西暦2000年の国際交流会館

 本学の留学生が200名を超えるようになって数年が経ちました。国際的な研究集会で本学を訪れる外国人研究者も数多く、キャンパスを外国人と本学の教員や学生が外国語で話しながら歩いている姿も日常的な風景となりました。本学が名実共に国際的な大学になってきたことを実感しています。
 今から30年程前までは一般の人々が外国に行く機会は殆どなく、留学生や研究者の交流も現在程簡単ではありませんでした。私が1972年にミシガン州立大学に客員助教授として渡米したときには、羽田空港で大勢の同僚や友人達に見送られ、大きな胸部レントゲン写真を抱えて飛行機に乗り込みました。飛行機がサンフランシスコ空港の滑走路に着陸したときには、乗客一同拍手をして無事を喜んだものでした。右も左も分からない異国の丘で路頭に迷うのではないかと不安でしたが、着いてみると同僚、国際交流担当、ボランティアの方々等の心温まる対応のお陰で頗る快適に過ごすことができました。いっそこのまま住み着いてしまおうかと思った位です。滞在中に多くの人々から受けた親切は決して忘れることはありません。今でも国境を越えて親しくつきあっている数多くの友人達は、私の一生の宝となっています。留学生の皆さんも本学滞在中に意欲的に日本文化を吸収し、生涯の友をつくられるよう願っています。
 去る11月13日に開学50周年記念シンポジウムが開催され、明石康元国連事務次長が講演をされました。その講演の中に「船が沈没しかかったときに船長が乗客を海に飛び込ませる方法」という面白い話がありました。乗客が何国人であるかによって違うのですが、アメリカ人なら「保険に入っている」、英国人なら「飛び込むのもスポーツだ」、ドイツ人なら「貴方の会社から飛び込めという電報が届いた」、フランス人なら「飛び込むな」、日本人なら「皆飛び込んだ」と言えばよいというのです。更にこの話を中国人にして「中国人には何と言えば飛び込むか」と聞いたら、「海底に金塊が沈んでいる、と言えばよい」という答えが返ってきたそうです。もとよりこれは joke ですが、各国それぞれの国民性をうまく言い当てているように思われます。留学生の皆さんも私達日本人も、お互いの国の文化や国民性を大切にしつつ国際交流を進めていきたいものです。
 国際交流会館はいうまでもなく本学の国際交流の拠点ですが、その受付のスタッフが何時も明るく親切な対応をしてくれるということで、利用者達から大変好評を頂いているのは誠に嬉しいことです。又国際交流会館にはレジデントアドバイザーという制度があり、現在は Guest 教授がその任にあります。名前は Guest ですが、客員教授ではなく理学研究科数学専攻の専任教授です。彼はオックスフォード出身の英国紳士で、アメリカの大学に職をもっていましたが、研究のため何度か来日するうちに日本、特に本学がすっかり気に入り、「日本に骨を埋めるつもりで」転任してきました。今では日本の生活習慣に溶け込み、書類も漢字入りの日本文で書いて「客」という印鑑を押しています。日本語も講義ができる程に上達しましたから、日本語でも英語でもどんどん話しかけて下さい。適切なアドバイスをしてもらえると思います。
 昨年6月に開催されたケルン・サミットで「学生の国際交流の推進」が合意され、21世紀に向けて益々国際交流が盛んになろうとしています。開学50周年を経て本学は、「世界の中の東京都立大学」としてこれからも国際交流会館を拠点に積極的に国際交流を推進していきたいと考えています。
[『国際交流会館ニュース』 No.14 所載]