国語学会2002年度春期大会挨拶

 国語学会の皆様、ようこそ東京都立大学においで下さいました。本学を代表して歓迎の挨拶をさせて頂きます。
 国語学会の2002年度春期大会を本学で開催して頂き誠に有り難うございます。国語学会は1944年の設立と伺いましたので、60年近い歴史があることになりますが、そのような伝統ある学会が本学を会場として選んで下さったことは誠に光栄でございます。この学会が本学で開催されるのは1968年に続いて2回目と伺っております。前回は目黒区八雲のキャンパスでしたが、本学は11年前にここ八王子市南大沢に移転して参りました。当時はバブル経済の末期で、東京都は巨費を投じて都庁と都立大学を同時に移転させましたが、今から振り返ると夢のような気が致します。移転して11年、キャンパスはすっかり落ち着きを見せてきましたが、大学は改革の嵐に吹きまくられて四苦八苦しております。
 大学改革といえば私は「米百俵」という言葉が頭に浮かびます。「米百俵」は山本有三の戯曲のタイトルであり、明治の初め戊辰戦争に敗れて長岡藩の財政が底をついたときに見舞として贈られた百俵の米を、藩士達の猛反対を身命を賭して説得し、学校建設の資金に投じて後年の人材輩出の礎を築いた小林虎三郎の卓抜した識見と勇断を描いた作品です。「米百俵」という言葉は昨年小泉首相が「苦しいときは皆で痛みを分かち合おう」というような意味で引用して有名になりました。しかし、小林虎三郎は「国が興るのも町が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ」、即ち「財政難の時だからこそ教育に重点投資し、人材育成をはかるべきだ」と主張したのであります。言葉の引用は正確にしなければなりません。私は昨年、小林虎三郎の命日に長岡に行って墓参りをしながら「米百俵」の精神を確かめてきました。「財政難だから大学の予算を減らす」というのは「米百俵」の精神に反します。「財政難の時にこそ教育に重点投資すべきだ」という虎三郎の見識が大学改革に対してこそ反映されるべきではないでしょうか。
 私は日本語が大好きです。表意文字と表音文字を巧みに組み合わせて使う日本語は、世界中で最も優れた言語であると確信しています。表音文字だけの言語圏に生まれなかったことを何より幸せであると感謝しています。
 国際化、グローバル化が叫ばれる中で、屡々「日本人の英語力不足」が指摘されています。全くその通りですが、もっと重大な問題があると思います。それは、国語力の低下です。「ゆとり教育」とやらのお陰で、小中学校における国語の時間が削減されたために、当然の結果として国語力が低下しています。人間の思考機能は母国語を基盤にしていることを考えれば、「英語力の不足」と「国語力の低下」とは次元の違う話であります。小学校で、海外旅行で困らない程度の英会話を教え、パソコンの使い方を教えることで全ての国民を情報社会に対応できる「国際人」に育成することが出来るとは到底思えません。英語が出来ることが「国際人」であるというのであれば、アメリカ人やイギリス人は皆「国際人」ということになります。簡単な英会話やパソコンの技術と引き替えにもっと大切なものが身についていない大人を量産している恐れがあるのではないのでしょうか。古来、学力の基礎は「読み、書き、算盤」と決っています。私は数学者ですが、学力の基礎は先ず国語、次に数学です。国語学会の先生方に頑張って頂いて、小学校の国語の時間を倍増し、国民の国語力を高めることこそが日本文化の発展を支える第一歩ではないかと思います。
 皆様御存じのように、本学の人文学部には文学科があります。その中に国文学専攻があり、教員の約半数が国語学の研究者です。本学は少人数教育を特色にしており、大学院教育には特に力を入れております。大学院に他大学からの志願者が多いという実績は本学の研究・教育体制が評価されていることの現れと自負しておりますが、折角の機会ですのでこの席をお借りして、宣伝をさせて頂きたいと思います。先生方の所で大学院へ進学を希望している学生がいましたら是非都立大学の大学院をお薦め下さるようお願い申し上げます。
 このキャンパスは八王子市の外れにありまして、交通の不便を感じられた先生方もいらっしゃるかと思いますが、その代わり富士山も望め緑溢れる素晴らしい環境でございます。樹々の新緑がまぶしいこのキャンパスで、有意義な大会を開催して頂ければ幸いと存じます。生憎土曜・日曜は事務職員が出勤しておりませんので何かと御不便をおかけするかも知れませんが、本学の施設を十分御活用頂き、2002年度春期大会が実り多いことをお祈りして私の挨拶と致します。本日は有り難うございました。
[2002年5月18日 東京都立大学講堂大ホール]