古代史学の方法論を確立した古田先生の急逝を悼む

 十月十五日の朝古田光河さんからお電話があり、「昨日父が亡くなりました」といわれ、耳を疑いました。最近、体力の衰えは見られたものの、研究に没頭され、原稿の執筆も精力的に続けていらっしゃいましたので、突然の訃報に驚き、未だに信じられません。
 昨年まで十一年間に亘って十一月第二週の土日に、八王子の大学セミナーハウスにおいて開催した古代史セミナーの様子が走馬燈のように蘇ります。このセミナーは、一泊二日で行いましたが、段々参加者が増えて、百名を超える規模になりました。参加者の年齢が高いことが気になっていましたが、十回目辺りから若い参加者が増えたことは誠に喜ばしい限りでした。先生は毎回周到に膨大な資料を用意されるのですが、講演の冒頭に「今朝新発見がありました」といって、配付資料にはない最新の研究成果を披露して下さいました。「昨夜新発見がありました」といって、見るからに寝不足のことも珍しくありませんでした。先生の頭脳は三百六十五日二十四時間研究活動を続けていたのだと思います。「日本古代史新考 自由自在」と題するこのセミナーは、文字通り自由自在に展開しましたが、質疑応答の時間を出来るだけ多くとるように心がけました。先生は「何を質問されても困りません。分からないことは「分からない」と答えます」と言われました。参加者からは実に様々な質問が出されましたが、先生が「分からない」と言われたことはほとんどなく、何を質問されても即座に明快に応答されました。先生の記憶力と処理速度にはどんな高性能コンピューターも勝てないと敬嘆しました。このセミナーの記録は、平松健氏によって見事に編集され、『古田武彦が語る多元史観』としてミネルヴァ書房から刊行されています。研究成果が先生御自身の熱弁によって語られたセミナーの様子が鮮烈に蘇ります。
 私は、古田先生が東北大学卒業後直ぐに勤務された長野県松本深志高等学校の出身ですが、私が入学したのは先生が他校に転出された後でしたので、先生から直接に教えを受けることは出来ませんでした。しかし、古田先生が尊敬される岡田甫先生が校長として在職され、入学式・卒業式のみならず毎学期の始業式における訓示は三十分を超えましたが、その中で「論理の導く処へ行こうではないか、たとえそれが何処に到ろうとも」が強調されていました。古田先生と同じく岡田甫先生の教えを受けることが出来たことは、私にとって生涯の宝です。また、古代史学の「夜明け前」のことですが、大学生の時に受講した井上光貞先生の「日本史」において、倭の五王の比定に強い疑問を抱きました。しかし、深く追求することもないまま馬齢を重ねるうちに、『「邪馬台国」はなかった』に出会って目から鱗が落ち、爾来古田先生の著作で古代史を学び、勝手に「弟子」であると自認しています。
 古田先生の偉大な業績は、一言で言えば、古代史学の方法論を確立したことです。どの分野でも同じことがいえますが、学問において最も重要なことは方法論を確立することです。言い換えれば、方法論が確立されるまでは「学問」とはいえません。歴史学は、先ず史実を科学的に究明した上で、それに対する解釈や評価が論理的に議論されなければなりません。古田先生は、如何なる妥協をも許すことなく科学的、論理的な古代史学の方法論を確立されました。それまで、我が国には古代史学は「なかった」といわざるを得ません。その意味で、古代史学は「若い」学問です。先生が確立された古代史学の方法論に基づいて、先生御自身並びに古代に真実を求める多くの方々により、次々と我が国の古代の真実の姿が解明され続けていることは、誠に喜ばしい限りです。さらに、古代史学の「夜明け」が、文学の世界における『万葉集』の研究を根底から覆す結果をもたらしたことも、先生の偉大な業績です。先生の御存命中に、我が国の歴史の教科書や国語の教科書が書き換えられなかったことは誠に残念ですが、先生が確立した古代史学の方法論に基づいて、これからも我が国の古代の真実の姿を一歩一歩解明し、古代史学を継承発展させていくことが、残された我々がなすべき先生への恩返しであることを肝に銘じたいと思います。古代史学の「夜明け」に巡り会わせたことに感謝し、差し始めた日の光が一日も早く遍く行き渡ることを願って已みません。
 古代に真実を求める皆様と共に古田先生の御冥福をお祈り申し上げます。先生、安らかにお休み下さい。合掌。
 
[2016年1月24日 古田武彦先生お別れ会]