忍びざるの心
─大学改革と人間教育─

 グローバル化により世界的な競争が進行する中にあって、大学の研究と教育に対する社会の期待が従来になく高まっている。「知の拠点」である大学の基本的な機能は「知の創造」「知の継承」「知の活用」の3つであり、そのために学術の研究と教育を実践している。教育は、長い歴史を通じて先人達が獲得してきた知的財産とその活用法を、次代を担う若者達に伝達することであるが、単に知識を教えるだけでは「教育」にならない。言うまでもなく教育の目的は「人間を育てる」ことである。
 現代の若者達の多くは、長年に亘る受験勉強を経て多くの「知識」を身につけているとしても、「豊かな人間性を涵養する」機会に恵まれないまま大学に入学して来る。「教養教育」や「人間教育」は大学においてのみ行うべきものではないけれども、高等教育機関としての大学が、幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を涵養することなく卒業生を社会に送り出しているとすれば、その使命を果たしていることにはならない。
 グローバル化時代において、地球社会の一員として活躍する人材には、「自らの文化と世界の多様な文化に対する理解」などの豊かな教養を身につけ、「高い倫理性と責任感を持って判断し行動できる能力」を持つことが期待される。そのためには高度な「人間教育」が必要不可欠である。
 本学では現在推進中の改革の最大の柱として「教養教育の再構築」を掲げている。将来どのような分野を専攻しどのような職業に就くにしても「人間」としての基礎を確立することが大前提であると考えるからである。しかし、改革にはとかく「総論賛成、各論反対」がつきもので具体案の策定自体がなかなか難しい上に、それを実行するには容易ならざる決意と尋常ならざる力量が必要である。
 しかし日本の歴史を振り返ってみると、実に見事に「改革」を成功させた例がある。それは江戸時代の米沢藩主上杉鷹山である。アメリカ合衆国の第35代大統領J. F. ケネディは、日本人記者からの「日本で最も尊敬する人は誰か」との質問に「上杉鷹山」と答えている。鷹山は、10歳で上杉家の養子に入り17才で米沢藩主となってから、財政改革・殖産興業・新田開発・倹約奨励など藩政全般にわたる改革を断行し、貧窮のどん底にあった米沢藩を立て直した。江戸時代屈指の名君といわれている。その人物像を描いたものとして「小説 上杉鷹山」が著名であるが、著者の童門冬二こと太田久行氏は、かつて本学理学部で事務長を務めていたことがあり、本学に縁の深い作家である。鷹山の改革が成功した鍵は人間教育にあり、その神髄は「忍びざるの心」であった。「忍びざるの心」とは他者の気持ちを思いやる「人間愛」である。彼は「学問は国を治めるための根元」であると考え、藩校「興譲館」を創設して、「忍びざるの心」を育てる教育を行う場とした。「人間教育」の実践である。
  なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり
は鷹山の作といわれ、米沢市の上杉神社には歌碑もある。この有名な歌が鷹山の作であるか否かはともかくとして、鷹山はこの歌を座右の銘として「藩政改革」を断行した。この他に、鷹山の作としては
  してみせて 言って聞かせて させてみる
が伝わっている。これは後年、
  やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
という山本五十六の言葉として人口に膾炙することとなったが、鷹山の「人間の心」に対する深い洞察が窺われる言葉である。鷹山は自ら範を示し「忍びざるの心」をもって米沢藩の人々を信頼し、「心の壁」に挑戦して改革を成し遂げたのである。
 今、初等教育から中等教育・高等教育まで含めて、教育体制が見直されている。21世紀という新しい時代に適合した教育が求められているが、その根底にはいつの世も変わらぬ人間の本質に基づいた教育がしっかりと根付いていなければならない。さもなければ、最先端の科学技術に追いかけられ、グローバル化しつつある社会や経済のシステムに振り回されてしまうだろう。
 大学は「知の拠点」として「忍びざるの心」を持って「忍びざるの心」を育む教育をしなければならない。学ぶ者の一人一人が安心して持てる力を存分に発揮できるような信頼感あふれる環境を作っていきたいと思う。
「忍びざるの心」を持つ教育が求められる大学にあって、学生相談室は最も良くそれを実践している部署である。相談室を訪れる若者達は心の悩みを抱えて孤独に彷徨っている。そのようなとき、遠くに明かりが見つかったときほど心強いことはない。今後も相談室が「忍びざるの心」をもって暖かい光を投げかける灯台のような役割を果たしてくれることを期待する。
[『学生相談室レポート』29号巻頭言]