2001年度卒業式式辞
本日東京都立大学を卒業する962名の皆さんの希望に満ちた門出を祝福するとともに、明日からの皆さんの人生が充実したものとなるよう期待をこめて激励の言葉を贈りたいと思います。
皆さんは本学の第50回目の卒業生です。本学は第1回目の卒業生を1953年に人文・理・工の3学部から248名送り出しましたが、当時は法・経の2学部はまだ存在していませんでした。人文・法・経・理・工の5学部になって最初の第15回目の卒業生は522名になりましたが、それでも本日の卒業生の半数程度でした。日本の高等教育の急速な普及ぶりの一端を垣間見る思いがします。
皆さんは在学中に都立大学開学50周年という区切りを迎え、またミレニアムという千年に一度の記念すべき歴史の節目も迎えました。本学の歴史に一頁を記し、また新しい世紀の歩みに自らの人生の歩みを重ねて、いま未来へ向かって船出しようとしている皆さんを東京都立大学という港に立って見送る立場の私は、些か複雑な思いを抱いております。何故ならば、皆さんが船出して行く社会は波が荒く、また見送る私達も大学改革という試練の真っ只中におかれているからです。しかし如何に風が強く波が荒いとしても、皆さんはそれに打ち勝ち、新たな文明を創出していくことができると確信しています。私は知性あふれる若者を今年もこの南大沢の地から多数世界に向けて送り出すことができたことを誇りに思い、喜びに堪えません。
私は、こうして皆さんの卒業を祝福しながら、本日皆さんとともに卒業する筈であった内藤三恭司君のことに思いを巡らさずにはいられません。内藤君は理学部地理学科に入学し、ワンダーフォーゲル部に所属していましたが、2年生の時に文部省の冬山研修会に参加して、不幸にも帰らぬ人となってしまいました。誠に惜しむに余りありますが、内藤君は天国で皆さんの晴の姿を見守っていてくれることと思います。本日は内藤君の御両親が皆さんの卒業式に列席して下さいました。皆さん、どうか本学の優秀な学生であり多くの仲間に慕われていた内藤三恭司君のことをいつまでも心に留め、彼の分まで活躍してくれることを願っています。
始まったばかりの21世紀は、IT革命を背景とするグローバル化の中で、目まぐるしい技術革新と社会制度の改変が進行しています。前世紀の終盤以降、ソ連圏の解体と東西冷戦体制の終焉、経済や文化のボーダーレス化、史上類を見ない同時多発テロ事件、国内においては銀行や大企業の相次ぐ倒産や合併、中央省庁の改編、構造改革内閣の誕生など、劇的な変化が続いています。
そのような状況の中にあって、東京都立大学は本日皆さんに「学士」の学位を授与しました。これは皆さんが「自ら学ぶ能力」を身につけたことを、本学が社会に対して保証するものです。皆さんは卒業後どのような分野で活動するにせよ、大学で学んだ知識だけで間に合うということはあり得ません。社会に出れば学習に次ぐ学習が必要になることは、昨今の激動する世相を見れば容易に想像がつくでしょう。日々に自己学習を重ねながら、常に問題意識をもって事に当たり、自ら問題を発見し、自らその解決方法を考えることになります。そのとき必要になるのが「論理的に思考する能力」「知識や情報を収集し評価して活用する能力」「企画・立案して遂行する能力」などです。情報が氾濫する現在は、情報を評価し取捨選択する能力が特に重要です。「学士」の学位は、皆さんがこれらの能力を身につけ自ら学ぶことができる水準に達したことを保証しますが、これからは皆さんが社会による評価を受け続けることになります。
社会、特に企業からは「学士の学位は信用できない」という声が聞かれます。「最近の学士は英語も使えないし専門知識も身についていない。大学は役に立つ学問をしっかりと教育して、即戦力になる人材を養成すべきである。現状では国際競争に勝てない」という不満です。かつては「必要な専門は入社してから教えるから、大学では基礎をしっかり勉強してきて欲しい」と言っていた企業が、昨今は長引く不況で自社教育をする余裕がなくなったために「即戦力性」を期待するようになりました。しかし一方、国際競争の最前線にある優良企業のトップは「専門技術では負けていないが、トータルとして外国企業に勝てないことが多い。その原因はトップの総合的な判断力の差である。大学では、哲学、歴史、文学など幅広い教養を学んできて欲しい」と言っています。つまり、日本の企業に欠けているのは、技術力ではなく、幅広い教養に裏付けられた総合的な判断力を持つリーダーであるということです。大学が直ぐに役に立つことばかり教育していると勝れたリーダーが育たず、国際競争に勝てないということです。私は皆さんがそれぞれの分野のリーダーになってくれることを期待しています。つまり、ハイレベルなジェネラリスト又は広い視野を持つスペシャリストになってほしいということです。これからの時代にはより複雑で難解な問題を処理する判断力が要求されます。皆さんは都立大学在学中にそれが可能になるように研鑽を積み、本日ここにめでたく「学士」の学位を手にしました。しかしながら、「大学卒」の肩書きが安泰な人生を保証してくれる時代は過ぎ去りつつあります。「学士」の学位の保証効果に頼るのではなく、これからは在学中に身につけた「自ら学ぶ能力」を駆使して大きく成長して下さい。
いま私達の周りには、20世紀の末にアメリカから始まった「IT革命」の嵐が吹き荒れています。政府は「日本はIT革命が遅れている」との認識に基づいて、IT基本法の制定、IT戦略本部の設置、「インパク」の開催などITに力を入れ、超高速インターネット網を全国に張り巡らして5年でアメリカに追いつき追い越して世界一のIT国家を目指そうという政策を推進しつつあります。しかし、現状は、人口当たりのコンピューター普及率が19位、携帯電話の普及率が26位、インターネット利用者比率が19位ですから、まだまだ我が国はかなりの「IT後進国」ということになります。しかし、一方において、携帯電話メールの80%以上がいわゆる「迷惑メール」であるという事実は残念ながら我が国が「IT倫理後進国」であることを示しており、こちらの方が遙かに重大な問題であると思います。更にはコンピューター VIRUS という極めて悪質な犯罪が横行していることは皆さんもよく御存じの通りですが、万死に値する重大な犯罪であるにも拘わらず犯人の特定が難しいために目下のところ有効な対応策が無い状態です。しかしながら、これからの社会がコンピュータとネットワークという新しい環境の上に構築されていくことは疑い得ないでしょう。IT文明の健全な発展が強く望まれるところです。皆さんも自らが倫理を弁えた使い方をすることは勿論ですが、IT文明の健全な発展のためにそれぞれの立場から尽力して下さい。
ともあれ様々な問題を抱えながらも、ITの発達によって「グローバル化」が急速に進みつつあります。私自身もインターネットを使わない日はありませんが、居ながらにして瞬時に世界中から情報を集めることができる便利さは驚嘆すべきものです。21世紀はインターネットによって世界が結ばれ、世界中の人々が英語を共通語として情報を交換しあうようになるでしょう。真に新鮮な文明が始まることが予想されます。しかし、無自覚な「グローバル化」は自らのアイデンテイテイーを危うくすることに注意しなければなりません。この地球上には様々な国や地域があり、様々な民族がそれぞれの伝統に基づいて多種多様な文化の花を咲かせてきたからこそ、人類は豊かな歴史を築くことができたのではないでしょうか。我が国にも長い年月をかけて築いてきた伝統と文化があります。「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」「古池や蛙飛び込む水の音」は御存じのように芭蕉の代表的な名句ですが、虫の鳴く声を聞いて「もののあはれ」を感じ、蛙の水音に「いとをかし」と感動するのが日本人の感性であり日本文化の特質です。文明の進歩が自然を破壊し、「グローバル化」という名の下にアメリカ化が進展する中にあって、芭蕉の句や西行の歌に感動する心こそが日本人のアイデンティティーではないでしょうか。日本の風土に花開いた独特の文化は、我が国が真の国際貢献をしようとする場合に最大の切り札になる筈です。皆さんが世界の人々から敬意を払われるためには、日本の文化をしっかりと理解していることが不可欠です。我が国は「科学技術創造立国」を標榜していますが、先ず「文化立国」でなければならないと思います。文化のグローバル化によってローカルなものが次々と失われ、「多様化」という名の下に画一化が進むことは寂しい限りです。国際交流の基本は「文化の多様性を大切にする」ことです。「グローバル化」の名の下に、全世界を文化的に均一化してしまうことは決して好ましいことではありません。
このところ世を挙げて「改革」が叫ばれています。数限りない「改革」の中には理念があり必然性があるものもありますが、短期的視野に立つ経済効率優先主義の産物としか思えないもの、「変えることに意義がある」としか考えていないもの、「バスに乗り遅れたら大変」との強迫観念に囚われているものなどが多いようです。大学について見れば、「統廃合」「改組転換」「名称変更」などが目立ちますが、「統廃合」や「改組転換」は理念より経済効率を優先するものが多数を占めていると言わざるを得ません。国立大学では既にかなりの数の統合が公表され、国立大学と公立大学との統合も実現するかも知れません。我が東京都立大学も自発的に改革を検討し議論を積み重ね、基本的な方針を「東京都立大学改革計画2000」において決定しました。一方、設置者である東京都は都立の4つの大学を総合的に改革する方向を打ち出し、その大筋を「東京都大学改革大綱」として公表しました。それによれば本学は3年後に都立の他の大学との統合・再編によって新しい大学に生まれ変わることになります。具体的な中身はこれから決定していくことになりますが、この改革は本学が50年以上かけて積み上げてきた研究と教育に関する実績を基に、21世紀に相応しい国際的に高く評価される大学に発展するものでなければなりません。本学が目指す「大学改革」を実現するために、皆さんにはこれから卒業生として自分の母校を評価し、様々な提言を寄せて下さるようお願いします。
大学改革の議論の中に、「日本の不況の原因は大学教育が悪いからである」という意見があります。大学を含めて教育・研究の在るべき姿が時代とともに変化しなければならないことは言うまでもありませんが、「財政難だから大学の予算を減らす」というのは「米百俵」の精神に反します。皆さんは「米百俵」という山本有三の戯曲を御存じでしょうか。明治の初め戊辰戦争に敗れて長岡藩の財政が底をついたときに見舞として贈られた百俵の米を、藩士達の猛反対を身命を賭して説得し、学校建設の資金に投じて後年の人材輩出の礎を築いた小林虎三郎の卓抜した識見と勇断を描いた作品です。「米百俵」という言葉は昨年小泉首相が「苦しいときは皆で痛みを分かち合おう」というような意味で引用して有名になりました。しかし、小林虎三郎は「国が興るのも町が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ」、即ち「財政難の時には教育に重点投資し、人材育成をはかるべきだ」と主張したのであります。言葉の引用は正確にしなければなりません。私は昨年、小林虎三郎の命日に長岡に行って墓参りをしながら「米百俵」の精神を確かめてきました。皆さんにも是非この作品を読んでもらいたいと思います。「教育は百年の計」と言われます。しかし昨今の大学改革の議論において、屡々「・・・の将来を考える」というようなことが言われますが、「将来」といっても目先のことしか考えていないと思しき場合が殆どです。昨今は不況が長く続いているせいで十年先のこと、まして五十年、百年先のことなど考える余裕がないのかも知れませんが、今より遙かに苦しかった当時の「米百俵」の精神、即ち今日の空腹を我慢しても十年先、二十年先、三十年先に活躍する人材を育成することに力を入れる教育重視の見識が今こそ必要ではないでしょうか。
不況が長引いているために「基礎的な研究や基礎的な技術の開発は外国に任せ、日本はその成果を利用して直ぐ役に立つこと、儲かることをやればいい」という考えが支配的になっていますが、そのような方針では決して我が国は世界のリーダーにはなれないことがはっきりしています。大学に関しても全く同じことが言えます。基礎研究にどれだけ力を注ぐかがその国の国際競争力に反映し、その大学の評価に直結します。世界中の大学を見れば明らかなことですが、基礎研究より実用的な教育に力を入れて優れた人材を輩出している例は一つもありません。スタンフォードやMITが如何に基礎研究に力を入れているかを考えてみて下さい。基礎を大切にしなかったために痛手を被った例は幾らでもあります。例えば、自然科学の基礎である数学を大切にしなかったために太平洋戦争では暗号が解読され、昨今ではデリバティブなどの複雑な金融取引で莫大な損失を被っています。国家にせよ大学にせよ、経済効率特に短期的視野に立つ経済効率を優先する考え方に支配されたら将来はないと断言できます。都立大学は今後とも基礎研究を重視し、「知の創造」に基づいた教育を行うことによって「東京から日本を変える」いや「東京から世界を変える」人材を輩出していきたいと願っています。
人類の歴史を概観すれば、長い年月をかけて極めて緩やかに発達を続けてきた文明が、産業革命をきっかけに加速し始め、この100年間はまさに指数関数的な発達状況を示しています。皆さんはこの急速に発展を続ける21世紀の文明の中で生きていかなければなりません。ややもすると、急流に押し流されて自分のいる場所が分からなくなってしまうことがあるかも知れません。「流れが急だ」と感じたら、立ち止まって全体を見渡して下さい。皆さんは「自ら学ぶ能力」を身につけましたが、これから様々な場面で学問の新しい展開について学ぶ必要が出てくるに違いありません。そのようなときには、是非都立大学に戻ってきて下さい。様々な制度を用意して皆さんの里帰りを待っています。都立大学は皆さんの故郷です。
私は皆さんを送り出すにあたって、「自信を持て」と声を大にして言いたいと思います。昨年来連続テロ事件を始めとして暗いニュースが続く中で、白川先生・野依先生のノーベル賞連続受賞や大リーグにおける日本選手の活躍など、日本人の実力を世界に示す明るいニュースもありました。皆さんも都立大学在学中に身につけた「自ら学ぶ能力」を武器として世界の舞台に挑戦して欲しいと思います。自分の可能性を精一杯発揮するとともに、人類の新たな時代を創出していくことが皆さんに課せられた義務であり、また責任でもあります。皆さんの明日からの果敢な挑戦に期待し健闘を祈ります。
[2002年3月25日 都立大学講堂大ホール]