「八雲」と「都鳥」

   道行く人も仰ぎ見よ
   八雲群れ立つ高台に
   都心を遠く望みつつ
   夜目にもしるく聳ゆるは
   大東京の誇りなる
   われらの都立大学ぞ
 これは第2代総長矢野禾積先生作の「東京都立大学の歌」の第1節で、目黒の旧キャンパスを歌ったものですが、南大沢の現キャンパスにも不思議に適合しているように思われます。移転して9年目、青葉繁れるキャンパスの石畳を歩いていると、都立大学は名実共に立派になったものだと感慨深く思います。私が本学に着任したのは1969年、團勝磨総長の時代で、時あたかも大学紛争の真っ最中でした。あれから丸30年、都立大学は年輪を重ねつつも外観一新、内容はますます充実して、しかも「アカデミックで自由な学風」は変わることなく受け継がれてきていることを大変喜ばしく思います。
 この6月に東京都立大学は開学50周年を迎えます。本学のこの50年間の足跡を振り返るとき、終戦後の財政窮乏の中で大学を設置した東京都の積極的な意欲と、輝かしい伝統を築き上げた諸先輩の高い見識と努力に対して、改めて敬意を表したいと思います。
 50周年記念事業は
   はばたけ 都立大 世界の世紀へ
を基調テーマに企画され、多彩なイベントが催されます。八雲会会員の皆様にはこの機会に是非母校をお訪ね下さり、21世紀の本学の未来像を若い後輩達とともに語り合って頂きたいと思っております。
 私は、着任以来移転までの間、深沢校舎の数学研究室でほとんどの時間を過ごしてきました。狭い廊下に置かれた器具類の間をすり抜けて研究室まで通ったことを懐かしく思い出します。専門は幾何学ですが、余暇にはテニスに汗を流したり、俳句をひねり和歌や狂歌を作って楽しんでいます。文武両道といいたいところですが、残念ながらテニスは我武者羅流、俳句は川柳もどき、和歌は腰折れです。
 ところで、都立大学といえば「八雲」と「都鳥」ですが、素戔嗚尊の歌「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」を和歌の初めとすることから「八雲」には「和歌」の意味もあります。又、「都鳥」はユリカモメの雅称で、古くから和歌・物語・俳句等に登場していますが、『伊勢物語』の第九段にある在原業平の歌
   名にしおはばいざ言問はむ都鳥
       わが思ふ人は在りやなしやと
は特に有名で、隅田川にはこの歌に縁のある言問橋があり、その近くには言問通や業平橋等があって風雅な地名から昔を偲ぶことが出来ます。また、江戸・東京の開祖ともいえる太田道潅の
   年経れど我未だ知らぬ都鳥
       隅田川原に宿はあれども
という歌もあり、平安の昔から江戸・東京の歴史と文化を背負って飛び続けている「都鳥」が本学のシンボルであることを私は密かに喜ばしく思っています。私達も都鳥のように、巷の喧騒を下に見て、青い空にゆったりと翼を広げ、思うままに高く飛翔して学問と文化の遙かな地平を展望したいものです。
 そろそろ21世紀の足音が聞こえてきました。「はばたけ 都立大 世界の世紀へ」のテーマのもと、新世紀へ向かってはばたく都立大学の姿を御覧頂きたいと思いますので、開学50周年の記念事業に是非お出かけ下さい。
   光は東よりすてふ
   ふるき言葉の真をば
   今日いまここに證する
   その感激の祝歌に
   世紀の空をゆるがすは
   われらの都立大学ぞ

[『八雲会報』1999年度春期号所載]