「古代史セミナー」十周年を迎えて

 八王子の大学セミナーハウスにおいて、古田武彦先生を囲んで一泊二日で行う「古代史セミナー」が今年で十周年を迎える。このセミナーは、二〇〇四年に、大学セミナーハウスの理事長であった中嶋嶺雄氏の発案で始められた。「真実の古代史学」が「なかった」我が国において、古代に真実を求めようとする人々が古田先生を囲んで自由自在に議論を展開するセミナーが十回を数えることは誠に感慨深い。「真実の古代史学」を求めて已まない人々の情熱の賜であり、参加者が年々増加していることは誠に喜ばしい。毎年非常に中身の濃いセミナーが展開されたことについては、古田先生、先生の助手を務めて下さった弟子の松本(大下)郁子博士、参加者の皆さんに、幾ら感謝してもし尽くせない。
 古田武彦先生は、東北大学を卒業されると直ぐに長野県松本深志高等学校の教員に就任され、国語を担当された。中嶋嶺雄氏はその時の教え子であるが、今年の二月に七十六才の若さで鬼籍に入られた。私も、長野県松本深志高等学校の出身であるが、私が入学したのは古田先生が退職された後であったので、教室で直接に教えを受けることは出来なかった。私は、大学生の時に受講した井上光貞先生の「日本史」において、倭の五王の比定に強い疑問を抱いたものの、深く追求することもないまま馬齢を重ねていたが、『「邪馬台国」はなかった』に出会って目から鱗が落ち、爾来古田先生の著作の愛読者であり続け、勝手に「弟子」であると自認している。
  セミナーは、毎年十一月初旬の土、日に開催された。最初の二回は、一日目の午後に先生に講義をして頂き、質疑応答の時間を設け、夕食後も深夜まで質疑応答の時間、二日目は午前と午後に講義をして頂いた後に質疑応答の時間を十分にとるというプログラムを組んだ。第一回目のセミナーでは、先生は予め寄せられた質問にも全て回答して下さり、予定した時間を二時間もオーバーした。先生の体力には驚嘆したが、藤沢徹さんからは「お前、先生を殺す気か!」とお叱りを頂き、第二回目以降は閉会時刻を厳守することにした。先生は、セミナー開催中も「研究の鬼」であり、真夜中や早朝に「新発見」をされるなど、先生の頭脳は二十四時間休みなく働き続けているらしいが、私の様な凡人には先生の睡眠不足が心配であった。先生の頭脳のエネルギー消費は凄まじいと想像される。第三回から第八回までは、一日目の午前、午後、二日目の午前、午後を全て先生の講義と質疑応答に充て、一日目の夜は質疑応答の時間とした。第九回目は一日目の午後から開始する日程に戻し、二日目の午前は参加者による研究発表の時間とした。
 質疑応答の時間には、「何を質問されても困りません。分からないことは「分からない」と答えます。」と言われるが、「分からない」と言われたことは殆どなく、何を質問されても即座に明快に応答される。先生の記憶力と処理速度にはどんなコンピューターも勝てないのではないかと思われる。
 この本は、「古田武彦著」、「古田武彦と古代史を研究する会・多元的古代研究会編」であるが、第一回から第九回までのセミナーの単なる記録ではない。「著」については、古田先生の研究成果が先生御自身の熱弁で語られたセミナーの様子が、鮮烈に蘇る。「編」については、「編集上のお断り」に「ご講演の内容については、複数回において、同様なお話を頂いているため、一箇所に纏め、・・・」、「質疑応答は、ご講演の内容に関係するものに原則として限定し、・・・、なるべく時代別・テーマ別に分類し、先生のお話の区切りのよいところに挿入した。」と記されている。編集者平松健氏の力量に改めて敬意を表したい。古田先生の研究成果は、先生御自身の多くの著書に「書かれ」ているが、先生御自身によって「語られ」、質疑応答の形で「やりとりされ」たものは一味も二味も違う。古田先生の研究成果を食い入る様に聞き、更に深化・進化させようとする熱心な質疑応答により、我が国の古代の真実に迫ろうとする人々の熱意が紙面から伝わってくる。この様な素晴らしい記録書が編纂されたことは、セミナーを主催した者として、また古田先生の「弟子」として、感謝、感激、感動の極致である。
 歴史学は、先ず史実を客観的に究明した上で、それに対する解釈・評価が議論されなければならない。「主観的な史実」に基づく議論は、物語としては面白いかも知れないが、歴史学にはなり得ない。私は「古田史学」という呼び方を好まない。これこそが歴史学、即ち「The 史学」である。
 古田先生が何時までもお元気で「新発見」を続けられ、それによって我が国の歴史の教科書が書き変えられていくことを願って已まない。この本がその一助となることを確信する。

[『古田武彦が語る多元史観』(ミネルヴァ書房2014年10月30日刊)所載]