東西の固い絆をいつまでも
東京と大阪はいうまでもなく日本の2大都市ですが、両者の関係の歴史をひもとくと真に因縁浅からぬものがあります。古くから商都として栄えていた大阪と人家も稀だった武蔵野の寒村。両者の縁の始まりは豊臣秀吉と徳川家康の所謂「関東の連れション」の逸話として残っています。即ち、小田原城落城寸前に、大阪に本拠を置く秀吉が家康に対して「小田原が落城したら関八州を任せるから、江戸に居城を構えるがよかろう」と言ったことにより、江戸の繁栄が約束されました。更に、明治維新の折、「新しい首都は大阪に」と決めていた大久保利通に対して前島密が密かに「大阪は日本一の立地条件を持つ大都会であるが、江戸は幕府が無くなれば寂れてしまう。江戸を新しい首都にすべきである」と進言して受け入れられ、今日の東京が実現しました。
このように、東京と大阪という我が国の2大都市の浅からぬ縁は長い歴史を持っています。その2大都市に設置された両大学が、開学当初から「府大戦」=「都立戦」を始めとする交流を続けてきたことは、歴史的に意義深いことであり真に喜ばしい限りです。500km以上離れた場所に位置する2つの大学がこのような交流を続けてきたことは、他に例を見ません。両校はこの交流を原点として、50年間様々な面で切磋琢磨し合ってきました。2年後には両大学とも統合・再編、法人化などにより新しい大学に生まれ変わることになっていますが、この素晴らしい交流の伝統を新しい大学に引き継ぎ、更に発展させて欲しいと願っています。
私が大阪府大東京同窓会の皆様方と親しくお付き合いする機会を得てから4年間が過ぎようとしています。この間は、両大学にとって激動の時でした。私は今年度一杯で任期満了となります。普通ならば「お陰様で大過なく・・・」などと言うところですが、「大過だらけで申し訳ありません」と言わなければなりません。悪いときには悪いことが重なるもので、昨年は府大戦に「まさか」の敗北を喫してしまいました。泣き面に蜂とはこのことです。「大阪夏の陣は関東方の勝利」という史実を覆してしまったことは大いに悔やまれますが、その直後に愛知県立大学において開催された東西テニス「長久手の合戦」では、南学長率いる大阪方の軍勢に圧勝して些か溜飲を下げることが出来ました。
4年間の御厚誼に深く感謝申し上げるとともに、大阪府大東京同窓会の益々の御発展を祈念致します。
[大阪府立大学東京同窓会々報第11号所載]