2000年度卒業式式辞
本日東京都立大学を卒業する1070名の皆さんに、心よりお祝いの言葉を贈るとともに、明日からの皆さんの長い人生に向けて激励の言葉を贈りたいと思います。
皆さんは20世紀に都立大学に入学し、在学中に開学50周年の節目を迎え、そして今日21世紀最初の卒業生として巣立っていくことになりました。誠に巡り合わせよく時代の区切りに遭遇した年次であると言うことができます。新しい世紀の歩みに自らの新たな人生の歩みを重ね、未来へ向かって羽ばたこうととしている都鳥達を目の前にして、私は東京都立大学総長として、この南大沢の地から21世紀の文明を切り開く頭脳を世に送り出すことを誇りに思い、喜びに堪えません。
つい3か月ほど前に始まったばかりの21世紀は、IT革命を背景とするグローバル化の中で、めまぐるしい技術革新と社会制度の改変が進行しています。前世紀の終盤以降、ソ連圏の解体と東西冷戦体制の終焉、経済のグローバル化、国内においては銀行や大企業の相次ぐ倒産や合併、中央省庁の改編、また社会福祉の諸制度の改正など、劇的な変化が起きています。これからの時代がどう展開するのか期待と不安が入り交じりつつ、誰も明確な見通しがたてられない、いわば不透明な時代が到来しています。
しかし一方、情報技術の驚異的進歩によって私達の日常生活にこれまた画期的な変化が起こりつつあります。インターネット技術や携帯電話を始めとする通信機器によって、世界の人々が直接につながり、情報や知識が瞬時に共有できるようになりました。従来、情報が特定の人や場所に偏在しがちであったことを考えると、21世紀は非常に透明性が高い時代になると言うことができるでしょう。また生命科学を始めとする自然科学の飛躍的な進歩により、生命活動や人間の脳の働きなどが解明されつつあり、非常に見通しのよい、或いは従来の感覚で言えば神秘性や「不可知領域」のない、透明な時代が到来しつつあるとも言えます。皆さんは好むと好まざるとに関わらず、このような21世紀を生きていかなければなりません。
皆さんは今日、人生の大きな節目を迎えています。大学の卒業式は「学術をどれだけ身につけ、どんな人間に成長したか」が問われる日です。今日の卒業式に臨んで、在学中に何を学び、如何に成長したかを自己採点してみて下さい。その採点結果を踏まえて明日からの人生を力強く歩んで下さい。皆さんの人生はまだ始まったばかりです。皆さんは今まで学校生活において様々な試練を課せられてきましたが、首尾よく突破してきた成功者でしょう。しかし、本当の試練はこれからです。人生は絶え間ない試練の連続といってもいいと思います。本日皆さんが手にする学士の学位は、都立大学において学問の基礎を修得したことを証明するものであり、実社会において責任ある仕事を任せるに足る人物であることを本学が保証しているものであります。しかし、大学卒の肩書きが従来のようにこの先の生活と地位の安泰を約束してくれるものであるかどうか保証の限りではないということは、皆さんも御承知の通りであります。「学士の品質保証期間はせいぜい3年、長くて5年」というのは我が国の代表的な国立大学の学長の言葉ですが、卒業証書に品質を保証してもらわなければならない期間などというものはなるべく短い方がいいのであり、出身大学の名前など持ち出すまでもなく入社早々から実力を発揮する、というのが最善です。卒業証書による品質保証期間が過ぎても評価に耐えうる個人でいられるよう、この先も皆さんが精進されることを期待します。
卒業証書の価値を問うとすれば、それはどちらかといえば皆さんの主観的部分にあるのではないでしょうか。数年間の学生生活を通して、授業で覚えた知的感動、ゼミの発表者として緊張した時間、図書館に通って資料を渉猟し調査に費やした時間、論文執筆のために多くの書物を読み思索に耽った時間、野外調査のため風雨をおして野山を歩いた時間、または課外活動で汗を流し体を鍛えた時間、あるいは同好の仲間と楽しみを分かち合った時間、そのような想い出のなかに含まれる満足感と幸福感が、卒業証書の中に凝縮され、皆さんの生きる力を内部から支えてくれることでしょう。皆さんはこれから社会に出て職業人として活躍する道に進むか、或いは大学院等に進んで更に深く専門の学術を学ぶことになるものと思いますが、これからは実社会の中で、或いは専門の研究をしていく中で、常に厳しい競争と評価に曝されることになるでしょう。一体何が起こるか分からない時代に、過剰な情報に取り巻かれて日々を過ごしていると、自分を見失ってしまうことがあるかも知れません。そんなときには、卒業証書を見ることによって大学時代の自分を思い起こし、その記憶の中から自負と誇りと自信を再生産して、自分の進むべき道を切り開き力強く前進することができるでしょう。
ところで、20世紀の末にアメリカから始まって「IT革命」の嵐が吹き荒れています。「日本はIT革命が遅れている」との認識に基づいて、IT基本法の成立、IT戦略本部の設置、「インパク」の開催など、政府はITに力を入れており、超高速インターネット網を全国に張り巡らして5年でアメリカに追いつき追い越して世界一のIT国家を目指そうという政策を推進しつつあります。しかし、我が国はITに関して全面的に後れをとっているかといえば必ずしもそうではなく、インターネットに接続できる携帯電話が3000万台も普及していることなどは他の国の追随を許しません。NTTドコモが提供するインターネット接続サービスである「iモード」は昨年マサチューセッツ工科大学から、eビジネスの世界における優秀な業績に与えられる国際パワープレーヤー賞を贈られました。これは、インターネット先進国アメリカが日本の業績を高く評価したことの表われです。パソコンでインターネットに接続するには、電源を入れてインターネット接続用のソフトを立ち上げる必要がありますが、「iモード」は電源が入っていれば常時インターネットに繋がっています。もしかすれば、今私の話を聞きながら密かにメールのやりとりをしている人がいるかも知れません。現在は短い文しか送れないし通信速度も遅いのですが、間もなく遙かに高性能な次世代のシステムが登場することになっています。「iモード」は移動しながら仕事をしたり買い物をしたりすることができるので、一人の人が一定の時間にできる仕事量が増大します。つまり、「iモード」はフットワークとネットワークを両立可能にしたことになります。皆さんの多くが「iモード」を使っていることと思いますが、「iモード」を使って俳句のやりとりをしている人達もいるそうです。松尾芭蕉が「iモード」を使って『奥の細道』の旅をしたらどういうことになったでしょうか。芭蕉は矢立と紙を持ってできた句を書き付けながら旅をしましたが、「iモード」があれば句ができる度に自宅のパソコン宛に送信しておいて、帰ってから整理して『奥の細道』を書き上げたことでしょう。平安時代の貴族の世界では歌のやりとりが恋の手段でしたが、「iモード」があれば随分様子が違ったのではないでしょうか。皆さんにも「iモード」で恋の歌をやりとりする優雅さを期待したいと思います。また、日本製の携帯電話機があれほど小型高性能で軽いのは、日本にしかないプラスチック液晶ディスプレイを作る精密加工技術のお陰です。ITに関してもアメリカ追従ではなく独自の路線による世界一を目指すべきではないでしょうか。
更に、ITを活用して生活を快適にし文化を発展させるためには、正しい使い方と危機管理が前提になります。御存知のように、ハッカーのように従来の犯罪の概念とは異質で遙かに重大な危険を孕んだ「倫理無き技術者」達との鼬ごっこは単なる技術の問題としては解決することができません。皆さんもこれから様々な場面でインターネットを活用する機会が多くなると思いますが、単に使い方に習熟するだけではなく、「正しい使い方」をしっかりと身につけて下さい。
新しい文明の時代を生きていくためには、困難に遭遇したときに的確な価値判断ができなければなりません。困難に遭遇した時に力になってくれるのは単なる情報としての知識ではなく、歴史や古典等によって培われる教養です。時代が変わっても人間の本質は殆ど変わっていません。長い年月を生き続けてきたものにはそれなりの価値と力があります。人類の叡智の結晶とでもいうべき書物は、いつの時代にも、どんな混沌の時代にも、皆さんの行く手に明るい光を投げかけてくれることでしょう。今の時代を生きる上で是非覚えておいて頂きたい「不易流行」という言葉があります。松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の間に体得したもので、俳諧に対して説かれた概念です。「不易」は変わらないこと、即ちどんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対に変わらないもの、変えてはいけないものということで、「不変の真理」を意味します。逆に、「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従ってどんどん変わっていくもの、あるいは変えていかなければならないもののことです。「不易流行」は俳諧に対して説かれた概念ですが、学問や文化や人間形成にもそのまま当てはめることができます。人類は誕生以来「知」を獲得し続けてきました。森羅万象は時々刻々変化即ち「流行」しますから「知」は絶えず更新されていきますが、先人達はその中から「不易」即ち「不変の真理」を抽出してきました。その「不易」を基礎として刻々と「流行」する森羅万象を捉えることにより新たな「知」が獲得され、更にその中から「不易」が抽出されていきます。「不易」は「流行」の中にあり「流行」が「不易」を生み出す、この「不易流行」システムによって学問や文化が発展してきました。一人ひとりの人間も「不易」と「流行」の狭間で成長していきます。ここでひとつ注意を喚起しておきたいことがあります。それは、「不易」の過剰です。より正確に言うならば、「不易もどき」の過剰です。現在の情報過多の空間には、「不易」に甚だしく似通っているものや、あたかも「不易」であるかのように見える断片などが溢れています。皆さんは都立大学在学中に培った素養を基にして、自分で新たな「不易」を見つけ出し、時代が求めている人文科学、社会科学、自然科学を融合した新たな知の体系の構築を目指して下さい。世の中は益々グローバル化が進み、皆さんはそのまっただ中で生きていかなければなりません。未曾有の大変化の時期に生まれ合わせた運命を前向きに捉え、「不易」を抱いて「流行」に挑み、素晴らしい人生を輝かせることを期待しています。
皆さんはそれぞれ専門を学んで学士になり、これからも大多数の人はその分野で活躍していくことになるでしょう。「生涯学習」ということがいわれていますが、皆さんは本学在学中に学ぶ姿勢を身に付けた筈ですから、これからも絶えず学び続けて下さい。これからが真の勉強です。松尾芭蕉は『幻住庵記』に「つらつら年月の移り来し拙き身の科を思ふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる」と記しています。あの芭蕉でさえも様々に悩み、迷った結果「この一筋につながった」つまり俳句という一筋の道にようやく繋がることができた、と人生を振り返っています。皆さんも大いに悩み、迷いながら様々なことに挑戦して豊かな人生を送り、「この一筋」を見つけ出して下さい。
自分の可能性に挑戦するとともに、人類の新たな時代を創造していくこと、それが皆さんに課せられた義務であり、また責任でもあります。
本学に学んだ皆さんの明日からの新たな挑戦に期待し健闘を祈ります。
[2001年3月26日 都立大学講堂大ホール]