ふりさけ見れば遙かなる

 イチローや佐々木が大リーグで活躍している。日本人として嬉しく思うが、野球に限らず他の分野でも先進国に渡って優秀な成績をあげ、現地人を凌ぐ活躍をする人々は昔からいた。例えば明治時代、菊池大麓はケンブリッジ大学に留学して数学を学び、遺憾なく秀才ぶりを発揮した。その優秀さは現地の新聞で報道される程だったという。帰国後東大に数学科を創設、後に東大総長、文部大臣などを務め我が国の学術の発展に多大な貢献をした。歴史をもっと遡れば、奈良時代には阿倍仲麻呂がいる。仲麻呂は遣唐留学生として唐に渡り、科挙試験に合格して玄宗皇帝から重用された。帰国を希望しつつも果たせず、図らずも我が国の「頭脳流出」第一号となったが、その望郷の思いを詠った
   天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
はよく知られている。今、日本に来ている留学生達が現代の菊池大麓や阿倍仲麻呂になってくれることを期待する。
 隣国である中国からの帰国もままならなかった古の留学生とは異なり、現代は気軽に海外に出かけ、学ぶことが出来るようになった。数週間あるいは数ヶ月単位の短期留学や語学留学も隆盛を極めている。しかしそれはつい最近のことであり、ほんの30年前のことを思い出すと隔世の感がある。私が1972年にミシガン州立大学の客員助教授として渡米したときには、羽田空港で大勢の同僚や友人達に見送られ、大きな胸部レントゲン写真を抱えて飛行機に乗り込んだ。非衛生的な後進国(と見做されていた)日本からの訪問者が米国に結核菌を持ち込まないよう、レントゲン写真を持参して潔白を証明しなければならなかったのである。飛行機がサンフランシスコ空港の滑走路に着陸したときには、乗客一同拍手をして無事を喜んだ。あれから30年、多くの人々が気軽に海外に行く時代となり、「洋行」ほど大時代的ではないけれど「留学」という言葉もまた古めかしい響きを帯びたものになってきたように思う。
 私自身は留学生としての経験はないが、客員教授として外国の大学に滞在したことが何度かあり、その最初が上述した米国滞在だった。滞在中にフォード大統領の「I am Ford, not Lincoln」と言う就任演説をテレビで見た記憶があるから、時代はまさに米国が超大国として隆盛を極めていた時期だった。夏目漱石はロンドンで「御殿場の兎が急に日本橋の真ん中に放り出された様な心持ちになった」そうだが、私も右も左も分からない異国の街で路頭に迷うのではないかと不安だった。しかし着いてみると大学のスタッフ、教室の同僚、ボランテイア達の心温まるサービスが待っていた。大勢のスタッフを擁する国際交流センターは、留学生や研究交流者のために実に痒いところに手が届くサービスを提供していた。広大なキャンパスには学生寮の他にアパート群が建ち並び、世界各地から集まってきた留学生や研究者達が生活しているというまことに恵まれた環境の中で快適に過ごすことができた。アメリカ滞在中は、日本にいるときと違って教育・研究以外の所謂雑用に煩わされることがなかったので、午前中は講義をし、昼食後は夕方まで同僚と共同研究をするというのが日課だった。実に快適で、いっそこのまま住み着いてしまおうかと思った位だった。
 一般に東洋人は年齢より若く見られることが多く、私も例外ではなかった。大学のスタッフや学生達から「Ph.D.を取りに来たのか?」と聞かれるので「No」と答えると「Freshmanか?」と言われ、「ResearchとTeachingのために来た」と言ってもなかなか信用してもらえなかった。その時一緒に研究した仲間達がこの年末に来日して研究会を開催することになっている。「有朋自遠方来、不亦楽乎!」 あれから30年、皆既に頭髪は白く顔には皺が目立つようになったが、今でも国境を越えて親しくつき合っている数多くの友人達は、遙かに振り返る当時の思い出とともに私の一生の宝となっている。
 それにしても数年間の滞在期間中、健康で過ごせたことが第一の幸だった。前述した菊池大麓は留学生活の様子を尋ねる父の手紙に、「豚児健康ニシテ勉学セリ」と返書したという。漱石がロンドン留学中にノイローゼになったことは有名であるが、日本で生活している留学生の諸君も心身共に健康でなければ力一杯勉学することはできないだろう。生活習慣も違い、ストレスの多い日本での生活を、私がアメリカで受けたような温かいhospitalityで支えてあげたいと思う。
 先日留学生受入制度100周年を記念して留学生交流功労者表彰が行われ、本学でも留学生問題に献身的に取り組んできた西郡助教授が選ばれた。日本の留学生受け入れ態勢は、国際研究交流村の開設などにより、このところかなりの改善が見られてはいるものの、個々の大学の実情はアメリカの大学と比べると未だに格段の開きがあると言わざるを得ない。現在、我が国は約8万人の留学生を受け入れているが、アジア諸国の若者にとって「留学したい国」「留学し易い国」の第一に挙げられるようになりたいものである。
[『留学交流』2001年12月号所載]