会せんことを要す」という言葉が重要な意味を持ちます。学問は「不変の真理」即ち物事のあるべき姿を追求するという側面をもつため、当然の結果として現状との乖離が認識され、現状を批判するということが起こらざるをえません。現状に対して疑問を抱くことが「知の創造」の原点であり、「問題の発見」につながります。言い換えれば、現状に疑問を抱かなければ知識は増えるかも知れませんが、新しい「知」を創り出すことは出来ません。
松尾芭蕉は一生を通じて、古人に学びながらも、常に新しい俳諧の世界を切り開いていきました。世の中には「不易」と「流行」即ち、何時の時代にも変わらぬ「不変の真理」と、時代に即応して変化していくものがあります。「不易」は「古人」に学ぶことが出来ますが、「流行」には「古人」はなく、自ら創出していかなければなりません。更に、「流行」の中から新たな「不易」が抽出されていきます。
本日学位を取得した皆さんは、それぞれの専門分野において自ら問題を発見し、それを解決するための新しい方法論を確立し、創造の苦しみを経て今日の日を迎えたに違いありません。学問の研究は孤独で苦しいものですが、今まで誰も知らなかったことを自分が最初に知る喜びや、今まで誰も考えつかなかった見解を見出す喜びは、研究をする者しか味わうことのできない醍醐味です。「この道に古人無し」といわれますが、皆さんは学問の最先端を切り開いて新しい「この道」を開拓したパイオニアです。皆さんが切り開いた「この道」はごく小さなものだったかも知れませんが、それが如何に小さな道であろうとも、自ら切り開いた「この道」には大きな価値があります。「学は山に登るが如し、動きて益々高し」といわれています。皆さんも学問の道は進むほどに高く険しくなっていくのを感じたことでしょう。しかし、頂上を極めたときの感激は何物にも優ります。昨今、物質の究極の構造や宇宙の構造、生命のメカニズムなどが解明されていくのを見ていると、門外漢の私でも感動を覚えますから、当事者の感激はいかばかりかと思われます。今学位記を手にして、改めてその感慨に浸っているであろう皆さんの充足感を感じながら、私も自分自身の昔のことに想いを馳せています。
修士の学位を取得した皆さんはこれから社会に出て高度専門職業人としてそれぞれの分野におけるプロを目指し、あるいは博士課程に進んで更に深く専門の学術を研究することになることと思います。本日皆さんが手にした修士の学位は、都立大学大学院においてそれぞれの分野の最先端を学び、専門家としての基礎を身につけたことを証明するものです。明日から社会に出て行く皆さんはそれぞれの分野において専門知識を持ったプロとして期待され、鍛錬されることになります。グローバル化時代において、地球社会の一員として活躍する皆さんには、豊かな教養と確かな専門性を身につけ、併せて高い倫理性と責任感を持って判断し行動できる能力を持つことが期待されています。皆さんにはプロとして一生をかけて悔いのない仕事、感動できる仕事を成し遂げてもらいたいと思います。しかし世の中はかつてない早さで動き、学問の世界も急速に発展しつつあります。時代の進歩は一刻も待ってはくれません。「時に及んでまさに勉励すべし 歳月は人を待たず」、皮肉にも大昔の陶淵明の言葉が現実的な意味をもって響いてきます。どうか現在のレベルに甘んじることなく、更なる研鑽を積み、それぞれの分野おけるプロとして果敢に新しい時代に挑戦して下さい。
新たな「知の創造」を果たして本日博士の学位を取得した皆さんの多くはこれから研究者として学術の研究に携わることになるでしょう。本日皆さんが手にした博士の学位は、都立大学大学院において研究者として独り立ちできる実力を身につけたことを証明するものです。皆さんは明日からは独り立ちした研究者として「評価」され、「Publish or Perish」即ち「業績無き者は去れ」という学問の世界における厳しくも当然の掟に縛られることになります。国公立大学の法人化、任期制の導入、評価に基づく資源の競争的配分など、様々な厳しい環境の中での闘いが待っています。日本の戦後の初等中等教育では、「結果の平等」に絶対的な価値がおかれてきましたが、皆さんは明日から地球規模の競争的環境の中で生きていかなければなりません。「機会の平等」は保証されなければなりませんが、「結果の平等」はあり得ません。今まで以上に厳しい努力と素質を日々要求され続けることになる思いますが、社会の熱い期待に応えるべく、自らの知性と探求力に自信と誇りを持って新しい「この道」を切り開いていって下さい。
社会、特に企業からは「日本の不況の原因は大学教育が悪いからである」という声が聞かれます。「最近は大学を出たといっても英語も使えないし専門知識も身についていない。大学は役に立つ学問をしっかりと教育して、即戦力になる人材を養成すべきである。現状では国際競争に勝てない」という不満です。かつては「必要な専門は入社してから教えるから、大学では基礎をしっかり勉強してきて欲しい」と言っていた企業が、昨今は長引く不況で自社教育をする余裕がなくなったために「即戦力になる人材」や「直ぐに役に立つ知識」を期待するようになりました。しかし、「即戦力になる人材」は往々にして基礎がしっかりしていないために寿命が短いことが多く、「直ぐに役に立つ知識」は明日は役に立っても明後日には陳腐化します。分かり易い例を挙げれば、ニュートンは「直ぐに役に立つ研究をしよう」と考えて微分積分学を発見したわけではありませんが、微分積分学ほど基礎的であるにも拘わらず役に立っている研究成果は他に類を見ないでしょう。微分積分学がなければテレビも映らないし飛行機も飛びません。また、「数学の勉強などしなくても計算はコンピューターにやらせれば済む」と言う人がいますが、数学を理解している人がいなければコンピューターを作ることが出来ません。また、「ニュートリノに質量があろうと無かろうと、我々の生活には何の関係もない」と思う人が多いかも知れませんが、「物質は空気と水と火と土から出来ている」と考えられていた時代には「分子」の研究も同じように見られていたに違いありません。しかし、現在では分子レベルで加工することさえ出来るようになっています。純粋な知的好奇心に基づいて研究され、一見役に立たないように見える基礎的な学問や知識こそが本当の意味で大きな力を発揮しているのです。老子や荘子のいう「無用の用」です。
また、企業は皆さんに「創造力」や「問題解決能力」を期待するかも知れません。しかしながら、皆さんは大学院において研究を行う中で、「創造力」や「問題解決能力」のみならず、「洞察力」「問題発見能力」「論理的思考能力」など様々な能力を身につけているはずですから、社会のそれぞれの分野において、必ずしも即戦力にはならないかも知れませんが、真に底力のある人材として頭角を現していってくれるものと確信しています。
不況が長引き、倒産、定員削減、給与切り下げ、・・・、などが当たり前のことになってしまっている中にあって、日産自動車ではゴーン社長が「人的資源に投資する」という考えを持ってペースアップと賞与の満額回答をしたというニュースが目を惹きました。これは長岡藩における小林虎三郎の「米百俵」の精神に通じます。「国が興るのも町が栄えるのも、ことごとく人にある。財政難の時だからこそ教育に重点投資し、人材育成をはかるべきだ」、即ち、人的資源が全ての根源であるという考えです。「不況」を理由に人的資源を疎略に扱うような組織は、当座を凌ぐことは出来ても将来の発展はあり得ないでしょう。大学は人的資源を養成する場であり、皆さんは今まさに21世紀を担う人的資源として都立大学を巣立とうとしています。都立大学は今年もまた優れた人的資源を輩出することを誇りに思います。
余り明るいニュースがない中にあって、昨年小柴、田中両氏がノーベル賞を受賞したことは日本の学問レベルの高さを世界に示すことが出来る快挙でした。これで白川氏、野依氏に続いて3年連続して日本人がノーベル賞を受賞したことになりますが、まだまだ有力な候補者が目白押しですから、今年以降も大いに期待されるところです。しかしながら、我が国は「科学技術創造立国」を標榜し「50年でノーベル賞30人」を目標に掲げていますが、直ぐに成果が見える研究にばかり投資していたのでは到底目標達成は覚束ないでしょう。独創的な人材を育成し、未来に開花する研究を支援しなければなりません。ところが、残念なことに日本では研究費の配分は確立された分野に多く配分されるため、研究者達は「寄らば大樹の陰」式にそのようなところに集まり勝ちです。確立された研究分野にはたくさんのお手本があり、方法論も確立されているので、それに従っていれば間違いなく何らかの結果を得ることができる点でも安心でき、失敗の恐れも少ないでしょう。しかし、そこではブレークスルーをもたらすような独創的研究を新たに展開する余地はあまり残されていないのも事実です。「鶏口となるも牛後となる無かれ」と言われる如く、「大樹の陰」に身を潜めていてはいけません。「この道に古人無し」、即ち、前人未踏の道を切り開いていかなければなりません。
ところで、よく知られているように、白川、田中両氏の受賞対象となった業績は「常識を疑え」「失敗を恐れるな」「転んでもただ起きるな」などの典型です。即ち「常識」的には「失敗」でも意外な発展に繋がることがある、「常識」に囚われては発展がない、「常識」に囚われていては「オンリーワン」の発想は出来ない、ということです。「先ず疑ってみること」が大切です。コペルニクスは「太陽が地球の周りを回っている」という不動の常識を果敢に疑って「地動説」を唱え、人類の常識を180度転回させました。皆さんも小さな疑問を大切にして大きな成果をあげて下さい。また、皆さんはこれから社会に出たり博士課程に進学したりすれば「失敗」の連続になると思います。「失敗」は誰もが日常的に犯しますが、勝敗の分かれ道は「失敗」を活かすか否かです。また、「転んでもただ起きるな」は『今昔物語』に載っている藤原陳忠の話以来我が国では社会生活の基本的教訓の一つになっています。私は皆さんに「常識を疑い」「失敗を恐れず」果敢に物事に挑戦し、「転んでもただは起きない」粘り強い精神で生きていって欲しいと願っています。
「常識を疑え」ということでは、昨今の学問の急速な進歩の結果、かつての常識が通用しないことが次々と出現しています。例えば、生命科学の進歩は目を瞠るものがあり、ついにクローン人間が誕生するところまで来たようです。しかし、地球上に生命が誕生して40億年といわれる長い歴史の中で登場してきた有性生殖の意味を考え、生物としての視点から人間を見るならば、クローンは自然史に逆行するものであると言わざるを得ないと思いますが、遺伝子や蛋白質を特許の材料にして儲けようとする昨今の風潮には、私の常識では強い疑問を感じます。また、かつて科学においては要素還元論的手法が常識でしたが、昨今はその常識が通用しない複雑系をも科学の対象にするようになりました。要素還元論的手法が適用できる場合には、結果に対してその原因を究明することが出来ました。しかし、地球環境などは典型的な複雑系ですが、例えば、二酸化炭素と温暖化の因果関係などは、様々な説が唱えられていますが、未だに科学的な証明ができているわけではないと思います。世の中の現象の多くは複雑系をなしていると思われますので、これからは従来の常識が通用しない科学が重要な役割を演じることになるでしょう。皆さんはこれから社会に出れば様々な困難な問題に遭遇しますが、それらの多くは論理的に考えれば唯一つの正解が得られるというような単純なものではなく、むしろ最も大切なことの多くが論理的には説明できないと思います。その時にこそ、皆さんが今までに耕してきた学問の土壌が生きてきます。豊かな教養と確かな専門に裏付けられた人生観や世界観や感性が強力な武器になる筈です。
今は世を挙げて「評価」の時代です。皆さんには、これからは広い視野に立って母校を評価して頂きたいと思います。時々私のところにOB、OGからメイルが届きます。本学で研究した皆さんが、母校を外から眺め、提言を寄せて下さることは、我々にとって大変な励みになります。我々はそのような皆さんの声を大切にしながら、OB、OGが誇りに思える大学であり続けるべく務めていきたいと思います。
私は34年間在籍した東京都立大学を、この度皆さんと共に「卒業」することになりました。都立大学の歴史が開学以来54年であることを考えるとその半分以上をそこで過ごし、都立の他の大学との統合・再編によって新しい大学に生まれ変わることを決めた時期に総長を務めたことは誠に感慨深い限りです。「創業は易く、守成は難し」即ち「創業はたやすいが、その事業を受け継いで維持してゆくことは難しい」というのは『十八史略』にある言葉です。昨今は「起業」ばやりですが、それを守り育てていくのは大変なことです。大学に関しても同じことが言えます。大学を創るのは簡単でもそれを守り育てていくのは難しいことです。大学を評価するのは当事者ではなく、社会であり歴史であります。54年の伝統と実績をもつ都立大学の「学問の灯」を、2年後に誕生することになっている都立新大学に引き継ぎ守り育てていくことこそが歴史の評価に絶えうる道であると確信します。皆さんが「考える葦」であり続け、東京都立大学が「学問の場」であり続けることを祈りつつ式辞を終わりたいと思います。
[2003年3月25日 都立大学講堂大ホール]