特区の大学への改善勧告

 1月25日、文部科学省は、法令違反状態にある大学に対し、学校教育法に基づく改善勧告の措置をとった。これは、平成15年度に制度が導入されてから、初めての事例である。
 この大学は、構造改革特区制度によって登場した最初の株式会社立大学である。以前から、この会社が経営する資格試験予備校との関係が不明確であるといった問題が指摘されてきたが、十分な改善が図られず、勧告に至ったものである。大学固有の教育課程が提供されていなかった事実からすると、そもそも法律の定める「大学の目的」に沿わないと言っても過言ではない。「学位を出す予備校」という形容が相応しかろう。
 ただ、本稿では、この大学自身のことではなく、一連の問題を通じて表面化した大学の質のチェックシステムや特区制度をめぐる課題について取り上げたい。今年は特区法の見直しや、新しい規制改革会議の発足の年であり、教育再生会議では、大学の国際競争力の問題について論じられる見通しである。単に規制を緩和すれば競争力が強化されるといえるのか。これまでの反省点を今後の改革に生かすべき時期である。
 大学の最低限の質を保つ仕組みは、主に開学前の認可制度と開学後の第三者評価制度、さらに法令違反状態の是正措置などから成っている。是正措置は、改善勧告に始まり、勧告事項が改善されなければ、強制力のある変更命令、組織廃止命令などへと段階的に強い措置が講じられる。たまたま今回は株式会社立大学に初適用されたが、元々の対象は、公私立大学で、「事前規制から事後チェックへ」という規制緩和の掛け声の下、認可制度の大幅な緩和と同時に導入されたものである。
 しかし、ひとたび開学した大学の実態を捉えることは容易でない。数百に上る新設大学・学部等を対象とする調査では、特定の大学に注げる精力は限られ、慌しい実地調査や書面調査で把握できる情報は必ずしも十分ではない。今回も、学生や教員が苦情を申し立て、国会で取り上げられるような事態になってから、様々な重大な事実が判明した。学習者保護のためには、新設大学に限らず、一般的な苦情相談窓口を恒常的に設けるとともに、各大学の教育研究活動に関する情報の公開を一層強く求めるべきであろう。
 また、是正措置は、段階を追って講ずるものであり、仮に重大な法違反があっても、即座に強制力を伴う命令をすることはできない。被害拡大を防ぐため、緊急的に学生募集を停止することもできない。今回、文部科学省は、勧告の内容をネット上に掲載したが、「後は受験生や保護者の自己責任」ということで良いのであろうか。学習者保護のため、一層機動的な対応をとり得る仕組みを考えるべきであろう。
 株式会社立大学に限らず、長年にわたって大幅に学生定員を超過している一部の私立大学への対応も急ぎ検討すべきである。こうした大学に対しては、国の補助金の対象としないなどのペナルティがあるが、それでは不十分である。教員組織や施設・設備については、設置時には厳格な審査が行われるが、事後チェックが十分に機能しているとは言えず、設置基準を充たしているがどうか疑わしい大学も見られる。学生数に見合った教員や施設設備を持たない大学を放置すべきではない。また、法律上の義務でもある自己点検・評価の実施・公表など、公共性を備えた機関としての最低限のアカウンタビリティを果たしていないような大学も論外である。
  次いで、特区制度をめぐる課題である。どぶろくの特区など、ユニークな実験も可能とする制度であるが、子どもや若者を対象とする教育分野について同列に考えて良いはずはない。教育分野において、「失敗したら特例を止めれば良い」という安易な発想で臨めば危うい。学校の設置主体を国、地方公共団体、学校法人のみに限定している仕組みは、学校制度の根本部分である。それに関する特例を、少数の事業者等の提案を受け、国は早々と決してしまった。中央教育審議会の審議さえ経ない手続は拙速と言わざるを得ない。特例導入から1年後に弊害が無ければ全国解禁をするという評価の在り方も、果たして教育分野の改革に相応しい手法であろうか。
 特区制度における自治体の役割と責任、事業者への監督権限も曖昧である。特区法は、株式会社立大学が、「地域の教育研究上の特別なニーズ」に合致していることを求めている。そうした判断を行う責任は自治体にある。大学としての最低条件を充たすか否かをチェックするのは文部科学省だが、自治体は、独自の判断基準に基づき、特区法上の要件を充たさない大学に対しては、厳正な対応(特区計画からの抹消の可能性も含めて)をとる必要がある。ところが、政府の特区評価委員会が苦言を呈したように、自治体が事業の実態を把握しているとは言い難い現状がある。「大学の中身のことは分からない」というような無責任な声も自治体担当者から聞こえる。自治体は、特区計画を策定する主体としての責任を自覚しているのだろうか。工場誘致と同列に考えてはいまいか。経営破綻時のセーフティネットの整備も自治体の責務となっているが、それが本当に履行されるかも危ぶまれる。
 その一方で、地方公共団体の意向を最大限尊重するという特区法の建前の下、国は踏み込んだ関与は避け、特区計画の申請を全て認めてきた。こうした仕組みでは、「公」の責任を一体誰が負うのであろうか。
 規制緩和の狙いは、事業者でなく消費者の利益の増進であるはずだ。事後チェックや特区の制度の見直しに当たっては、その原点に立ち返り、学生に大きなリスクを負わせることにならないよう慎重な配慮を求めたい。

[『日本経済新聞』2007年2月26日「教育」欄掲載]