1999年度卒業式式辞
本日ここに東京都立大学を卒業する1024名の諸君に心よりお祝いの言葉を贈ります。私は都立大学総長として、又来るべき世紀を次なる世代に託す者の一人として、この南大沢の地から21世紀を切り開く頭脳を送り出すことを誇りに思い、喜びに堪えません。諸君は20世紀最後の卒業生であり、2000年代最初の卒業生でもあり、しかも本学が開学50周年を迎えた記念すべき年度の卒業生でもあります。諸君は今までに何度か「卒業」を経験してきていますが、大学の卒業は格別な意味を持つと思います。諸君はこれから社会に出て職業人として活躍する道に進むか、或いは大学院等に進んで更に深く専門の学術を学ぶことになるものと思いますが、本日諸君が手にする学士の学位は、都立大学において学問の基礎を修得したことを証明するものであり、諸君が実社会において責任ある仕事を任せるに足る人物であることを本学が保証しているものであります。諸君は今までに16年以上の年月を学校という相当に手厚く保護された環境で過ごしてきましたが、これからは社会の荒波の中で自分の進むべき道を自分で切り開いていかなければなりません。
現在、日本の社会はリストラクチャー、即ち「再構築」の只中にあります。昨今「リストラ」といえば「合理化」や「人員整理」というような意味で使わることが多く、事実その影響で諸君の中にも希望するところに就職が出来なかった人がいることと思います。如何なる組織や制度も絶えず点検・評価を受け改革を必要とすることは当然ですが、昨今あらゆる改革が経済性・効率性の見地から行われようとしていることには強い疑問を感じざるを得ません。経済性を優先したために数多くの災害や事故が発生していることは御承知の通りです。更に驚くべきことには、文化の基本を支える教育・研究や我々の命と健康を守る医療までもが経済効率の見地から改革を迫られている有様です。
このような混沌の時代に生きていくためには、困難に遭遇したときに的確な価値判断ができなければなりません。「温故知新」とは言い古された言葉ですが、困難に遭遇した時に力になってくれるのは単なる情報としての知識ではなく、歴史や古典等の教養です。長い年月を生き続けてきたものにはそれなりの価値と力があります。人類の叡智の結晶とでもいうべき書物は、いつの時代にも、どんな混沌の時代にも、諸君の行く手に明るい光を投げかけてくれることでしょう。最近、政府は21世紀の日本について「知的存在感のある国を目指す」ということを言っていますが、私は諸君に「知的生産力のある人になれ」「文化的存在感のある人になれ」と言いたいと思います。これからどのような道に進むにせよ、都立大学在学中に培った人間性と素養をもとに更なる研鑽を積み、豊かな教養と感性をもった「文化的存在感」のある人であって欲しいと願っています。
振り返ってみれば、20世紀は科学技術が飛躍的に進歩した時代でした。中でもトランジスターの発明に端を発するエレクトロニクスは我々の生活を一変させました。私の子供の頃にはテレビはなく、電話さえ珍しい時代でした。諸君が物心がついたときにはテレビも電話もパソコンもあったと思いますが、携帯電話やインターネットを日常的に使う状況を想像することはできなかったでしょう。しかし、余りにも急速な電子情報化によって様々な問題が発生していることは御承知の通りです。所謂2000年問題はほぼクリアーできたと思いますが、ハッカーという従来の犯罪の概念とは異質で遙かに重大な危険を孕んだ「倫理無き技術者」達との鼬ごっこは単なる技術の問題としては解決することができません。又抗生物質の発見は医療を大きく変え、人類を多くの病気から救ってくれました。しかし、こちらでも耐性菌との間で鼬ごっこが続いています。更に、最近では遺伝子の解析を始めとする生命科学の進歩は目を瞠るものがあり、遺伝子組み替え食品等が続々と登場しています。遺伝子治療は医療の大革命をもたらすことになり、近い将来癌を始め多くの病気が征圧されることになると思われます。アメリカではこのような状況に対応して生物学を必修にしている大学もあるようですが、日本では依然として生命科学に関する国民の関心と知識レベルが低い状態が改善されていません。そのために「遺伝子組み替え食品を食べると自分の遺伝子に異常が発生するのではないか」等という類の誤解が生じているようです。この地球上で40億年かけて5000万種もの生き物が作り上げた見事な調和を、経済効率や人間の利益優先によって破壊しないためには、一人ひとりが科学に関して正しい知識を持つ必要があります。20世紀の後半から急速に発展した生命科学と情報科学は今や時代の主役であると言っていいと思います。このような状況を正しく認識し、時代の要請に対して適切な対応ができるように務めて、21世紀を主体的に豊かに生きて下さい。
20世紀には至るところで「科学」という言葉が使われました。学問の世界でも人文科学、社会科学、自然科学等「科学」という言葉が接尾語のように使われています。しかし、本来「科学」は「一定の手順に従えば一定の結論に達する」客観的な学問を意味します。今の世の中では「科学」といわないと学問ではないかのような錯覚があるように見えますが、本来学問には「科学」と「科学でない学問」とがあります[注]。現代社会が科学技術によって支えられていることは確かですが、「科学」が現代文明の全てを支配しているわけではありません。「科学」と「科学でない学問」とは現代文明において車の両輪をなしており、両者の調和が保たれなければ、文明の崩壊を招く恐れがあることは歴史の教えるところであります。現代は科学技術が急速に発展しているからこそ「科学でない学問」の重要性が増大しているといえます。両者の調和の上に、更に高度な新しい文化を築き上げることが2000年代の文明の在るべき姿ではないでしょうか。
諸君はそれぞれ専門を学んで学士になり、これからも大多数の人はその分野で活躍していくことになるでしょう。しかし、世の中には物理学出身の生理学者、応用物理学出身の経済学者、工学部出身の裁判官等々大学における専攻とは全く異なる分野で大活躍している人も少なくありません。本学でも工学部建築学科の出身でイギリスの法廷弁護士の資格に挑戦し見事に達成した人等がいます。全く別な分野に転進した場合にはそれまでに学んだことが無駄になるように思われがちですが、決してそんなことはありません。外国へ行って異文化に接することにより視野が大きく開けることを経験した人が多いと思いますが、大学時代に文系の勉強をした人が理系の分野の仕事に就いた場合、或いはその逆の場合には“異文化”を理解できることが強力な武器になります。大切なことは学ぼうとする意欲です。「生涯学習」ということがいわれていますが、諸君は本学在学中に学ぶ姿勢を身に付けた筈ですから、これからも絶えず学び続けて下さい。これからが真の勉強です。「人生は重き荷を背負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」は徳川家康の言といわれていますが、諸君の人生はまだ始まったばかりです。諸君は今まで学校生活において様々な試練を課せられてきましたが、首尾よく突破してきた成功者でしょう。しかし、本当の試練はこれからです。人生は絶え間ない試練の連続といってもいいと思います。諸君はこれから社会に出て実力で勝負し、試練を受け続けることになりますが、時として都立大学の出身であることによる恩恵を受けることがあると思います。それは諸君の先輩達が50年間かけて築き上げてきた都立大学に対する評価のお陰です。先輩達に感謝するとともに、諸君も母校の評価を高めるべく奮闘して下さい。
日本人は「皆で渡れば怖くない」式の付和雷同型といわれますが、横並びを尊ぶ気質は「頭角を現す者を嫌う」即ち「出る杭は打たれる」ことにつながり、進取の精神が育ちません。日本人の多くは批判を恐れて最初の一歩を踏み出すことができないようですが、進取の精神がなければ国際社会で対等に渡り合っていくことはできません。諸君には是非臆することなく「出る杭」になって頂きたいと思います。自分の可能性に挑戦するとともに、人類の新たな時代を創造していくこと、それが諸君に課せられた義務であり、また責任でもあるからです。
本学に学んだ諸君が都鳥のように自由闊達に世界の世紀へ羽ばたくことを期待し、健闘を祈ります。
[注]北海道大学総長丹保憲仁先生による
[2000年3月24日 都立大学講堂大ホール]