規制緩和で揺らぐ大学の質

 耐震欠陥マンションの問題が、社会に極めて大きな衝撃と動揺を与えている。大学の質の保証に関わる職務に携わる者として、人ごととは思われない。
 この問題では、建築士による書類偽造という行為に大きな問題があることは当然だが、それと同様に注目すべき点は、検査機関のチェックが機能しなかったという、システム上の問題である。自治体による検査に加えて、新たに民間検査会社の参入が認められて以来、チェックの甘い検査会社への依頼が増えるとともに公的チェックの緩みが生じたと指摘されている。規制緩和の影の面が浮かび上がってきているのではないか。
 大学の質を保証するシステムとしては、大学・学部等の設置の公的な認可制度と、評価機関による定期的な第三者評価の義務づけという二つの仕組みが設けられている。「事前規制から事後チェックへ」という規制緩和の流れの中で、国による設置認可やそのよりどころである大学設置基準等が最近10年くらいにわたって大幅に緩められる一方、04年度から第三者評価を担う評価機関が発足し、徐々にその数を増やしつつある。
 少子化が進行中にもかかわらず、わが国の大学数は増加し続け、今や「大学全入時代」と称される中、大学の質をめぐる懸念が強まっている。新設校の中には、設置認可のための審査が緩やかになった影響もあって、大学としてふさわしいかどうか疑問を呈されるような事例もあらわれている。「何でもあり」の状態と形容する識者もいる。
 しかし、大学がどの機関から評価を受けるかを自由に選択できる現在の仕組みの下、問題を抱える大学が、厳正な評価機関に自らの評価を委ねるであろうか。仮に委ねたとして、国の認可を最低ラインで得た「境界例」の大学は、評価機関独自の基準により「不適格」と判定される可能性がある。それに伴う混乱はどうなるのか。
 現行制度では、評価機関は大学の主体的な改善を促す役割を期待されており、法令・基準への不適合状態を是正させる権限はない。この点、設置認可制度とは基本的に性格を異にしており、両者は代替的な関係にない。
 ところが、大学をめぐるこのような社会環境や制度のありようにもかかわらず、「参入を促進して競争させることが大学の質の向上のために必要」という教条化した考え方がいまだに払拭されてはいないようだ。
 例えば、認可制度や基準を参入障壁と批判し、構造改革特区向けの簡略な審査で株式会社立大学に門戸を開放した結果はどうか。今年3月に公表された調査結果では、資格試験予備校と「大学」の授業が渾然一体となっているなど、法令に関わる様々な問題が明らかになった。
 事業者だけの問題ではない。彼等の利益実現にかかわる要望や提案ばかりに耳を傾け、株式会社立大学の全国解禁、補助金導入、税制上の優遇措置などを提唱してきた政府審議会の見識も問われねばなるまい。特区自治体は事業者の言いなりではなかったのか。その責任感や事業内容の実態把握の程度についても、国は十分に検証すべきだ。
 マンションの問題は、住民の生命・身体への危険という形で、極めて大きな社会的コストを発生させた。一方の大学の質の問題も、対応を誤れば、学生の利益、日本の大学に対する国際的な評価などの様々な面で大きな代償を払うことになろう。欠陥マンションと異なり、その危険性やコストが見えにくい分、バランスのとれた制度設計の検討が難しく、ある意味で深刻な課題とも言える。実態を正確に捉え、腰を据えた議論が各界で行われることを望みたい。

[『毎日新聞』2006年4月9日「オピニオン」頁「発言席」欄掲載]