激動の時代を前向きに捉え、「真理」を学んで「変化」に挑もう
─歴史や古典で培われた教養で、困難なときに的確な価値判断ができる─

新しい文明の時代に生きる

 人類の歴史を概観すれば、長い年月をかけて極めて緩やかに発達を続けてきた文明が、産業革命をきっかけに加速し始め、この100年間はまさに指数関数的な発達状況を示しています。始まったばかりの21世紀は、IT革命を背景とするグローバル化の中で、目まぐるしい技術革新と社会制度の改変が進行しています。皆さんはこの急速に発展を続ける21世紀の文明の中で生きていかなければなりません。そのためには困難に遭遇した時に的確な価値判断ができることが必要です。そのような時に力になってくれるのは単なる情報としての知識ではなく、歴史や古典等によって培われる「教養」です。時代が変わっても人間の本質は殆ど変わっていませんから、長い年月を生き続けてきたものにはそれだけの価値と力があります。人類の叡智の結晶とでもいうべき古典は、いつの時代にも、どんな混沌の時代にも、皆さんの行く手に明るい光を投げかけてくれることでしょう。よく言われるように、「古いものは新しい」のです。

不易流行

 激動の時代を生きる上で是非覚えておいて頂きたい言葉があります。「不易流行」:松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の間に体得した概念です。それは「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」即ち「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「その本は一つなり」即ち「両者の根本は一つ」であるというものです。「不易」は変わらないこと、即ちどんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対に変わらないもの、変えてはいけないものということで、「不変の真理」を意味します。逆に、「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従ってどんどん変わっていくもの、あるいは変えていかなければならないもののことです。「不易流行」は俳諧に対して説かれた概念ですが、学問や文化や人間形成にもそのまま当てはめることができます。
 人類は誕生以来「知」を獲得し続けてきました。「万物は流転する」(ヘラクレイトス)、「諸行無常」(仏教)、「逝く者はかくの如きか、昼夜を舎かず」(論語)、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明)など先哲の名言が示すように、森羅万象は時々刻々変化即ち「流行」しますから「知」は絶えず更新されていきますが、先人達はその中から「不易」即ち「不変の真理」を抽出してきました。その「不易」を基礎として、刻々と「流行」する森羅万象を捉えることにより新たな「知」が獲得され、更にその中から「不易」が抽出されていきます。「不易」は「流行」の中にあり「流行」が「不易」を生み出す、この「不易流行」システムによって学問や文化が発展してきました。一人ひとりの人間も「不易」と「流行」の狭間で成長していきます。

真理は君達を自由にする

 VERITAS VOS LIBERABIT(真理は君達を自由にする):東京都立大学の図書館の正面に掲げられているこのラテン語の言葉は、「真理の探究」が人類普遍の価値であり、大学の使命であることを日夜私達に語りかけています。「不変の真理」を学ぶことによって、ある一つの固定的な場所に自分を閉じ込めてしまうことなく、いろいろな方向に向かって可能性を広げて人格を形成していく自由を獲得することができるということです。
 今日のように「流行」即ち「変化」が急激な時代を生き抜いていくためには「不易」即ち「不変の真理」が拠になります。政治形態がどうなろうと、社会情勢が如何に変化しようと、真理は不変です。皆さんは将来どのような道に進むにせよ、「不易」即ち「不変の真理」を学ぶことによってこそ、正しく生き抜いて行く力を獲得することができるのです。

総合的な知の時代

 21世紀は文系・理系の区別を超越した「総合的な知」が必要とされる時代になります。いわゆる理系の人も文学や歴史、法律や経済などの素養が必要となり、文系の人も科学や技術の知識が必須となります。これからは「科学に関することは理系の人に任せておけばいい」といって済ませることはできません。将来どのような分野の仕事に就くにしろ、「科学」に関する知識が不可欠になります。科学を論じる際に論理的な思考が重要であることは言うまでもありませんが、それと同時に感性や美意識が不可欠であることを忘れてはなりません。論理的な思考だけならコンピューターに任せることができるかも知れませんが、感性や美意識は人間の叡智であり、これがなければ科学は正しく発展することができないでしょう。数学の定理は美しくなければなりません。自然科学の理論も美しさが大切です。科学にとって感性や美意識が不可欠であることを指摘しておきたいと思います。
 昨今大学への進学率が50%に近付いていますが、「大学を卒業すれば安定した生活が保証される」時代は過去のものとなりました。社会は幅広い教養に裏付けられた総合的な判断力を身につけた人材を求めています。真の「エリート」とは、自分の専門以外のことについても的確な判断ができる能力を持っている人のことです。  世の中は益々グローバル化が進み、皆さんはそのまっただ中で生きていかなければなりません。未曾有の大変化の時期に生まれ合わせた運命を前向きに捉え、「不易」を学んで「流行」に挑み、素晴らしい人生を輝かせることを期待しています。
[『蛍雪時代』2002年8月号所載]