2002年度卒業式式辞

 本日東京都立大学を卒業する1032名の皆さんの希望に満ちた門出を祝福するとともに、明日からの皆さんの人生が充実したものとなるよう期待を込めて激励の言葉を贈りたいと思います。
 皆さんは本学の第51回目の卒業生です。本学は第1回目の卒業生を1953年に人文・理・工の3学部から248名送り出しました。人文・法・経・理・工の5学部になって最初の第15回目の卒業生は522名になりましたが、それでも本日の卒業生の半数程度でした。日本の高等教育の急速な普及ぶりの一端を垣間見る思いがします。
 皆さんは在学中に開学50周年という区切りを迎え、またミレニアムという千年に一度の記念すべき歴史の節目も迎えました。よく学び、よく遊び、サークル活動やアルバイトなどにも精を出し、友人達との交わりの中で人格を磨き、所期の目的を達成して本学の歴史に一頁を記し、いま新しい時代へ向かって羽ばたこうとしている都鳥達を前にして、私は些か複雑な思いを抱いております。何故ならば、皆さんを迎える社会には依然として暗雲が立ちこめ、また東京都立大学も歴史的転換の真っ只中におかれているからです。しかし如何に風が強く波が荒いとしても、皆さんはそれに打ち勝ち、新たな文明を創り出していくことができる力を身につけたと確信しています。私は東京都立大学が知性あふれる1032名の都鳥を今年もこの南大沢の地から世界に向けて送り出すことができたことを誇りに思い、喜びに堪えません。どうか皆さん、東京都立大学の卒業生であることに誇りを持って明日からの人生を歩んでいって下さい。
 始まって間もない21世紀は、IT革命を背景として急速に進行するグローバル化の中で、目まぐるしい変化が続いています。10年を超える不況に苦しむ国家的危機の中にあって、外交では拉致問題、イラク問題など多くの難題に直面し、我が国の真価が問われています。また、生命科学の劇的な進歩はついにクローン人間を創り出すに至り、環境科学の分野においては地球温暖化問題などが大きなテーマになっています。また、考古学の分野では旧石器捏造事件がありました。昨年の5月にこの会場で開催された日本考古学会において善後策が議論され、新聞などにも報じられました。更には、皆さんの身近なところに目を転じて理工系学部の卒業生の就職先を産業別に見ると、かつては圧倒的な割合を占めていた製造業が昨年度サービス業に首位の座を譲りました。これは我が国の産業構造が大きく変化しつつあることの現れであると思います。
 そのような状況の中にあって、東京都立大学は本日皆さんに「学士」の学位を授与しました。グローバル化時代において、地球社会の一員として活躍する皆さんには、豊かな教養と確かな専門性を身につけ、併せて高い倫理性と責任感を持って判断し行動できる能力を持つことが期待されています。本日皆さんが手にした「学士」の学位は、皆さんがこの水準に達したことを、本学が社会に対して保証するものです。我々は皆さんを東京都立大学の「学士」として世に送り出すことを誇りに思います。
 皆さんは卒業後どのような分野で活動するにせよ、大学までに学んだ知識だけで間に合うということはあり得ません。社会に出れば学習に次ぐ学習が必要になることは、昨今の激動する世相を見れば容易に想像がつくでしょう。日々に自己学習を重ねながら、常に問題意識をもって事に当たり、自ら問題を発見し、自らその解決方法を考えることになります。そのとき必要になるのが「論理的に思考する能力」「知識や情報を収集し評価して活用する能力」「企画・立案して遂行する能力」などです。情報が氾濫する現在は、情報を評価し取捨選択する能力が特に重要です。「学士」の学位は、皆さんがこれらの能力を身につけ自ら学ぶことができる水準に達したことを保証しますが、これからは皆さんが自らの努力でその能力を磨いていかなければなりません。
 社会、特に企業からは「学士の学位は信用できない」「日本の不況の原因は大学教育が悪いからである」という声が聞かれます。「最近の学士は英語も使えないし専門知識も身についていない。大学は役に立つ学問をしっかりと教育して、即戦力になる人材を養成すべきである。現状では国際競争に勝てない」という不満です。かつては「必要な専門は入社してから教えるから、大学では基礎をしっかり勉強してきて欲しい」と言っていた企業が、昨今は長引く不況で自社教育をする余裕がなくなったために「即戦力になる人材」や「直ぐに役に立つ知識」を期待するようになりました。しかし、「即戦力になる人材」は往々にして基礎がしっかりしていないために寿命が短いことが多く、「直ぐに役に立つ知識」は明日は役に立っても明後日には陳腐化します。分かり易い例を挙げれば、「数学の勉強などしなくても計算はコンピューターにやらせれば済む」と言う人がいますが、数学を理解している人がいなければコンピューターを作ることが出来ません。一見役に立たないように見える基礎的な学問や知識こそが本当の意味で大きな力を発揮します。老子や荘子のいう「無用の用」です。
 また、企業は皆さんに「創造力」や「問題解決能力」を期待するかも知れません。しかしながら、皆さんは都立大学在学中に、「創造力」や「問題解決能力」のみならず、「洞察力」「問題発見能力」「論理的思考能力」など様々な能力を身につけているはずですから、社会のそれぞれの分野において、必ずしも即戦力にはならないかも知れませんが、真に底力のある人材として頭角を現していってくれるものと確信しています。
 我が国は「科学技術創造立国」を標榜していますが、科学技術には「高い倫理性と責任感を持って判断し行動できる能力」が伴わなければなりません。「ものづくり」「起業」「ベンチャー」などといわれていますが、言うまでもなくその主役は人間であり、彼等/彼女等には「高い倫理性と責任感を持って判断し行動できる能力」が要求されます。最近は小学生を対象に「起業講座」を開設するなどという話もありますが、基礎教育が疎かになる恐れがあるのではないでしょうか。
 皆さんはこれからグローバル化時代を生きていくことになります。しかし、効率や便利さを優先する無自覚な「グローバル化」は自らのアイデンテイテイーを危うくすることに注意しなければなりません。この地球上には様々な国や地域があり、様々な民族がそれぞれの伝統に基づいて多種多様な文化の花を咲かせてきたからこそ、人類は豊かな歴史を築くことができたのではないでしょうか。我が国にも長い年月をかけて築いてきた伝統と文化があります。文明の進歩が自然を破壊し、「グローバル化」という名の下にアメリカ化が進展する中にあって、芭蕉の句や西行の歌に感動し、兎追いし故郷の山や小鮒釣りしかの川を愛する心こそが日本人のアイデンティティーではないでしょうか。日本文化の理解は、皆さんが国際的な仕事をしようとする場合に最大の切り札になる筈です。いくら器用に英語が使えても「根無し草」では通用しません。時間はかかりますが、国民の一人ひとりが日本人のアイデンティティーを確立することこそが国家的危機から立ち直る王道であると確信します。私は屡々中国を訪れましたが、あらゆる場面で五千年の歴史を持つ文化の重みとアイデンティティーの確立をひしひしと感じ、畏敬の念を抱きました。
 余り明るいニュースがない中にあって、昨年小柴、田中両氏がノーベル賞を受賞したことは日本の学問レベルの高さを世界に示すことが出来る快挙でした。これで白川氏、野依氏に続いて3年連続して日本人がノーベル賞を受賞したことになりますが、まだまだ有力な候補者が目白押しですから、今年以降も大いに期待されるところです。しかしながら、我が国は「科学技術創造立国」を標榜し「50年でノーベル賞30人」を目標に掲げていますが、直ぐに成果が見える研究にばかり投資していたのでは到底目標達成は覚束ないでしょう。独創的な人材を育成し、未来に開花する研究を支援しなければなりません。ところで、よく知られているように、白川、田中両氏の受賞対象となった業績は「常識を疑え」「失敗を恐れるな」「転んでもただ起きるな」などの典型です。即ち「常識」的には「失敗」でも意外な発展に繋がることがある、「常識」に囚われていては発展がない、「常識」に囚われていては「オンリーワン」の発想は出来ない、ということです。「先ず疑ってみること」が大切です。コペルニクスは「太陽が地球の周りを回っている」という不動の常識を果敢に疑って「地動説」を唱え、人類の常識を180度転回させました。皆さんも小さな疑問を大切にして大きな成果をあげて下さい。また、皆さんはこれから社会に出たり大学院に進学したりすれば「失敗」の連続になると思います。「失敗」は誰もが日常的に犯しますが、勝敗の分かれ道は「失敗」を活かすか否かです。また、「転んでもただ起きるな」は『今昔物語』に載っている藤原陳忠の話以来我が国では社会生活の基本的教訓の一つになっています。私は皆さんに「常識を疑い」「失敗を恐れず」果敢に物事に挑戦し、「転んでもただは起きない」粘り強い精神で生きていって欲しいと願っています。
 昨今は「構造改革」「行政改革」「教育改革」「大学改革」などと「改革」ばやりですが、殆どが対症療法の域を出ず、専ら制度と法律をいじっているといっても過言ではないと思います。制度や法律を変えても本質的な改革が出来るとは限りません。「改革」という言葉を使うことによって中身が変わったかのような錯覚に陥っている人々が多いように見受けられます。国家的危機ともいえる現状の真の原因は国民一人ひとりの体質の劣化にあると思われますが、「ゆとり教育」「個性の尊重」「国際人を育てる」「創造性を養う」「生きる力を育む」などの標語に先導された度重なる「教育改革」によって改善が見られたでしょうか。とはいえ、昨今、個人の資格でものを考え行動する時代が始まりつつあることは、喜ぶべき変化であるといえるでしょう。
 しかし、日本の歴史を振り返ってみると、実に見事に「改革」を成功させた例があります。それは江戸時代の米沢藩主上杉鷹山です。アメリカ合衆国の第35代大統領J. F. ケネディは、日本人記者からの「日本で最も尊敬する人は誰か」との質問に「上杉鷹山」と答えています。鷹山は、10歳で上杉家の養子に入り17才で米沢藩主となってから、財政改革・殖産興業・新田開発・倹約奨励など藩政全般にわたる改革を断行し、貧窮のどん底にあった米沢藩を立て直しました。江戸時代屈指の名君といわれています。その人物像を描いたものとして「小説 上杉鷹山」が著名ですが、著者の童門冬二こと太田久行氏は、かつて本学理学部で事務長を務めていたことがあり、本学に縁の深い作家です。鷹山の改革が成功した鍵は人間教育にあり、その神髄は「忍びざるの心」でした。「忍びざるの心」とは他者の気持ちを思いやる「人間愛」です。彼は「学問は国を治めるための根元」であると考え、藩校「興譲館」を創設して、「忍びざるの心」を育てる教育を行う場としました。「人間教育」の実践です。
  なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり
は鷹山の作といわれ、米沢市の上杉神社には歌碑もあります。この有名な歌が鷹山の作であるか否かはともかくとして、鷹山はこの歌を座右の銘として「藩政改革」を断行しました。この他に、鷹山の作としては
  してみせて 言って聞かせて させてみる
が伝わっています。これは後年、
  やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
という山本五十六の歌として人口に膾炙することとなりましたが、鷹山の「人間の心」に対する深い洞察が窺われる言葉です。鷹山は自ら範を示し「忍びざるの心」をもって米沢藩の人々を信頼し、「心の壁」に挑戦して改革を成し遂げたのです。皆さんはこれからそれぞれの分野において様々なことに挑戦し、世の中を変えていくことになりますが、如何なる時にも「忍びざるの心」を忘れないようにして下さい。自分の痛みは分かるが他人の痛みは分からない、ということのないように心掛けて下さい。
 都立大学は皆さんの在学中に開学50周年を迎えましたが、今年は、江戸開府400年、歌舞伎400年、忠臣蔵300年、黒船来航150周年、テレビ放送50周年など、様々な節目の年に当たります。このような節目に当たって歴史に思いを馳せてみることは意義深いことです。言い古されたことではありますが、我々は絶えず歴史に学びながら進歩していかなければならないと思います。孔子曰く「温故知新」です。昨今は「改革」ばやりで、「変えることに意義がある」と錯覚している人が多いようですが、世の中には「不変の真理」と「変化するもの」とがあります。松尾芭蕉の言葉をもってすれば「不易」と「流行」です。今日のように「流行」即ち「変化」が急激な時代を生き抜いていくためには「不易」即ち「不変の真理」が拠になります。政治形態がどうなろうと、社会情勢が如何に変化しようと、真理は不変です。皆さんはこれからどのような道に進むにせよ、「不変の真理」を拠にして、正しく生き抜いて行く力を獲得していかなければなりません。大学で学ぶ学問は、実社会では役立たない空理空論であるといって非難されることがありますが、それは目先きのことのみに囚われている人の浅はかな考えです。皆さんが都立大学在学中に身につけた「不易」を学ぶ姿勢はこれから様々な場面で必ず皆さんを支える筈です。このような時代だからこそ東京都立大学に学んだことを誇りに思い、「不易」を拠にして世界に羽ばたき、自信を持って明日からの仕事に取り組んで、新しい「流行」を創り出して下さい。「Where there is a will, there is a way」「精神一到何事か成らざらん」「志有る者は事竟に成る」・・・。洋の東西を問わず「強い意志」が重要であることを説いています。
 今は世を挙げて「評価」の時代です。皆さんには在学中に授業評価などを通して本学の教育の改善に協力してもらいましたが、これからは卒業生として母校を評価して下さい。時々私のところに卒業生からメイルが届きます。また、年に何回か八雲会の皆さんとお会いする機会がありますが、そのような折にも多くの方々から様々な御提言を頂きます。学内にいる我々には気が付かないことがたくさんあります。本学に学んだ皆さんが卒業してから母校を外から眺め、提言を寄せて下さることは、我々にとって大変な励みになります。卒業してからも母校のことを心にかけてもらえるのは実に有り難いものです。我々はそのような皆さんの声を大切にしながら、卒業生が誇りに思える大学であり続けるべく務めていきたいと思います。
 私は34年間在職した東京都立大学を、この度皆さんと共に「卒業」することになりました。都立大学の歴史が開学以来54年であることを考えるとその半分以上をそこで働き、都立の他の大学との統合・再編によって新しい大学に生まれ変わることを決めた時期に総長を務めたことは誠に感慨深い限りです。「創業は易く、守成は難し」即ち「創業はたやすいが、その事業を受け継いで維持してゆくことは難しい」というのは『十八史略』にある言葉です。昨今は「起業」ばやりですが、それを守り育てていくのは大変なことです。大学に関しても同じことが言えます。大学を創るのは簡単でもそれを守り育てていくのは難しいことです。大学を評価するのは当事者ではなく、社会であり歴史であります。54年の伝統と実績をもつ都立大学の「学問の灯」を、2年後に誕生することになっている都立新大学に引き継ぎ守り育てていくことこそが歴史の評価に耐えうる道であると確信します。卒業生の皆さんが「考える葦」であり続け、東京都立大学が「考える場」であり続けることを祈りつつ式辞を終わりたいと思います。
[2003年3月25日 都立大学講堂大ホール]