弱冠

 「阿部正弘は、福山藩主から老中となり、弱冠35歳で国政を担い、開国を決断した。」これは、中国史の研究者として知られる加藤祐三先生の著書『幕末外交と開国』にある文章である。御当人に「弱冠35歳とは何事ですか!」と詰問したら「若いということだよ」と澄ましたものだった。
 「弱冠」はれっきとした出典を持つ由緒正しい言葉である。「人生十年曰幼学、二十曰弱冠、三十曰壮有室、四十曰強而仕、・・・」(『礼記』)であるから、古代中国では、二十歳を「弱」といって、冠をつけたのである。日本の「初冠」「元服」に当たる。従って、「弱」や「弱冠」は二十歳を表わすのである。
 35歳は「若い」とはいえないだろう。それにしても、何故「弱冠」を「若い」という意味に誤用するのだろうか。蓋し邦音「弱」と「若」相通ず、ということか。
 もっと驚いたことには、著名な女性作家の文章に「もう一人はジェルミーニ。教育・大学・科学研究を担当する大臣で、弱冠三十五歳の女性。」というのがある(『文藝春秋』2009年5月号)。「三十曰壮有室」即ち、三十を「壮」といい妻を持つ、から分かる様に『礼記』にある上記の記述は男子に関するものである。つまり、「弱冠」は男子の二十歳を表わすのであり、「弱冠三十五歳の女性」は年齢不詳、性別不詳である。
 言葉の意味は変化するとはいえ、若干ならばともかく、ここまで乱れてしまうとは・・・。何か嘆かん今更に! (2009年11月)
[セミナーハウスニュース第177号所載]

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