退任挨拶

 本日を以て総長の職を退任し、都立大学を去るに当たりまして、皆様にひとこと御挨拶を兼ねて感謝の言葉を申し上げます。
 私は1969年に本学に着任し、34年間在職しました。本学の歴史が54年であることを考えるとその半分以上をそこで過ごし、都立の他の大学との統合・再編によって新しい大学に生まれ変わることを決めた時期に総長を務めたことは誠に感慨深いものがあります。
 「お陰様で大過なく任務を全うすることが出来ました」と言いたいところですが、「大過ばかりで誠に申し訳ありませんでした」と言わなければなりません。
 幸い、部局長を始め教職員の方々の熱心な働きと励ましに恵まれ、多くの皆さんに支えて頂いて、任期を全うすることが出来ました。本当に幸せだったと感謝しています。任期中何回か「辞任」を考えたこともありましたが、結果的には4年間無遅刻・無欠勤で今日の日を迎えることが出来たことは、何者にも代え難い喜びであり、皆様に深く感謝するところです。
 この間、実に様々なことがありました。先ず都立大学開学50周年記念の事業の数々でした。教職員や八雲会の皆さんから絶大な御支援を頂いて実施した記念行事の数々は、今でもつい昨日のことのように目に浮かんできます。先輩達が50年かけて築き上げてきた「歴史の重さ」を改めて認識し、都立大学の一員であることの幸せを実感することが出来ました。
 就任して直ぐに大学改革の検討に着手し、1年余を経て、教養教育の再構築を軸とする学部教育の改革、大学院の拡充、社会との連携強化などを柱とする改革案をまとめました。いわゆる「改革2000」です。全学を挙げて検討に参加して頂き、深夜まで議論を戦わしたことを懐かしく思い出します。大勢の方々に助けて頂いたことに対して、改めて感謝したいと思います。特に水林先生の献身的な御協力には頭の下がる思いが致します。
 あの段階では、都立大学という一大学の規模で大学改革を推進する筈でした。ところが、その直後に石原知事から「東京から日本の教育を変える」という戦略構想の下に、都立の4大学を改革する基本理念として「統合」と「法人化(ないし民営化)」という方向が明確に打ち出されました。4大学の「統合」は「青天の霹靂」、「天が落ちてきた」様な驚きでした。
 それからは「改革」に明け「改革」に暮れる毎日でした。幾多の紆余曲折を経て纏められた「東京都大学改革大綱」が一昨年11月に発表され、それに基づいて2005年に設立される予定の都立新大学の構想を具体化する作業を進めてきました。南大沢キャンパスと荒川キャンパスを中心に6学部8研究科を置き、日野キャンパスに産学公連携センターを設置して社会とのインターフェイス機能を強化するなどの具体像がかなり見えてきて、「これで一安心」と思っていましたが、石原知事は先般の議会答弁の中で「改革案はまだまだ期待の持てるようなものになっていない」と言い、都知事再選出馬表明の際には「都立の大学は一新し、これまでの日本にない全く新しいタイプの大学を作りたい」と発言しているので、まだまだ予断を許さず、再び「天が落ちる」恐れがあります。これが「杞憂」に終わればばいいのですが、「都憂」になることを恐れています。
 悔やまれるのは、「4大学の統合」の在り方を巡る攻防で「都立大学を存続大学とする統合」であるべきだとする我々の主張が認められず、「4大学廃止、新大学設置」となったことです。両者は雲泥万里の違いがあり、様々な局面に影響を及ぼしています。
 また、学部の夜間課程を廃止するということは、本学の大きな特色の一つをなくすことであり、やむを得ないことではありますが、複雑な思いが致します。
 総長としての4年間は戸惑いの連続でした。先ず、文系と理系の文化の違いに戸惑いました。改革の検討を進める過程において、文書を作る場合、理念から始めて長々と書かなければ承知しない文系の先生方に対して、理系の先生方は具体的項目を箇条書きにしなければ読んでくれませんでした。やむを得ず、文系向けと理系向けの2種類を作成したこともありました。
 私のような理系の人間は、法律や規程などの記述を文字通りに理解しようとします。これは「文理解釈」というそうですが、話が噛み合わないことが多く、「目的論的解釈」と称して都合のいいように解釈していると思われるので、それではこちらもその手で行こうとすると「それは立法者意志に反する」と言われたりしました。「法の美学」ということも教わりました。お陰で随分「規程」に明るくなり、事務職より先に規程の不備を見つけることも屡々あるようになりました。再雇用で文書係に採用して頂けませんでしょうか。
 都庁に言語が通じないことを痛感しました。都庁との折衝は専ら磯部先生にお願い致しましたが、改革に関しては、大学の主張を都庁に理解してもらうために様々な場面において磯部先生を困らせたと思います。磯部先生には心より厚く御礼を申し上げます。
 府大戦や横市戦を始めとする大阪府立大学や横浜市立大学との交流は、学生の交流もさることながら、厳しい環境に置かれている公立大学同士が相互に協力し会う意義が大きかったと思います。府大戦のリレーで炎天下のグランドを南学長と共に走ったこと、横浜市大の加藤学長とテニスで憂さ晴らしをしたことなど、懐かしく思い出されます。
 更に、公立大学協会会長としては、従来の会長の持ち回り制度を改め、会長校と共に持ち回っていた事務局も固定化して西新橋に新しい事務局を開設するなど、些か強引な改革を実施しましたが、皆様の御協力のお陰で、結果的には公大協が大きな力を持つに至り、特に現在公立大学法人化法案の制定に対して多大な影響力を行使しているのをみて感激しています。
 都立大学は、中規模ながら総合大学として国際的に高く評価される実績を積み重ねてきました。都立大学の誇りは、その学問とそこで育った人材です。現在、東京都の財政は困窮していますが、だからこそ長岡藩における小林虎三郎の「米百俵」の精神、即ち「国が興るのも町が栄えるのも、悉く人にある。財政難の時だからこそ教育に重点投資し、人材育成をはかるべきだ」を忘れてはならないと思います。50余年の伝統を持つ都立大学の「学問の灯」が2年後に発足する第2世代の都立大学に引き継がれ、卒業生が誇りに思える大学として発展し続けることを願って止みません。
 この4年間、大学改革を始め職務に関しては精一杯努力したつもりではありますが、結果的には大過ばかりで御迷惑をおかけしたしたことをお詫び申し上げます。何人かの方々から労いのメイルなどを頂き、大変感激しております。本日退任するに当たり、支えて頂いた全ての構成員の皆さんに厚く御礼を申し上げます。有り難うございました。明日からは茂木先生の舵取りで荒波を乗り越えていくことになりますが、皆さんで茂木先生を支え、全学が一丸となって新大学の構築に当たって頂きたいと思います。何卒宜しくお願い致します。
 尚、私は、明日からは、大学評価・学位授与機構において「評価」の研究をすることになります。機構は明日小平に移転して素晴らしい環境が整いますので、新しい仕事に快適に取り組めそうです。これからは学外から都立大学の発展をお祈り致します。
 皆様、どうか健康に留意され、未来を切り開く研究と、次代を担う人々の教育に益々熱意を持って当たられるよう願っております。長い間、本当に有り難うございました。
[2003年3月31日 都立大学大会議室]