身近に「数学」を感じる

 身近な「もの」や事柄に「数学」を感じた思い出を挙げてみる。

 初めてアメリカに住んだとき、住居表示の分かり易さに感心した。例えば、「Lincoln Street 156」を訪ねようと思ったら、
 1. Lincoln Streetへ行く
 2. 偶数番の並ぶ側に注目する
 3. 「156」を探す
という手順を踏めば良い。2の手順は、streetの一方の側には偶数番が並び、他方には奇数番が並ぶように番号が付けられていることによる。番号は大きさの順に並んでいるから3の手順は簡単である。一般に「x Street y」は、「x Street」という(座標)曲線上の点「y」を表わすことになる。これによって各家にはxとyの組(x, y)が一意的に対応する。このとき(x, y)は局所座標系(に近い)構造を持っている。
 一方、我が国では、○○市○○町x番y号という住居表示が一般に使われるようになって久しいが、実に分かり難くて腹立たしいことが多い。x番に辿り着いても「x=一定」が曲線ではなく「領域」を形成しているために、「y」を見つけるのに苦労するのである。我が国の住居表示は、各家にxとyの組(x, y)が一意的に対応しているけれども、局所座標系にはなっていないのである。折角国を挙げて住居表示の変更という歴史的な大事業を実施したにも拘わらず、座標系の概念を無視して非数学的表示法を採用したことは、歴史を無視した無定見な地名変更と共に、大愚挙であった。
 日米の住居表示の違いは、担当者の中に多様体を学んだ者がいたか否かによるのではないだろうか。

 我が国の硬貨は全て円形であるが、外国にはReuleaux多角形の硬貨がある。最初にReuleaux多角形の硬貨を見たときは感動した。Reuleaux多角形は定幅図形であるから、自動販売機に使うことを考えても不都合はない。更に、同じ幅を持つ定幅図形の中では円が面積最大であるから、Reuleaux多角形の硬貨は金属の節約にも貢献する。
 Reuleaux多角形の硬貨は大いに「数学」を感じさせてくれるが、残念ながら我が国の大蔵省には明治以来、定幅図形の勉強をしたことのある役人がいなかったらしい。

 都営地下鉄大江戸線に乗ると、遠い昔のことであるが、学部3年生の時にimmersionとimbeddingの違いを理解するのに苦労したことを思い出す。その時にはLemniscateを例にして説明されたが、今ならば大江戸線が分かり易い例を与えてくれる。東京都交通局には、多様体を勉強した職員がいたのかも知れない。

 数学者の中には酒仙ないし酒呑童子が少なくない。しかし、彼等が後世に遺した酒に纏わる多くの武勇伝の中には、凡そ数学者らしくないものが散見する。その最たるものは、寒空の往来で大の字になって寝てしまうことである。私の身近にも常習者がいた。
 熊やリスが丸くなって冬眠するのは何故だろうか。いうまでもなく「等周不等式」を知っているからである。自然界には「等周不等式」に関係する現象が多いが、数学者が「等周不等式」に反する行動をとることは「数学者の数学知らず」ということになる。「等周不等式」に接する度に、既に「思い出の人」になってしまったS先生のことを思い出す。


[日本評論社発行『数学セミナー』2005年8月号掲載]