万葉・古今が語る日本の古代
古田武彦先生を囲んで─

 『万葉集』や『古今集』が、日本文化の粋であり、最高の文学作品であることは論を俟たないが、同時に古代史の語部であることに注目したい。「国歌」に制定された「君が代」の原型は
   我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで  よみ人知らず(古今集343)
である。この「我が君」が誰を指すのか、何故「よみ人知らず」なのか。
 天武天皇や持統天皇はことのほか吉野を好み、吉野に関する歌が多く残されているが
   よき人のよしとよく見てよしと言ひし芳野よく見よよき人よく見  天武天皇(万葉集27)
は「吉野」に因んで「よし」「よき」「よく」を出来るだけ多く詠み込む言葉遊びの歌であろうか。
   東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ  柿本人麻呂(万葉集48)
は、「軽皇子の安騎の野に宿りましし時に柿本人麻呂の作れる歌」として余りにも有名であり、「軽皇子」は後の文武天皇、「安騎野」は奈良県大宇陀町であるといわれている。「東野炎立所見而反見為者月西渡」を賀茂真淵と荷田春満がこの様に訓んだのであるが、いかにも不自然ではないだろうか。
 しかし、
   天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも  阿倍仲麻呂(古今集406)
は、仲麻呂が平城京を偲んで作った歌であることを疑う人はいなかったであろう。
 学問は「疑ってみる」ことにより発展する。『万葉集』や『古今集』の和歌に対して、作者、作歌場所、作歌状況、登場人物、時代背景などを疑ってみると、古の名歌が古代史を語り始める。
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