古田死すとも史学は死せず

 古田武彦先生がお亡くなりになって一年が過ぎました。
 古田先生の偉大な業績は、一言で言えば、それまで我が国にはなかった科学的、論理的な古代史学の方法論を確立したことです。さらに、先生は、御自身が膨大な研究成果を積み上げられたのみならず、日本史学科のどんな大教授よりも大勢の優秀な後継者を育てられました。後継者が育たなければ、学問は滅んでしまいます。
 古田先生の確立した科学的、論理的な古代史学の方法論が大勢の人々に理解され、数多くの後継者が育ち、着実に研究成果が積み重ねられていることは悦ばしい限りです。研究成果は機関誌『多元』、『古田史学会報』、『東京古田会ニュース』等に掲載されるとともに、各種の研究集会において活発に議論され、それぞれの会のホーム頁を通じてインターネット上にも公表されています。量的に膨大であるのみならず、極めて質の高いものが多いと思います。
 研究について見れば、我が国の古代史学界は、「古田学派」と「非古田学派(所謂通説派)」に二分された状態が長く続いています。この際、話を複雑にしないために、その他の「学派」には言及しないことにしますが、古代史学が「科学」である限り、学界が二分され没交渉に近い状態が長く続いていることは、極めて「不幸」なことであるといわざるを得ません。しかしながら、「古田学派」の研究者による研究成果が、質は言うに及ばず、量においても「非古田学派」を凌駕していることに対して心より敬意を表したいと思います。
 我が国の歴史教育について見れば、白鳥庫吉、内藤湖南、津田左右吉、坂本太郎、井上光貞をはじめとする数多くの著名な大学教授達が大勢の弟子達を育て、その弟子達が全国各地の大学等に職を得て育てた弟子達が、小・中・高等学校における歴史教育を担ってきました。
 古田先生は、前記のどの大教授と比べても遥かに大勢の優秀な弟子を育てています。しかし、その方々の多くは、優秀な研究者ではあるけれど、教育機関に職を得ているわけではありません。日本の子供達は、主として小・中・高等学校における教育を通して日本の歴史を学びます。その意味で、残念ながら古田先生とその教えを受けた研究者達の研究成果に基づく歴史教育が、広く国民に享受されていません。科学的、論理的な古代史学を、小・中・高等学校における歴史教育を担う人々に理解してもらうことが不可欠であると思います。
 私は筑紫地方に行くたびに地元の人達に「筑紫は京都や奈良などより前に我が国の中心として栄え、国際化されていました」「筑紫では随分あちこちで遺跡の発掘が行われていますが、そろそろ卑弥呼の墓が見つかるかも知れません」「皆さんは卑弥呼の末裔かも知れません」などと話しますが、多くの人が怪訝な顔をします。筑紫の人達ですら漠然と「我が国の中心は近畿地方だった」と思い込んでいるようです。明治以来の「教育の成果」に「感服」せざるを得ません。
 「古田学派」の研究者の皆さんが、強力に研究を推進しその成果を積極的に発信するとともに、新たに研究を志す人々のために、これまでの膨大な研究成果を分かり易く整理した、平松健氏の編集による『鏡が映す真実の古代』のような、教科書・解説書の刊行が望まれます。さらに、啓蒙活動にも力を入れて頂きたいと思います。一般の人々向けの入門書・概説書の刊行や講演会・シンポジウムの開催など、一人でも多くの次世代を担う若者達に真実の古代に目を向けてもらうための地道な努力を積み重ねることにより、我が国の歴史認識が正されていくと確信します。
 科学的、論理的な古代史学の継承・発展を担う皆さんの益々の御活躍を期待して已みません。
 
[『多元』137号(2017年1月)所載]