熱気熱闘三連勝!

 今年の東京は6月末から30度を超す日が続いていた。7月4日の結団式で阿知波学生部長は「必ず勝て!これは命令である!」と通告し、「私は科学者である。しかし今はデータや理論ではない。気合いだ!精神力で勝つのだ!」と選手たちに檄をとばした。
 7月12日の都庁都民広場で行なわれたエール交換で第49回大会が開幕した。摩天楼の谷間に応援団の蛮声と太鼓の音が響き渡った。府大は「府大圧勝」と書いた白鉢巻、我が方は伝統の江戸紫の鉢巻で対峙した。府大の南新学長は年来のテニス敵であり、今回も対決を楽しみにしていたが、急な公務のために開会式だけしか参加できないという。内心密かに「この分では我が方の圧勝か」と思ったが、エール交換における「コバヤシマサオ」と「コバヤシマサコ」の対決は敵方が優勢という声が多かった。
 翌日から熱戦が始まった。炎天下の陸上競技場で行われた開会式の最後に各部参加の対抗リレーという新企画が盛り込まれた。事前に松岡実行委員長に「最終ランナーを学長にする」ことを提案したが、慎重審議の結果不採択になり、「総長はスターターをお願いします」といわれていた。渡されたピストルを見ると、日の丸が付いていて日露戦争の時に乃木大将が使った代物ではないかと思われるほど古めかしい。無事にスターターの役目を果たして、南学長に「最終ランナー」のことを話したら、「是非走りたい」といって実行委員長に直訴し、有無を言わさず実現することになった。取り敢えずネクタイ姿のまま背広の上着を脱ぎ、鈴木浩平先生から運動靴を借りて履き替え、スタートラインに立った。このリレーはポイント戦であるから、最後に僅差でバトンを受け取った私が南学長を抜いてゴールすることになっては申し訳ないと思い「勝敗は学生の最終ランナーで決める」ことにした。実際は、南学長がバトンを受け取ったときには私はゴール寸前だった。南学長は「走ることには自信がある」と豪語するだけあって、陸上競技部長の中島教養部長から「走り方は断然南学長の方が良かった」と判定されたが、「勝てば官軍」である。
 開会式終了後直ぐに大阪へお帰りになるといっていた南学長は、学生諸君の元気溌剌としたプレー振りを見て血湧き肉踊るところとなり、公務は電話で済ませて最後まで参加して下さることになった。
 もの凄い炎天下で熱戦が繰り広げられた。15対4と我が方が大量リードしていることを確認して初日の最終種目であるアイスホッケーの会場に向かった。アイスホッケーは敵方の最も得意とする種目であり、我が方に倍する厚い選手層を誇るだけあって歯が立たなかったが、我がチームの善戦は激賞に値する。試合後のベンチで肩を震わせて泣いていた西田選手の涙が忘れられない。アイスアリーナから大学に戻るバスの中で、「これで今夜はゆっくり眠れます」という南学長にすかさず「そのまま永眠しないで下さいよ」と切畑学生部長がつっこみをいれるところは流石大阪である。
 2日目の午前中に、南学長とテニスの親善試合を行なった。今回は直ぐにお帰りになる予定だったので“丸腰”で来られた。「武士の情け」で七つ道具をお貸ししたが、「弘法は筆を選びません」と言って絶(舌)好調だった。数年前の府大戦の折に私に敗北を喫して以来臥薪嘗胆幾星霜、特訓を重ねて格段に腕を上げられ、今や完全に脱帽である。
 早々と我が方の勝利が決まり、最終成績は21勝10敗の圧勝だった。「学生部長命令」を忠実に実行し、しかも親睦も忘れなかった選手諸君に賞賛の言葉を惜しまない。全体としては圧勝だったが、陸上競技や柔道のように最後の瞬間まで勝敗が分からず手に汗を握るような種目もあって、大変に感動的だった。
 八王子の最高気温が39.1度という猛暑で、文字通り「熱烈歓迎」となった。屋外は勿論であるが、体育館の熱気はもの凄かった。熱中症が何人か出たが、事故もなく熱戦を展開し、21世紀最初の大会は大成功の内に幕を閉じた。
 全力を尽して戦い見事に大差で優勝を飾った選手諸君、本当におめでとう。声を限りに応援してくれた応援団・チアリーダーの諸君並びに運営に尽力した体育会本部の諸君、本当に御苦労様でした。21世紀の幕開けに相応しい府大戦でした。そして来年は記念すべき50回大会、また諸君の精進と奮闘に期待しています。