評価を更なる発展の原動力に
「象牙の塔」といういい方は古めかしいが、大学は長い間社会から隔絶して存在してきた感がある。大学が一般社会との接点を持ち、社会から「評価」を受けるのは主に「入学試験」と「就職」の時だけであったと言っても過言ではない。
個々の教員については、研究者としての業績が学会において「評価」を受け、それが人事や科学研究費などの審査に反映されてはきたが、大学が総体として「どのような研究を行っているか」「どのような教育を行っているか」などについて、広く社会に発信し十分な説明責任を果たしてきたとは言い難い。これからの国際競争の時代に大学が研究・教育の実をあげていくためには、様々な「評価」を受けながら自己改革をしていくことが必要である。
1991年に実施された大学設置基準の大綱化に伴って、各大学は「自己点検・自己評価」を義務づけられた。以来、本学は自己点検・評価活動を日常的に実施し、隔年に報告書を刊行してきた。この報告書がその第5巻に当たる。報告書の各巻は基本的な点検・評価項目に加えて、委員会が特別に企画した項目を特色としている。今期の委員会は学生と教員による「授業の点検と評価」を実施した。学生による「授業評価」はアメリカなどの大学では何十年来実施されていることであり、日本でも既に多くの大学で実施されている。しかし、本学においては、2年前に実施しようとして果たせなかった。そのことを思い起こすと隔世の感がある。「学生に自分の授業が評価できるわけがない」「人気取りに堕する恐れがある」等々様々な反対意見があったが、実施してみると期待に違わず学生達が真剣に記述してくれたことを実感する。
大学の基本的な機能は言うまでもなく「研究」と「教育」であるが、これまで「教育」に対する「評価」は積極的には行われてこなかった。しかし大学教育の主体たる学生の声に耳を傾けずに良い教育ができる筈がないのである。民間の機関が実施した調査によれば、本学は「学生の満足度」が高い大学とされているが、今回実施した学生による「授業評価」が本学の教育活動の更なる向上に活かされることを期待している。
そもそも「評価」は歴史がなすべきことであって、自ら評価したり仲間同士で評価したりすべきものではないという主張がある。しかし「最終的な評価」は歴史がなすべきものであるとしても、リアルタイムの「評価」を避けることができないことは明らかである。また、分野によっては「評価などできる筈がない」と主張する。しかし、それならばその分野においては、教員人事や学位審査などは何を基準に行っているのであろうか。
大学は自己評価に加えて「外部評価」「第三者評価」を受けることが求められている。今期の委員会は「外部評価」にも積極的に取り組み、理系の幾つかの学科・専攻において信頼度の高い「外部評価」が実施され、自己改革に活かされつつあることは大きな意味を持つものである。
長年の懸案であった「授業の点検と評価」を実現し、「外部評価」にも積極的かつ適切に取り組んだ今期委員会の精力的な活動を高く評価したい。
[東京都立大学自己点検評価報告書『東京都立大学2000』まえがき]