50年前と今

 人類の歴史を概観すれば、長い年月をかけて極めて緩やかに発達を続けてきた文明が、産業革命をきっかけに加速し始め、この100年間はまさに指数関数的な発達状況を示しています。特に、この50年間の変化は凄まじく、比べてみれば驚くばかりです。50年前には、カラーテレビはかなり普及していましたが、現在のハイビジョンと比べれば、全くの別物でした。
 電子機器の登場により、この50年間に我々の生活が一変しました。50年前には、パソコン、携帯電話、インターネット、電子メールなどは一切ありませんでした。
 1970年代前半に2年間ほどアメリカの大学に客員教授として滞在しましたが、その時には私の手書きの論文原稿をタイピストがきれいにタイプしてくれました。日本では、自分でたどたどしくタイプしていたので感激しましたが、やがてワード・プロセッサーの出現により状況は一変しました。しかし、今でも原稿用紙に万年筆で書く人も希にはいるようですが、・・・。
 インターネットの普及によって、居ながらにして世界中にある情報を検索し、必要なものを簡単に入手することが出来る様になりました。学生達は、インターネットで入手した情報を自由自在にコピー&ペーストすることにより、簡単に「立派な」レポートや論文を作成することが出来る様になりました。昔は、図書館などに足を運ばなければ得られなかった情報が、現在はパソコンの前に座っていて簡単に入手出来ます。図書館などで得られる情報が全てインターネットで手に入るとはいえないかも知れませんが、インターネット経由で得られる情報の量は膨大です。しかも、インターネット経由で得られる情報をコピー&ペーストして活用する方が、図書館に足を運んで書物等から情報を引用するより遥かに簡単です。しかし、コピー&ペーストが簡単にできることの副作用は、「思考」の大半が省略されてしまうことではないでしょうか。
 人間が知的活動をする際には、幾つかの基本的な能力が必要です。何処にどの様な情報があるかを「検索」し、取捨選択して必要なものを収集し活用する能力、情報を「記憶」(または記録)しておき必要な時に必要なものを取り出して活用する能力、必要な情報を駆使して「思考」を重ねることにより新たな知見を創出する能力などです。昔は、「検索」は目、耳及び手と足で行い、「記憶」(または記録)は脳細胞または紙が担当したものです。コンピューターが登場してからは、「検索」と「記憶」はコンピューターが得意とする能力となりましたが、「思考」は依然として人間固有の能力です。と思っていたら、必ずしもそうではなく、人工知能の研究が進み、やがて「思考」が人間固有の能力ではなくなる可能性が出てきた様です。これは「天下の一大事」です。高度に発達した人工知能は、人間を滅ぼすようなことを考えないとは限りません。
 様々な場面でコミュニケーションの重要性が語られています。50年前には、直接対話、電話、手紙が主要なコミュニケーションの手段でしたが、現在はインターネット(電子メールやSNSなど)と電話が主役になっている様です。E-learningによる学修だけで卒業できる大学は50年前には想像も出来ませんでした。
 50年前と比べれば、科学技術、特に情報科学と生命科学が劇的に進展し、結果として文明が日進月歩どころではなく分進日歩の変化が続いています。このままの勢いで変化が続けば、50年後はどうなっているのでしょうか。原則として、理学は「発見」し、工学は「発明」します。つまり、「工学」は自然界に存在しないものをつくり出します。必ずしも「有用な」ものばかりとは限りません。百歩譲って原子力発電は有用(だった)かも知れませんが、原子爆弾は全く「無用」です。「遺伝子工学」も然りです。遺伝子治療は「有用」ですが、変造人間がつくり出されたら人類の破滅に繋がりかねません。50年後に、変造人間とロボットが跋扈することにならなければ良いのですが。
 医学もこの50年間に劇的な進歩を遂げました。50年後になると「昔は手術という野蛮な方法でガンを治療していた」といわれるようになるかも知れません。

 移動手段についてみれば、1964年に新幹線が開業したことにより、人間の移動が劇的に増えました。新幹線の開業以前は、特急券や寝台券を手に入れるのが大変でした。現在は、どこの「みどりの窓口」でも同じように指定券が購入できますが、昔は「さくら」や「あさかぜ」などの特急券を手に入れるために、朝早く東京駅の窓口に並んだものでした。東京駅の特急券売場の職員が、回転台に乗せられた台帳を目にも留まらぬ早さで捌きながら、次々と手際よく発券していく「特技」は見事なものでした。特急券や航空券を居ながらにしてインターネットで予約できることなど、50年前には想像も出来ませんでした。
 私は長年自動車を運転しています。50年前の自動車は「ほぼ人間が制御する機械」でしたが、現在の自動車は「かなりコンピュータが制御する機械」になりました。やがて文字通り「自動」車になるのかも知れません。現在では自動車のナビゲーターはほぼ標準装備になっていますが、50年前には「人間ナビゲーター」でした。1970年代前半にアメリカに滞在した時には、住んでいたミシガン州を起点にあちこちを走り回りました。遠くは、西海岸や東海岸まで行きました。地図と「人間ナビゲーター」だけを頼りに走りましたが、困ったことはありませんでした。最近も毎年何回かアメリカを走り回りますが、ナビゲーターが必需品です。私の自慢は、アメリカ合衆国西半分の全ての国立公園と殆ど全ての国定公園を「踏破」したことです。同じ所に何回も行きましたが、特に、Grand Canyonには13回行きました。これからも行くつもりです。

 現在我が国では当たり前になっている温水洗浄便座も、50年前には存在しませんでした。あんな素晴らしいものが欧米で普及しないのは何故でしょうか。海外に行って一番困るのは温水洗浄便座がないことです。

 私は、余程のことがない限りコーヒーや紅茶は飲みません。「緑茶人間」です。40年近く前のことですが、学会で金沢に行った時に、お茶が飲めなくて辛かったことを覚えています。高級料亭にでも行けば美味しいお茶が飲めたことでしょうが、その当時金沢の普通の食堂では、ほうじ茶しか出てきませんでした。その頃はまだ自動販売機でペットボトル入りのお茶は売られていませんでした。帰りに、開通したばかりの北陸自動車道のサービスエリアで何日ぶりかに飲んだお茶がなんと美味しかったことか! 「お茶大学」校長から見れば、ペットボトル入りのお茶など「お茶」とはいえないのかも知れませんが、インスタントラーメンやペットボトル入りのお茶の普及もこの50年間の大きな変化の一つといえるでしょう。

 身近な例をいくつか挙げてみましたが、この50年間の変化の大きさは驚くばかりです。

 


[『食行動 くらしと科学』38号所載]