「孫引き」情報に御用心

 私が学生の頃は、何かについて調べようと思えば、図書館へ行って百科事典などを繙いたものであるが、今はインターネットで検索することが当たり前になっている。私自身もインターネット経由で情報を入手することが非常に多い。
 インターネットは、情報を入手する手段としては誠に便利であるが、情報の「質」を見極めて取捨選択することが必要不可欠である。要するに、インターネット上を飛び交う情報は玉石混淆、というより、石ころだらけであることに留意しなければならない。何かを調べる時には原典に当たるのが最善であるが、それは大抵の場合容易ではないので、百科事典やインターネットなどの代替手段で済ませることになる。昔の権威ある百科事典の記述にも「孫引き」はあったが、インターネット経由の情報は「孫引き」などは序の口で、「孫孫引き」、「孫孫孫引き」、「孫孫孫孫引き」・・・が珍しくないと思われる。以下は、かつて私が経験した「孫引き」の典型例である。

  少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋聲

 これは日本人なら誰でも知っていると思われる有名な漢詩である。中国の南宋時代の高名な儒学者朱子の「偶成」と題する詩として高校の漢文の時間に教わった。ある時、この詩を引用しようとして確認のため手許にある中国の詩集を何冊か開いてみた。何故かこの詩が見当たらないので図書館に出向いて調べてみたが、不思議 なことにどの漢詩集にも載っていなかった。「大学の図書館でこの有名な漢詩が見つからないということは・・・??」と怪訝に思った。漢詩の故郷中国の人に聞いたら分かるだろうと思い、知り合いの中国人留学生何人かに聞いてみた。しかし意外なことに誰一人としてこの漢詩を知っている人はいなかった。北京大学で中国文学を専攻したという人ですら「これは良い詩だと思いますが、見たことがありません」という。疑問は益々増大した。その時はたと思いついて、刊行されたばかりの 『広辞苑第五版』を見たら「近世初期の『滑稽詩文』、寄小人詩。一説に、朱子の作とされる偶成詩の句」と書かれているではないか。そこで中国文学専攻の教授に尋ねてみた。「この漢詩は和製ですか?」、「そうです。恐らく五山の僧の作でしょう」、「漢文の教科書には朱子の偶成と明記されていたし、広辞苑も第四版まではそのような説明が書かれていましたが・・・」、「辞典の編集者が孫引きで済ませるからそういうことになるのです。私はいま漢和辞典の編集をしていますが、このことはちゃんと書いておきました」、・・・。それにしても、永年信じられてきた古典の常識も覆ることがあり、権威ある辞典や教科書の記述も鵜呑みにしてはいけないことを知って大いに驚いた。尚、後日中国を訪問した折に、西安でこの「漢詩」が掲示されているのを見つけたが、日本から逆輸入されたものに違いない。
 またこんなこともあった。さる「物の本」を読んでいたら曰くありげな川柳が載っていて、面白そうだが説明がよく分からない。出典は『甲子夜話』と書いてあったので、早速図書館へ行ってみたら、「東洋文庫」所収の『甲子夜話』は続篇、三篇を合わせると何と20冊もあるではないか。1冊目から順番に目次を頼りにそれらしい項目を探し出す作業をした。幸にして4冊目で見つけることが出来たが、20冊目だったら何日もかかったのではないかと思われる。しかし苦労 して原典を繙いたお陰で川柳の意味も理解出来、おまけに「物の本」の引用が間違っていることを「発見」することが出来た。どうやら著者は原典にあたらずに 「孫引き」で済ませたらしい。洒脱な本を多数著している有名な先生であるが、案外杜撰であることが分かった。


[総合情報センター年報 2012年度版所載]