若き都立大生の悩み

 青春は悩み多き時期である。「若きウェルテルの悩み」は恋の悩みであった。最後は自らの命を絶つことによって終結するこの物語は18世紀末のドイツ青年の話であるが、現代の日本でも若者の死因の上位は事故と自殺である。人生で最も生命力が旺盛な青春時代には、体とともに心も激しく活動し変化しつつ、成長の過程を辿ることは私達が身をもって経験することである。
 日本の若者達は近年目に見えて変化した。それは何よりもその体つきの変化に著しい。信じ難いほど長く伸びた脚は、彼/彼女等の生育環境が親達の世代とはまるで違ったものであることを物語っている。とすれば、器たる身体だけではなく、中身である精神も親達の時代とは大きく違っているであろうことは容易に察しがつく。
 青少年は家庭や社会という所与の環境の中で、それらが与える人間関係や様々なメッセージを日々摂取しつつ成長する。我々の子供の頃と比べると、最近は、親は子供を叱らないし、先生は生徒を叱らない。過保護に育てられ、社会生活の訓練を受けないまま成長した子供達は逞しさに欠け、画一化された社会で自分をコントロールできなくなることは想像に難くない。戦後、我が国では「一億総・・」という言葉で代表される「画一化」が横行した結果、様々な矛盾が顕在化してきた。このことを反省して昨今「多様化」が叫ばれているが、自然界にしろ人間社会にしろ本来「多様」であって人為的に「多様化」すべきものではない。「多様化」という「画一化」が行われるのではないかと危惧する。「画一化」にしろ「多様化」にしろ不自然なことをすれば歪みが生じる。人間は環境の変化に対して相当に柔軟な適応性を持っているけれども、歪みの限界を超えることもあり得る。最近はこのようなときに「キレル」というらしい。「キレル」という言葉にはいろいろな意味があるが、ここでは「我慢が限界に達し、理性的な対応ができなくなる」(『広辞苑』第5版)という意味に使われている。この用法は新しく、『広辞苑』では第5版には載っているが第4版には載っていない。キレそうなときに、信頼できる人がいて助け船を出してもらえれば難破せずに済むが、一人で悩んでいても解決の糸口を見いだすことは難しい。大学生の場合は、受験に照準を合わせてまっしぐらに走って(走らされて)来て、合格した途端に歪みの限界を超え、次なる目標が見つけられず、自力ではどうにもならない深刻な悩みを抱えて様々な不適応を起こすことが珍しくない。
 昨今世間を震撼させている「17歳」による事件はその背後に現代の病理が見え隠れしている。このような状況を受けて、文部省は「親のためのマニュアル」を発行する、「子供悩み110番」を全国に設置する、スクールカウンセラーを増員する等の対応策を検討しているが、青少年の「悩み」は全ての教育現場において深刻な問題である。教育は単に知識を伝達するだけの活動ではなく、人間形成が重要な目標であるから、大学における学生相談が教育活動の大切な一環であることはいうまでもない。
 大学生は勉強、友人関係、将来の目標、健康等々に関して様々な悩みを持っているが、ゼミや卒業研究以外では学生と教員とが親しく接する機会が余り多くないので、教員は学生の悩みを把握しにくいのが現状である。又、悩みの原因がはっきりしている場合もあるが、そうでない場合も多いと思う。何れにしても、一人で悩んでいても事態は改善されない。誰かに悩みを聞いてもらうだけでも随分違うし、適切なアドバイスが得られれば悩みが氷解するかも知れない。しかし、悩みを他人に打ち明けるのは勇気のいることであるし、更には、悩みを相談できる親しい友人がいない孤独な若者が多いという点が重大な問題である。
 本学の学生相談室では臨床心理学を専門とする2名の教員と2名の非常勤相談員が、悩みを持つ学生達の相談に応じている。相談内容は「学業・履修」「所属変更」等の修学問題もあるが、圧倒的に多いのが「心理障害」をはじめ「性格の問題」「対人関係」等心理不適応の問題である。最近では年間延べ1500人程の来談者があり手一杯の状態であるが、実際には悩みを抱えている学生はもっと大勢いる筈である。悩みを抱えたままでは勉強に集中できる筈もないし、課外活動等に参加する気にもなれないだろう。若者の精神は身体と同じく、いやそれ以上に傷つきやすいものである。「こわれもの」としての「心」を扱う場として、学生相談室の重要性は益々増大するものと思われる。
 本学は、教育・研究体制の再構築と「開かれた大学」の実現をめざす大胆な改革によって、21世紀の幕開けとともに活力と魅力に満ちた個性ある大学に生まれ変わろうとしている。活力と魅力に満ちた大学の学生は、心身共に健康で活気に溢れ、知性と情緒豊かな若者達であって欲しい。悩みを抱えた学生をそのままにしていては理想の大学を作ることはできない。学生の悩みはそのまま大学の悩みである。新たな時代に相応しい学生相談システムを構築していくことを視野に入れて、大学改革を推進していきたいと考えている。
[『学生相談室レポート』27号巻頭言]