図書館は宝の山

 慶祝新世紀
 いよいよ新しい世紀を迎えた。21世紀はITの時代などといわれ、図書館も従来とは様相を変えることが予想される。現在でも簡単な事柄なら図書館へ足を運ばなくても居ながらにしてインターネットで情報を引き出すことが出来る。実際、私も何かちょっとしたことを調べるのには屡々インターネットを利用している。しかし今のところインターネットでは調べられることに限りがあるし、何より図書館に入ったときのあの感激が味わえない。

 私は幾何学が専門であり(あった、というべきかも知れない)、数学の文献は理学部棟6階にある数学教室の図書室に置かれているから、そちらに行けば365日、24時間何時でも見ることができる。図書館本館へ行くのは専ら自分の専門以外の事柄を調べる必要があるときである。図書館に置かれている全国の電話帳や様々な事典・辞書類は実に便利で、簡単な疑問や質問にはたちどころに答えてくれる。図書館に行って疑問が氷解したときの爽快さは格別であり、図書館がまさに情報や知識の宝庫であることを実感する。また何気なく開いた本に貴重な言葉を発見することも多い。まさに図書館は宝の山、私は時々宝の山に登り、掘り出し物を見つけている。この機会に、最近の収穫を二、三紹介してみたい。

   少年易老学難成  一寸光陰不可軽
   未覚池塘春草夢  階前梧葉已秋聲

 これは日本人なら誰でも知っていると思われる有名な漢詩である。中国の南宋時代の高名な儒学者朱子の「偶成」と題する詩として高校の漢文の時間に教わった。ある時、この詩を引用しようとして確認のため手許にある中国の詩集を何冊か開いてみた。何故か見当たらないので図書館に出向いて調べてみたが、不思議なことにどの漢詩集にも載っていなかった。「都立大学の図書館でこの有名な漢詩が見つからないということは・・・??」と怪訝に思った。漢詩の故郷中国の人に聞いたら分かるだろうかと思い、知り合いの中国人留学生何人かに聞いてみた。しかし意外なことに誰一人としてこの漢詩を知っている人はいなかった。北京大学で中国文学を専攻したという人ですら「この詩は見たことがありません」という。疑問は益々増大した。その時はたと思いついて、刊行されたばかりの『広辞苑第五版』を見たら「近世初期の『滑稽詩文』、寄小人詩。一説に、朱子の作とされる偶成詩の句」と書かれているではないか。そこで老朋友である中国文学専攻の左纛教授に尋ねてみた。「この漢詩は和製ですか?」「そうです。恐らく五山の僧の作でしょう」「漢文の教科書には朱子の偶成と明記されていたし、広辞苑も第四版まではそのような説明が書かれていましたが・・・」「辞典の編集者が孫引きで済ませるからそういうことになるのです。私はいま漢和辞典の編集をしていますが、このことはちゃんと書いておきました」・・・。間もなく発行された『漢辞海』は「引く辞典」として信頼できることは勿論「読む辞典」としてもなかなかに楽しい。それにしても、永年信じられてきた古典の常識も覆ることがあり、権威ある辞典や教科書の記述も鵜呑みにしてはいけないことを知って大いに驚いた。

 またこんな収穫もあった。さる“物の本”を読んでいたら曰くありげな川柳が載っていて、面白そうだが説明がよく分からない。出典は『甲子夜話』と書いてあったので、早速図書館へ行ってみたら、「東洋文庫」所収の『甲子夜話』は続篇、三篇を合わせると何と20冊もあるではないか。1冊目から順番に目次を頼りにそれらしい項目を探し出す作業をした。幸にして4冊目で見つけることが出来たが、20冊目だったら何日もかかったのではないかと思われる。しかし苦労して原典を繙いたお陰で川柳の意味も理解でき、おまけに“物の本”の引用が間違っていることを“発見”することができた。どうやら著者は原典にあたらずに「孫引き」で済ませたらしい。洒脱な本を多数著している有名な先生であるが、案外杜撰であることが分かった。

 ついでに、図書館とは直接関係ないけれど、索引のない本が多いことに苦言を呈したい。我々理系の分野では学術書には必ず索引が付いている。しかし文系の本には多くの場合、索引がついていないので参考文献としては使い難いこと甚だしい。小説に索引がないのは当然だろうが、学術書に索引がないのは言語道断である。索引を付けないのは「拾い読みは許さない。最初から最後まで読め」という著者の意思表示であろうか。気になったので念のため都立大学出版会から刊行されている本を調べて見たら、全てに索引が付いているので安心した。

 最後は現在調査中の事項である。栃木県湯津上村に法輪寺という古刹がある。庭に大きな枝垂れ桜があり、「西行桜」といわれている。その名の由来として桜の樹下には、西行が陸奥へ行くときに当寺に立ち寄り
   盛りにはなどか若葉の今とても心ひかるる糸桜かな
という歌を詠んだ、という説明書きがある。如何にも西行らしい名歌だと思ったので書き留めてきて図書館の『西行全集』を調べたが、残念なことにこの歌は載っていなかった。更に、西行関係の本を片っ端から調べてみたが、この歌はどこにも見つからなかった。次の機会に再度その寺に寄り、住職にこの歌の作者や由来について聞いてみたが要領を得なかった。帰ってから何人か歌道に明るそうな人に聞いてみたが、分からないという。この歌が本当に西行の作かどうか、もしくはそれを調べるには「宝の山」のどの辺りを掘ればよいか、どなたか御存知の方がおられたら御教示頂ければ幸いである。


[図書館だより『りべる』2001年1月号所載]