Hydrangea

 牧野標本館といえば、あの強烈な匂いが懐かしい。
 私は、子供の頃には動植物に興味があり、ドーランや捕虫網を持って野山を歩き回っていたが、高校では物理と化学しか選択しなかったし(当時は「未履修問題」などという概念はなかった!)、数学屋になってからは生物学とは無縁の世界に暮らしていたので、深沢キャンパス時代には牧野標本館に入ったことがなかった。
 南大沢に移転した1991年に理学部長になり、牧野標本館長を兼務することになって、年に数回は牧野標本館に入る機会に恵まれた。牧野富太郎という名前は勿論知っていたし、子供の頃植物図鑑などで随分お世話になっていたが、牧野先生の標本に直に接すると緊張感を覚えた。膨大な量の標本に圧倒されると同時に、標本館の狭さが気になった。標本館は、単なる陳列室ではなく、研究が重要な機能であることを考えれば、牧野標本館は余りにも狭いと言わざるを得ない。狭い部屋で山本さんが奮闘していた姿が昨日のことのように目に浮かぶ。私は、昨今仕事の関係であちこちの博物館などを訪問する機会が多いが、大抵の博物館においては一般来館者の目に触れない「舞台裏」乃至「楽屋」が相当なスペースを占めていて、展示室より「舞台裏」の方が面白い。牧野標本館には展示室がないというべきか、それとも「楽屋」がないというべきか。牧野標本館が、我国における植物分類学の教育・研究の重要な拠点であることを考えれば、せめてあの3倍くらいのスペースが必要ではないだろうか。
 数年前に、高知市の五台山竹林寺の隣にある県立牧野植物園を訪れたが、こちらは、牧野標本館と比べれば、げにまっこと広いぜよ。植物園じゃきに広いのは当然かも知れんが、本館や展示館などの建物も相当に大きいちや。高知が、坂本龍馬とともに牧野富太郎を誇りにしていることが分かるがや。
 1995年に理学部長兼牧野標本館長を退任するに当たり、記念に牧野先生の標本を頂いた。「こんな貴重なものを頂いていいのですか」「牧野先生は同じ標本をたくさん作っているので大丈夫です」ということで、安心して頂戴した。今でも大切に保存していることは言うまでもないが、この原稿を書くに当たって久し振りに取り出して見た。牧野先生の直筆で「24/VI/1948 大泉庭」と書かれている。学名は、手書きで「Hydrangea serrata Seringe var.」と書かれ、タイプでは「Hydrangea serata Seringe var.」と書かれている。手書きの方が正しいらしい。Hydrangea からは「シーボルト」「お滝さん」「楠本稲」・・・と話が逸れていきそうになる。私は、ラテン語の素養など丸でないが、牧野標本館で標本の1つに記された学名に間違いがあることを「発見」して、小野先生を驚かせたことがあった。今その学名を思い出せないのが残念であるが、男性形と女性形の違いだったように思う。友人から「お前は少ない知識を最大限に活用する特技がある」と「ほめられる」が、これはその典型的な例である。
 小さいながらも牧野標本館は、東京都立大学の、いや首都大学東京の大きな特色である。発展を期待して已まない。

[『牧野標本館50周年記念誌』所載]