これ程壮大な校歌が他にあるだろうか。素直に読めば日本と日本男児を称える詩である。古事記に登場する「秋津(蜻蛉)洲」が「日本国」を意味するかどうかについては古代史学者の間では諸説があるようだが、この際学術的考察はさておき「深志=蜻蛉=日本」ということにしておこう。実に気宇壮大であり格調も高いので、機会あるごとに自慢している。懐かしい深志の学舎を巣立って40年、年齢を重ねるごとに信州への思いが深まっていくような気がする。思えばこの40年、私の頭のどこかで常に深志の校歌が歌われていて、この歌に励まされてここまでやってこられたように思う。これからは「自治を生命」とする大学で「強き力」に生きなければならない。松本深志高等学校校歌
1 蒼溟遠き波の涯 黒潮たぎる絶東に たてり大和の秋津洲 光栄の歴史は三千年 その麗しき名を負へる 蜻蛉男児に栄あれ 2 時の流れは強うして この世の旅は長けれど 自治を生命の若人は 強き力に生きる哉 山河秀でしこの郷に 礎固し我が母校 3 暁こめて鳴り出でし 時代の鐘を身にしめて 世の先駆者の名に恥ぢず 心を磨き身を鍛へ 移らふ星をかがなべて 守るも久し深志城 4 朝に仰ぐ槍嶽に 深き真理を探りつつ 夕筑摩の野を行けば 胸に充ちくる想華あり 嗚呼学術の香に集ふ 契りも深き友九百 5 古城空しく苔古りて 濁世の波は高けれど 清き心の一筋に 志あるますらをは 自治の大旗翻し 前途遙かに望む哉
一方、長野県には県歌「信濃の国」がある。昨今は「国歌」について喧しい。「君が代」が国歌であるか否かについては賛否両論があるが、「信濃の国」が長野県の「県歌」であることに異議を唱える人は皆無ではないだろうか。
「信濃の国」は信州の地理・歴史・文化を実に見事に詠み込んでいる。然し、歌われている名所・旧跡の中には知らない所もあり、「四つの平」も松本平以外は殆ど知らなかったので長野県人として「これではいけない」と思い、遅蒔きながら機会をとらえてはあちこち訪れてみた。行くたびに信州の良さを再認識するのであるが、これまでに行った所で出色だったのは園原である。信濃の国
1 信濃の国は十州に 境連ぬる国にして 聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し 松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地 海こそなけれ物さわに よろづ足らわぬ事ぞなき 2 四方に聳ゆる山々は 御岳乗鞍駒ヶ岳 浅間は殊に活火山 いづれも国の鎮めなり 流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川 南に木曽川天竜川 これまた国の固めなり 3 木曽の谷には真木茂り 諏訪の湖には魚多し 民の稼ぎも豊にて 五穀の実らぬ里やある しかのみならず桑とりて 蚕飼ひの業の打ちひらけ 細きよすがも軽からぬ 国の命を繋ぐなり 4 尋ねまほしき園原や 旅の宿りの寝覚の床 木曽の桟かけし世も 心してゆけ久米路橋 来る人多き筑摩の湯 月の名に立つ姨捨山 著き名所と風雅士が 詩歌に詠みてぞ伝へたる 5 旭将軍義仲も 仁科五郎信盛も 春台太宰先生も 象山佐久間先生も 皆此国の人にして 文武の誉類なく 山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず 6 吾妻はやとし日本武 嘆き給ひし碓氷山 穿つトンネル二十六 夢にも越ゆる汽車の道 道一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき 古来山河の秀でたる 国は偉人のある習ひ