国境を越えて
21世紀の幕開け早々、衝撃的なニュースが私たちの胸を打ちました。JR新大久保の駅でホームから線路に落ちた人を助けようとして2人の男性が亡くなったというあの痛ましい事故です。そのうちの1人は韓国からの留学生李秀賢さんでした。彼の勇気ある行動は国境を越えて感動を呼んでいます。事故があった新大久保の町内会が駅前で遺族のために募金を呼びかけたところ、多くの人々がこれに応じたそうです。集まったのはお金の形をした人々の心です。彼は最も端的な国際交流を見せてくれたのだと思います。人命を助けようという心に国境はありません。この出来事は、国際交流は形ではなく心であるということを私たちに教えてくれました。
このニュースで日本青少年研究所が昨年行った「21世紀の夢に関する調査」のことを思い出しました。この調査は日本・韓国・中国・米国の中高生を対象に行われたものですが、その中で「人生の目標」について尋ねた質問に対する答えが、韓国は「自分が損をしても正しいことをする。特技を持つ」だったということです。李秀賢さんの行為を思いあわせると感慨深いものがあります。因みに、日本は「自分の趣味をエンジョイする。その日を楽しく暮らす」、中国は「自立した人間になる。円満な家庭。社会貢献。勉強ができる」、米国は「勉強がよくできる。素敵な異性を見つける」だったそうです。
昨今、「国際化」「グローバル化」が叫ばれ、人・物・金・情報が国境を越えて流通するようになりました。多くの大学人にとっては「国際化」は当然のことであり「日常化」していると言っていいでしょう。しかし、大学や行政には今もって「国際化」に対する古い制度の壁が残存しています。例えば、教員の海外出張についてみれば、国公立大学においては海外出張は「勉強しに行く」ためのものに限られ、外国の大学へ客員教授として「教えに行く」ためのものは認められないことになっています。というのは、我が国では明治時代以来、洋行するのは「留学」すなわち先進国の知識を修得してくるもの、と考えられてきたからです。しかし、今や我が国では国際水準を凌ぐ研究分野も珍しくなく、海外から研究指導のために招聘される研究者も多数います。日本はすでに他国から「教えてもらう」だけの時代は過ぎ去り、自分の持っている知識を「教えに行く」ことによって国際貢献をしなければならない立場になっています。大学が国際交流を推進するためには、まず第一に明治以来の古い感覚を改め、時代錯誤となった制度を変える努力をしていかなければならないと痛感しています。
近頃は「国際化」の影響が頭髪にまで及び、本学でもキャンパス内に“金髪”や“茶髪”の若者が増えてきました。髪型に限らず、ファッション、音楽、絵画、映画、食べ物など様々な文化が国境を越えて入ってきます。日本は屡々諸外国から「貿易不均衡」を指摘されますが、これは品物の話です。文化について見れば、逆に大幅な輸入超過が続いていると言うべきではないでしょうか。何事も一方通行ではなく相互に往来する方が楽しいし、豊かになれるのではないかと思います。
本学の国際交流会館は来訪する外国人研究者と大学院留学生のための施設として建てられ、10年が経過しました。この間快適な施設と行き届いたフロントサービスが大変好評を得ています。本学は「国際的に存在感のある大学」としてこれからも国際交流会館を拠点に積極的に国際交流を推進していきたいと考えています。
[『国際交流会館ニュース』 No.15 所載]