「無用の用」と「不易流行」

 『老子』に「無用の用」という概念があります。一見役に立たないと思われるものが実は大きな役割を果たしているという意味です。『荘子』にも同じ趣旨の話があり、次のような問答が載っています。
恵子「あなたの話は役に立たない」
荘子「無用ということを知って、はじめて有用について語ることができる。大地は広大だが、人間が使っているのは足で踏んでいる部分だけである。だからといって、足が踏んでいる土地だけを残して周囲を黄泉まで掘り下げたとしたら、人はそれでもその土地を有用だと言うだろうか」
恵子「それでは役に立たない」
荘子「一見役に立たないように見えるものが実は役に立っているということが、はっきりしたであろう」
 激動の時代を生きていく上で是非覚えておきたい言葉がもうひとつあります。「不易流行」:松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の間に体得した概念です。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」即ち「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「その本は一つなり」即ち「両者の根本は一つ」であるというものです。「不易」は変わらないこと、即ちどんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対に変わらないもの、変えてはいけないものということで、「不変の真理」を意味します。逆に、「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従ってどんどん変わっていくもの、あるいは変えていかなければならないもののことです。「不易流行」は俳諧に対して説かれた概念ですが、学問や文化や人間形成にもそのまま当てはめることができます。
 人類は誕生以来「知」を獲得し続けてきました。「万物は流転する」(ヘラクレイトス)、「諸行無常」(仏教)、「逝く者はかくの如きか、昼夜を舎かず」(論語)、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明)など先哲の名言が示すように、森羅万象は時々刻々変化即ち「流行」しますから「知」は絶えず更新されていきますが、先人達はその中から「不易」即ち「不変の真理」を抽出してきました。その「不易」を基礎として、刻々と「流行」する森羅万象を捉えることにより新たな「知」が獲得され、更にその中から「不易」が抽出されていきます。「不易」は「流行」の中にあり「流行」が「不易」を生み出す、この「不易流行」システムによって学問や文化が発展してきました。一人ひとりの人間も「不易」と「流行」の狭間で成長していきます。
 昨今は、「不易」より「流行」が重視される風潮が顕著です。社会、特に企業からは「即戦力になる人材」や「直ぐに役に立つ知識」が期待されるようになりました。しかし、「即戦力になる人材」は往々にして基礎がしっかりしていないために寿命が短いことが多く、「直ぐに役に立つ知識」は今日、明日は役に立っても明後日には陳腐化します。
 激動する現代、目先の価値観にとらわれ、短絡的に実用的なものを求めがちですが、このような時期だからこそ「無用の用」や「不易流行」の意味をじっくりと考えてみたいものです。
[日本数学会『数学通信』第8巻第2号所載]